2011年02月02日
七人の侍
昨日のブログ、あ、そうか、こう書くと意味が通じないんだ。
昨日の自分のブログの抜粋開始
★そう、自分の生活を守るためには「長いものに巻かれる」しかないのである。住民が自決して自分たちを助けるべき改革者を抛り出したのだ。まるで「七人の侍」を見ているような気分になった。
ここで農民が自分で立ち上がり、武士と一緒に竹槍をもって戦わなければ、もう次はないですよ、阿久根の皆さん。★
昨日のブログのコメントで「お前は長いものに巻かれろと言うのか!」というご指摘があった。読み返してみると確かにそうだ。
お詫びを言うと、ぼくは子供のころから本が大好きで小学校の頃から文庫本やら古い文体の本を読んでいただ。
だもんで古い文体なんかで使われる敢えて皮肉を込めた遠回しの否定形として「〜しかないのである。」を普通に使ってたのだが、率直に結論を出す現代仮名使いでいくと、確かにこりゃおかしいな。意味勘違いされても仕方ないよなって納得。まさに時代錯誤の使い方でした、ごめんなさい。
この文意は「おらが阿久根村のちっぽけな百姓生活をなんとか守るために役人山賊という長いものに巻かれることが結果的に七人の侍の映画に出てくるような状態になる、つまりおらが村を毎年理不尽に税金という名前で襲ってくる山賊から自分の身を守るためだけに自分の身内から若い女を差出しなけなしのコメを差出し大事な畑を荒らされ野武士から侮辱を受けても、ただ命欲しさにへらへらと“はい、お役人様〜”と頭を下げ、そうやっていつまで経っても、死ぬまで耐えていくしかないのですか?」なのです。
だから七人の侍をつい思い出したのです。「おらたち百姓は、いつまでこんな暮らしをせんといかんのずら〜」と嘆く笠智衆の声を思い出したのです。生きている間永遠に続く百姓地獄をどこかで断ち切ろう、そう考えた百姓が侍を呼んだのです。
日本という大きな枠組みでもそうです。納得出来ないけど全体がOKなら仕方ないかな、そう思って世の中の決まりに従う人は多い。けれどそれは本当に全体が納得してOKしたことなのか?
実は自分たちはもっと稼いでいるしもっと良い生活が出来るはずなのに税金という仕組みの為にどれだけ頑張ってもいつまで経っても自分たちの取り分が増えず、金持ちアメリカ人や6人に1人がヨットを持って生活を楽しんでいるようなキーウィのような生活が出来ない。
今の日本はまさに映画「マトリックス」のような世界で自分たちが実はどれだけ変てこな世の中で生きているかは、当事者にはなかなかわからないものです。
けれど外から見ればかなりおかしい。「それって奴隷じゃない?騙されてない?なんで皆は夜中まで働いて休みもなく貰った給料で生活は何とか出来るけど家を買ったらローンで定年まで払い続け、そしてその家も自分が死んだら相続税のかたに政府に取り上げられる仕組み、一年に三万人の自殺者が出てもクーデターが起こらない国って、北朝鮮ですか?」と思わせる。
書きたかったのはこんなことでした。