2011年03月04日

お受験

大学受験でネットを使って答案書いたって学生がいた。無邪気ってか、すぐばれるでしょって手口であるが、なぜかこれが今の日本でクライストチャーチ地震並みのニュースとして取り上げられている。

 

今回の事件ではマスコミは「公正であるはずの“お受験”でカンニングをするなんてどういう事だ、第一ネットがあるからこんなカンニングが起こるのだ、ネットが悪いんだ」なんて、あふぉ丸出しでネット叩きをしている。

 

バカと言うか未熟と言うか、いや、この受験生の事ではなくマスコミの姿勢である。

 

バカとは受験が公正である事を前提としているくらい社会常識がないって意味だ。マスコミで働くなら受験は「それほど」公正ではないってくらい知ってるでしょ。

 

例えば慶応大学の幼稚園から始まるお受験競争はコネが必要だし金も必要だ。東大や京大の場合は成績だけで決まると言ってもそれは非常に賢くて成績の良い一部の学生だけであり、多くの受験生は親にすがって塾に行き夜遅くまで勉強出来る環境を親が用意してくれるのだから親が貧乏であれば「かなり不利」な競争になるのだ。

 

未熟と言うのはここでネット悪人論を書くけど、そんなもん簡単に看破されるのはわかりきってるでしょ物書きなら。こういけばああなる、そうするとこうやって叩き返されるってのが分からないほど物書きとして未熟なのだ。

 

ネットと包丁を比較してみれば分かる事で、包丁で刺される事件が起こって「包丁が悪い、あんなもんがあるから人が刺されるのだ〜」なんて言ってるようなもんだ。

 

受験生と同い年のうちの娘にこの話をすると、なんだかいかにも「あ〜あ」って感じでこういった。「日本の学生は今頃そんなことやってんの?だいいちケータイを受験会場に持ち込みさせてる先生ってのが時代遅れでしょ」

 

受験が「大学が受験生を試すシステム」であれば、つまり上が作った政策であれば、受験生だって大学相手に対策を持つのが当然だ。上に政策あれば下に対策ありだ。だからこそ受験勉強では本を買って今年の受験の傾向と対策を考えるわけで、その究極的な対策がカンニングである。

 

ぼくは別にカンニングが良いと言ってるわけではない。ただ同じ日の新聞でクライストチャーチの地震被害者の遺族が本人を見つけられずに帰国する記事が一番後ろに載っていたが、要するに今の時期の記事ネタとしては遠いクライストチャーチで亡くなった人々よりも受験会場でネットを使ったカンニング事件の方が大きく取り上げられるという事実が、今の日本、どうなんだ?と言う感じなのだ。

 

はっきり言えばたかが受験ではないか。大学受験のカンニングは悪いなんて言ってるけど、じゃあ中学や高校の中間テストや人生における様々なテストの機会でカンニングをするのは良いのか?水泳の授業の時に痛くもない腹で病欠するのは良いのか?

 

ニュージーランドにも学校ではテストがある。しかし他人を蹴落として大学に受かるという受験競争は存在しない。大学は、行きたければ中学と高校でNCEAと言うシステムの中で必要な単位を取れば誰でも行ける。

 

大学は学びたいことがある人が行くところであるのが本来なのに、日本ではいつの間にか大学が就職予備校になっているし大学に入学した時点で「おれ、苦しい受験勉強に耐えて日本式の金太郎飴にもなれることを証明しましたよ」というシグナリングを企業に発信するだけなのだ。

 

そんな低レベルの話にしか過ぎないのに警察が出てきて「逮捕」だろ、ここまで大きく取り扱う必要があるのか?どうしてもネットを叩きたいのか?全く意味不明の事件である。



tom_eastwind at 22:41│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

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