2010年11月19日

シドニー 潮目の変わり

「潮目が変わった」という言葉はぼくの頭の中にときどき出てくる。

それまで全く駄目だと思ってたことが急激に反対側に、まるで今まで高速で走ってた車が急にスピンしてギアをトップに入れて正反対の方向に走り出すような感覚だ。

潮の目が変わるというのは、ビジネスに置いても個人の運命においても存在するようで、やってる人間は何を変えたこともないけど世の中が変わってしまっていつの間にか自分がその波の上に乗っかっている感じだ。

今回のシドニー出張は一泊二日と短かったけど、シドニーと言う街の潮目の変わりを感じた。この街は数年前までは鉄鉱石等の地下資源で潤っていたが、どことなく田舎臭さの残った、まるで田舎のカウボーイが着慣れないスーツに裾のはみ出したYシャツで街を闊歩していたのだが、今回は彼らの顔がいくらか引き締まってきていた感じである。

リーマンショックを受けて世の中の厳しさを理解して、ぽっと出の方言丸出しのお人よしの田舎モノではもう通用しない事を体感したのだろう、学ぶ連中はしっかりその事実を学び、そこから自分を成長させた。

今までのシドニー、オーストラリアってのは田舎のカウボーイが牛追いをしてた寂れた赤土の大地に急に時代の最先端を行く稀金属が埋まってる事に気付いて、ここ掘れわんわんであぶく銭を稼いで、まるで日本の田舎の百姓が新幹線が走るってんで自分の田んぼを売ってそのカネでバカ騒ぎをするような程度だった。

ところがあぶく銭は身に付かない。稼いだ金を今のうちにしっかり運用してどうやって利益を出していくかを考えるようになった。稀金属を売るにしても出来るだけ長く稼げるように、頭を使うようになった。

けれどこうやって大きな変化の中で自分を変化させることが出来る人間は決して多くない。昔と同じように何も変わらず何も変えずにいる人々は世の中の変化についていけずにどんどん沈んでいく。

やってる本人は別に沈んでいるという感じはしないのだが、「何でかね、最近は物価が高くてさ」とか「どうもさ、商売うまくいかないよね、何かしなくちゃと思うけど、それもどうなのかね」みたいに愚痴るだけだ。

そして時代に取り残された、つまり潮目が変わったのにそれについていこうとしない人たちは次第に格差を感じるようになる。

「隣の家の息子がさ、親父は大した事なかったのに何か結構良い大学出て今では稼いでさ、なんなんだろうね、うちはあいも変わらずなのにさ」みたいな事を言い出す。

リーマンショックは南半球の田舎であるシドニーでさえ大きな潮目の変化を与えた。潮目を読み取って流れに乗った人々はまるで大きな気球の紐をしっかりと握って高い空にぎゅーんと上っていったのに、読取れなかった人々はあいも変わらず赤土の大地の上で毎日地面を見つめて「今日も何も変わらないな」とつぶやいている。

格差と言う言葉がまるで悪を裁く大岡越前のように日本中を徘徊しているが、変化を認めずに努力もせずに何も考えようとしない人々が大地にしがみ付いてる間に、変化に応じて学び、努力して一生懸命頭を使って考える人々は大きな気球の紐を握って空の高みに飛び出していく。それが格差なら、それは当然の格差ではないか。

今の日本は大地にしがみ付いて何もしない連中が空に浮かんだ気球を鉄砲で打ち落とそうとしているようなものだ。そして大地に落ちてきた彼らを見て「ほら、これが平等だ」なんて平気で言う。

今まではシドニーは定点観測の場所として定期的に視察をしてきたが、もしかしたら来年はシドニーで何かの仕事を手掛けているかもしれんな。そんな感じがした今回のシドニーでした。



tom_eastwind at 18:20│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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