2011年01月23日

これからの10年

これからの政府の方針は明確だ。

 財務省は今年4月から実施する富裕層向けの増税、特に個人資産1400兆円が次世代に移動する際に相続税という名目で個人資産の50%以上を持っていく。これが国家が今まで抱えていた1400兆円余りの長期負債の返済原資となる。

 次に返す刀で消費税の増税である。毎年の税収が法人税に頼れない現在、国はどんな人間からでも巻き上げられる消費税に軸足を移す。消費税はどろぼうからでも外人からでも回収できる税金だ。

これで毎年の国家予算を黒字化させる。

そして大事なのは国民総背番号制度である。今までは個人がゆうちょ銀行などを利用して資産を分散していたが今後は個人の資産すべてを政府が把握することになるから税金の支払い漏れはなくなる。

これで日本のお金はすべて政府が管理することになるので政府資金は安心安泰である。

 経産省は官民一致の日本株式会社政策で古き良き時代の産業政策を取る。戦後すぐに行ったのは鉄鋼などに資金を集中投入して成長産業にする戦略だ。

今回は日本の技術を品質を世界に向けて売って行こう、これが新幹線鉄道、原子力発電、水処理などである。 しかし面白いことに官僚が主導権を取って成功した政策はほとんどない。

鉄鋼などは大過去の産業であり結局は韓国や中国と競り負けしている。

実際に日本を引っ張っていった自動車産業や家電業界は経産省はあまり力をいれてなかったし本来は国を挙げて引っ張っていくべきだったコンピューター産業は無策の結果米国に完全に支配され今に至る。

 たとえばIJPC,イラン・ジャパン石油化学という一大事業。政府のエネルギー政策としてイランの石油開発を主体的に行うことで1970年代に日本政府と三井物産によって運営されたがイランイラク戦争とイラン革命て頓挫、結局1989年に当時のお金で1300億円の清算金を支払って撤退した。
(すみません、最初は1300兆円と間違って入力してました、読者の方のご指摘で訂正しました、ありがとうございます)

 しかし政府はいまだ持って自分たちの方が民間より賢いと信じ込んでいるから今回も官僚主導の国策を進めていくだろう。

 官僚主導がうまくいかないのは当然のことで、ビジネスにはリスクがあるのにそのリスクを理解しない、つまり成功すれば自分の手柄、失敗すれば国民の金で埋めるということを繰り返してきたためにリスクの怖さを理解できない人々がビジネスをやってもうまくいくわけがない。

またビジネスはスピードが勝負なのにお役所間の書類のたらいまわしでもたもたしている間に他国にビジネスを取られるのは目に見えている。

民間企業でやる気のある連中が常々言ってるのは「補助金などは不要、政府は口出しをせずに邪魔をせずにいてくれればよい」である。

厚生労働省は今まで積みあがった年金の処理のために人生90年の時代になった、だから年金支給は70歳からで良い、なんてことをやろうとしている。

そして企業に対しては定年を65歳以上にさせて、使えなくなった人々でも民間企業が給与という形で国民の生活保障をさせる。

本来なら民間企業は利益が出なければ人を採用する意味はない。だから不要となった人員は切るしかない。

その結果として発生する失業者を保護するのが厚労省の役目である。 ところがその本来目的を民間企業に押し付けているのだから大したものだ。

現在は多くのブロガーの間で雇用の自由化が訴えられている。日本を再興するためには個人の力でリスクを取ってどんどん起業させるべきだ、そのためには現在の雇用慣行を改善すべきだと訴えている。

だが厚労省からすれば自分たちの仕事は厚生と労働であり起業や日本再興は関係ない。厚労省が最高なのだ。

法務省はこうやって政府が進める政策の後付けであれ法律的な正当性を与えるためだけに法律を作る。

その法律が国民のためになるかなんてどうでもよい、政府がやってることに法律的に文句を言わせないための作業をするのだから。

法務省が白い猫を黒いといえばそれは黒いのだ。一般市民が「これは白いじゃないか!」と訴えても無意味、何せ法律で白い猫は黒いとなってるのだ。

そして多くの日本人はホーリツ大好きである。それがなぜ存在するのか、だれの利益のためにあるのかなんて全く考えずに、とにかく宗教団体のように「ホーリツなんです、決まってるんです」を繰り返して自己陶酔にひたる。

 ほかの官庁についても右に倣えであり政府が政府自身の肥大化のために「国家政策」という名目のもとに、国民から直接選ばれたわけでもなく責任は取らないけど権限だけは全部取ってしまうという奇妙な団体として活動していくわけだ。

つまりこれからの10年間は政府と官僚による民間支配がますます進んでいき、政府と官僚や彼らに近い立場の人間だけが国民の生み出す利益の多くを得て、利益を生み出した肝心の国民の手元に残るのはわずかしかないとなる。

ここまでくれば江戸時代の五公五民を思い出す人もいるだろう。

 だから日本政府の仕組みを外国から見れば意外とわかりやすいほど、政府による国家運営とそれにぶら下がって何も考えずにひたすら働くけど自分の頭でものを考えようとしない一般国民が見えてくる。

 そう、つまり日本のやってることは江戸時代から何も変わっていない、国民が作り出したコメを政府が召し上げていく、その配分比率は他国に比べて国の取り分が異常に多いのだがその代りに国民が自分の頭で考えて自己責任で行動するというめんどくさい作業を国が引き受けますよってことだ。

 なぜニュージーランドや北欧のようなちっちゃい国家で人々が幸せに生活できているか。それは国民が自己責任を理解して自分でできることは自分でやる、政府の再配分が必要な部分だけを委託する、政治家も官僚も自分の役目をよく理解しているから国民のために何が一番利益になるのかを考えて行動するからだ。

 そのかわり国民の一人一人が自分の頭で考えて行動することを要求されるので子供のころから自発的発言や自分の考えを理論的に説明するような教育を受けている。

 つまり現在の日本を北欧やニュージーランドのように自分たちの取り分を出来る限り増やすような仕組みにしたければ政府を解体して教育を根っこから変更して江戸時代から慣らされてきた「長いものには巻かれろ」を捨て去る必要が出てくる。

 自分の稼ぎの半分を国家に持っていかれてもいいや、だって自分で考えて何かをする必要はないんでしょ、って考える人には日本は住みやすい国であろう。

 いつもいうことだが、だれにも移動の自由はあるので日本政府が大好きで稼ぎの半分を差し出しても気にしない人はそれで全く問題はない。

 これから10年の日本の方向性は見えてきた。「長いものには巻かれろ政策」だ。

 しかし断言するがこれからの10年は政府がやりたい放題でその政策は21世紀の世界の動きに追いついていけずに失敗する。

外国に住んで外国がどのように変化しながら世界の中で自国の地位を確保しようとしているかを見て、翻って日本が何をやっているかを見れば答がよくわかるのだ。

 そして政府は失敗する度に国民に責任を押し付けて増税したり社会保障を削減したりするが政府だけは自分たちの給料と年金を確保しておいて被害から逃れる政策である。よくできた仕組みだ。

(まだ新しいPCうまく使えない。コピー&ペーストでなんで改行が消えるのだ?)

tom_eastwind at 13:57│Comments(0)TrackBack(0)

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔