2011年01月11日

21世紀少年

bd9ad781.jpg21世紀に生まれた子供は、おそらく医療の発展により100歳くらいまで健康に生きる事が出来るだろう。

何故なら人間の肉体そのものの利用限度は100歳くらいまであるからだが、じゃあ何で平均寿命が70数歳かと言えば、現代では解決出来ない病気や正しい使い方をしなかった為に多くの人は肉体年齢以下の年齢で亡くなってしまうからだ。

だからこれから100年生きようとする子供に親がどうすべきか、その為に大事なのが10年単位での社会の変化を理解して、子供を正しい、または有利なスタートラインにたたせることである。

目先の、いくらちっちゃな事をかき集めても結果的に時代に合ってなければ大変な苦労をしてほんのちょびっとしかリターンが得られないと言うことになる。

簡単な例で言うとファイナンスビジネスだ。日本の銀行でも投資銀行部門やプロジェクトファイナンス部門などで世界を相手に働く人は終身雇用と言う枠の中で年収2千万円程度を稼ぐだろう。日本国内で見れば高収入だ。

ところが業務は過激で残業は当たり前、土日だって接待が必要だし会社でも言いたいことも言えないまま、とにかく金稼ぎマシンに徹するしかない。

ところが同じビジネスをやってても外資で働けば収入は数倍になる。ましてや最初から「白人枠」で採用された場合でうまく業界で成長すれば年収数億円なんてざらである。同じ日本人でもスタートラインが違うだけでこれだけの結果が出るのだ。

外資はきついとか言うけどじゃあ邦銀はきつくないのか?金稼ぎが目的であればきつくても稼げるほうが良いだろう。金を稼ぐなら佐川急便、である。

だから子供が社会に出た時に自分の望むように成長または生活したいと思うときに出来るだけたくさんのアイテムを持ってるほうが有利なのは当然だ。

そこで大事なのは、じゃあ10年後に世の中がどのように変化しているかを予測して、その時に左右どちらに転んでも役立つアイテムを持たせることだ。

子供の為に金をいくら残しても、バカであればそれを使い切ってお終いであり、そこから先は寂しい生活が待っているだけだ。

やはり親としては子供の社会生活スタートの時点である程度の金は残すとしても、それよりも子供が自活していける状況にしておきたいと思うだろう。

その為に必要なのは当然だがまずは何よりも言語である。言語はハコである。中身がなければただのハコにしか過ぎないが、中身がたくさんあってもそれを伝える道具がなければ不利である。第三者を通して自分の意見を伝えるのではなく、相手に直接自分の言葉で伝える為の手段だ。

言語は今時の40過ぎの親父に要求しても無理だろうが21世紀少年なら今からやればどうにかなる。

まずは英語だ。21世紀になったからと言ってすぐに英語が公用語でなくなるわけではない。これから最低でも50年は英語が必要だ。ではどの程度の英語かと言えば、本当は英語で経済の議論や東西文化の違いを語れる程度である。

そして中国語。これが必要な理由は非常に簡単で、大きな会社であろうが小さな会社であろうがこれからの日本は確実に中国との取引が増大する。良い悪いではなく、そうなる。これを説明すると長くなるので割愛するが、間違いなく、そうなる。

戦後長い間日本海側が裏日本と言われてきたが21世紀は日本海が海上貿易の要になる。日本は技術立国になり付加価値の高い商品や技術を作りあげ、中国を含めた東南アジアの工場でその技術を使って製品を作り上げて日本を含む世界に輸出するようになる。

その時に社内で中国語が出来るとなれば上司は確実に「おい、次の出張、お前ついて来い」となり、これは社内出世の道の第一歩である。

中国語は同じ文化と漢字を使ってると言う意味で日本人には馴染みやすい。早い時期から教えておけば英語よりも使いやすい言葉になるだろう。ついでに漢詩の勉強もしれくれればいう事なし。

次に必要なのは理論的に説明する能力。これは日本人が一番苦手とするところで、学校で学ぶ事も出来ない。また一夜にして身につくものではない。けれどガイジンとお互いの価値観や理論を説明したり理解したりする程度であれば、子供のうちなら数ヶ月の訓練をすれば、後は子供が自分で学ぶはずである。

その方法の一つとして、子供は常に「ねえ、なぜなぜ?」と聞く。健全な疑問を持って質問をする。その時に子供と一緒に一つの問題を最小原子まで分解して再構築してあげる事だ。

例えば子供が「何で雪が降るの?」と聞かれた時に、その場で一緒にウィキペディアでも見ながら親が一緒に勉強すれば良い。そうすれば子供は「あ、お父さんとお母さんは、分からないときはこうやって調べてるんだな」と理解する。次は自分で調べる事が出来る。

一番駄目なのは「そんな事、今忙しいの!」とか「そんな事、何で聞くの!」とか「言わなくても分かるでしょ!」とやってしまい、折角の子供の学ぼうとする芽を摘むことだろう。

オークランドの幼稚園で園児が皆で歌を歌っていたとする。誰か一人が違う歌を歌いだした。すると先生は「みんな聴いて、xxちゃんがこんな新しい歌を歌ってるよ、皆で歌おうよ」という事でxxちゃんは人気者になる。

日本だったら「それ、違う!皆と同じ歌を歌いなさい!」とハコに閉じ込めてしまうだろう。そして子供が聞く「何で駄目なの?」の質問に対して先生が言えるのは「だって皆がそうしてるでしょ」なのだ。

そこには子供を納得させるだけの理由もなく、子供は世間のハコにいつの間にか自分から入り込んでしまい、理論的に考えて相手に納得させるだけの訓練を行わなくなり、そのまま大人になる。出来上がった大人は「駄目!だって皆が駄目って言ってるんだから」となり、なぜ駄目なのかを考える能力を完璧に失ってしまっている。

自分の子供をそんな風に育てたいだろうか?もちろんここだけの話なら誰もが「NO!」と言うだろうが、現実は親が子供に「駄目!」ばかり言ってるし説明努力を怠っている。

今回の苗場では三連休と言うこともあり家族連れが多かったが、見てると「駄目!」派がとても目立った。理由を説明しないままにダメダメを繰り返す親と、その親を困らせるように意味不明な質問ばかりする子供たち。

21世紀少年、やる事はたくさんあるけど、まずは親を選ぶ事から出来れば最高だなって思わず笑ってしまった。

写真は苗場スキー場を行軍するりょうまくん。すんごい雪だと思ってたら地元の人からすれば「まだまだ全然駄目」出しされました。


tom_eastwind at 21:09│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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