2010年12月25日

つかの間の安定と尽きぬ恐怖の間で

21051255.jpg12月25日はほとんどすべてのビジネスがお休みとなる。欧州のように大雪が降ってお休みになるわけではなく、燦々と輝く太陽の下でバーベキューを楽しむのだ。

ほんとにこちらの人はバーベキューが大好きで、25日の午後になると近所のあちこちでバーベキューの歓声が聞こえる。

今年は取締りが厳しいので運転手さんはビールも飲めないだろうけど「その分はオレが飲んでやる、心配するな、ゆっくり肉でも食ってろ、ぐわははは!」と言う笑い声も聞こえるようだ。

これから約2週間はニュージーランド全体が毎日こんな感じになる。毎日毎晩どこかの友達の家に集まってバーベキューをやって、わいわいおしゃべりして今年一年を振り返って、来年の事を語って、そのうち男どもは固まり出してからそいつらの中でだけ通用する「え~?!ついにか!」とか「あいつか!」とか、女たちはそんな男どもを子供を見るような眼で半分あざ笑いながら楽しいバーベキューの時間は過ぎていく。

バーベキューはこちらでは略して「バービー」と呼ばれる。集まった同世代の人々の中には失業者もいるだろうしビジネスで成功してイケイケの人もいるだろうし、最近離婚した人もいればその奥さんと再婚した人もいるだろう(さすがにこれはないか・・)。

それにしても皆明るい。なんにしても、誰にでもクリスマス!みんな楽しいね!って雰囲気がバービー会場を包んでいる。

誰もが来年は今年より幸せになると信じてるのだ。どんな人でも特別に何かをするわけじゃなくて、それでもなんだか来年は今年より幸せになると信じていられるのだ。これがこの国の良いところなんだろうな。明日はまたいろんな事があるだろうけど、それでも無条件に明日を信じることが出来る幸せって大事だな。

他人と自分の財布の中身を比べずに、会社の肩書きで人を判断するのではなく、今は仕事がなくても夢があれば良いし、幸せな家族があれば一番だ、そういう価値観がある。

だから皆が他人がどうであれ自分が幸せかどうかを考えられる余裕がある。その為の社会制度も完備されているから安心して自分のやりたい事がやれるし言いたいことが言える。

そんなご近所のお庭でのバービーを遠めに見ながら日本のニュースを検索していると、「就活講座15万円」ってのが出てきた。

大卒の就職率が下がり、親としては子供を何とか良い会社に入れたいものだから15万円払ってでも「講話」を聞こうとする。そして講話が終われば次の質問は「先生、うちの子供は就職出来るでしょうか?」である。

けどな~、人生は長いのだ。大企業に入ったからって、それで将来が保証されるわけではない。

1990年代後半には、戦後の日本にはあり得なかった銀行、証券会社の倒産が続いた。護送船団方式でとにかく就職すれば一生食っていけるし、バカでも名刺の輝きでどこでもフリーパスみたいだった時代は終わった。

拓銀、長銀、三洋証券、それに続く金融界の激震は、それまで最も安定した職場であった護送船団を見事に撃沈した。

そしてバカでなくても寄って立つ会社が潰れてしまい、その後は自分の腕一本で稼ぐしかなくなってしまった人々は外資に糊口を求めたが彼らのハードルは高く問題解決能力を失ってしまってた多くの人間がガイジンに勝てずに途中で振り落とされていった。

一体自分が子供の頃から何もかも棒に振って目指してきた人生って何だったのだろう?これだけ努力したのに、何もなくなってしまった。

親は子供のことになると誰もが心配になる。這えば立て、立てば歩けの親心はよいのだが、それがこの記事のように22歳の大学生にまで親心で心配されるようになると一体どっちが就職活動をしているのか分からなくなる。

一体22歳まで何を教えてきたのか?生きる力は自分しか創り出せないのに、親がそれを勉強勉強で型にはめて摘み取ってしまい、出来上がったのは22歳になっても自分で何も出来ないバカ息子である。

親からすれば、自分が歩いてきた成功した道を歩かせたいから大手企業に入れたい、又は役場に入れたいとなる。または自分が失敗した道を歩かせたくないからやっぱり大手企業や役場が目標となる。

けれどその基準はたった一つ、安定した収入だけが目標である。

大手企業の場合は確かに遣り甲斐のある仕事はたくさんある、本人にその能力があれば。しかし役場の場合はほぼ死人である。基本的に一般市民が忙しくて出来ない仕事を下請けするだけの「御用聞き」である。

自分の人生の物理的時間の三分の一と考える力とか問題解決能力とかをすべて喪失して、その代わりに自分が得るものは食い物を買う金だけだ。

そしてこの御用聞きももちろんヒマにあかせて組合活動をしたり地域活動に参加してお茶を濁す事は出来るだろうが、それで終わりである。

つまり金の為に、もっと言えば毎月もらう給料の為に、つまりつかのまの安定の為に自分の時間を売り渡しているのだが、問題はそれで尽きぬ恐怖、つまり失業とかから逃れられるのか、である。

だから役場に限らずだが企業に就職すると次に恐れるのは首になることだ。今は会社の肩書きで周囲からも尊敬されるが、一旦首になれば近所のおばさんのひそひそ話の餌食になるのは間違いない、恥ずかしくて外にも出られない。

その結果として企業や役場が決めたルールに従わざるを得なくなり、次第にそのルールに馴染んでしまい、いつの間にかそれが正しいものだ、これが世間を渡る為の道なのだと思い込むようになる。

そしてこれが大阪のどぶ川のどぶさらいの公金横領になったり自治労のヤミ専従になったり、挙句の果てはいかに自分たちが手抜きをするかと考えた教師どもがゆとり教育という名の元に子供たちを犠牲にすることで社会を更に悪化させる。

ニュージーランドの良い点は、社会の常識と企業や官庁の常識が近いという点だろう。労働市場での移動が頻繁であり常に新しい人々が他の業界から入ってきて企業も官庁もシャッフルされているから、組織が常に”社会の常識に洗われている”のである。

悪い点もたくさんある。コンビニもカラオケも数えるほどしかないしパチンコはないしレストランの食い物は高い。ホスピタリティってのが全く理解されていないなど、数え出したらきりがない。

けれど社会の基本的な部分に安定がある。18歳から65歳まで支給される失業手当、65歳から自動的に支給される老齢年金、医療と教育の政府保障など、社会保障という物理的な面でも保証されている。

さらに社会全体が、例えば子供がいる社員は少し早めに帰るし皆がそれを当然と受け取る文化がある。つまり会社の作業よりも個人の生活を尊重する文化があるのだ。

だから仕事を辞める事も恐怖にならないし無理をして法的に間違った仕事をする必要もない。安心して子供を産める社会だ。この国の出生率は約2.0だ。失業や精神的ストレスで自殺する人はゼロ。

つかのまの安定を求めて親が15万円払って22歳のバカ息子の為に走り回り、それで得られるものがやっと就職できて自分の個性を売り渡した後で、今度は60歳までの間に首になるかも知れないと言う尽きぬ恐怖。

そして会社の命令であれば法律違反でも犯してしまうし、その結果として社会全体がいびつになっている現代、一体日本人は何をしているのだろうか?


tom_eastwind at 14:07│Comments(0)TrackBack(1) 諸行無常のビジネス日誌 

トラックバックURL

この記事へのトラックバック

1. 解明・拓銀を潰した戦犯 1/4 〜破綻への道  [ 投資一族のブログ ]   2013年09月20日 21:12
21世紀ビジョン 80年代、銀行経営は冬の時代だった。突如として金融自由化の波が押し寄せてきたからだ。戦後疲弊した国土と経済の復興を支えるため、国内には強力な行政指導の金融制度が敷かれた。これが次第に海外から痛烈な批判を浴びるようになる。世界経済の舞台で急激に

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔