2011年04月21日

分県制度

★記事抜粋開始

「福島第一の場合も、運転そのものは緊急停止したので、最悪の事態ではないのだ。この程度の事故なら、斑目氏のいうように割り切ることは妥当である。被害を確率的に計算して、経済的に見合うなら建設すればいいし、他のエネルギーのほうが経済的なら無理して進めないほうがいい」

 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51700098.html

★記事抜粋終了

 

池田ブログで池田氏が述べている、ごく普通の正論である。ところが今の日本ではこのような正論でさえ「許せない!このような大事件なのに“この程度”とは何事か!」と怒る人間がいるのだから、今やるべきは官僚の解体よりも日本人の二分化だと本気で思ってしまった。

 

つまり何もない時でも日頃からきちんと勉強して理論でものを考えて何かあった時に自分なりの判断が出来る日本人と、毎日何も考えもせずに勉強もせずにぶらぶらとしながら友達とだぼら話をして何かあった時には脳みそ停止状態でパニックになってマスコミに振り回される連中とだ。

 

日本を感情県と理論県の二つに分けておき、感情県には日刊スポーツと読売新聞、それにテレビを置いておくがインターネットは使えないようにする。理論県には新聞やテレビは置かずネット環境はユビキタス状態にする。

 

感情県は政府天領にして政府は直接彼らに指示を出してあっち行けこっち行けとやる。そして感情論で「お国の為に〜!」と夜中まで働かせて彼らの稼いだ分をたっぷりと納税させる。

 

理論県は自治領として政府は口出しせずに人頭税として一人当たりいくらの納税をするだけだ。

 

今のまま理論派と感情論派とが「同居」している状態では結局「民同士の足の引っ張り合い」ということで政府に乗りこまれて、最後は政府が感情論者に肩入れして正論が潰されて、次に政府が自分たちの利権を増やすための法律を作る。今までもこの繰り返しであった。

 

感情論者は結果的に日本国民から自由と権利を奪っているのだが本人は自分の利害と関係ないところで白馬の騎士を気取りたいからどうしようもない。ポテチよりも薄っぺらい脳みそで日頃は何も学ぼうとせず考えようともせず、なのに事件が起きた時だけ自分だけが正義を知っている=みたいな勢いで書き込むバカ。相手が国家なら戦いようもあるが国を良くする為に戦う相手が同国民であり彼らは自分だけが正義と思っているのだから話が通じない、戦いようがない。これが価値観の違いである。だから同じ場所に住むこと自体が間違いなのだ。

 

感情論者の一番の特徴は読書をしない、又は読書をしても意味が分からないままうわっすべりで終わっている。そういうメディアリテラシーのない連中がいきなりインターネットと言う世界に入り込み他人の書いている事に書き込める事を知った。

 

そこで発狂したようにバカな事を書き込みそれに反対する書き込みを見てはじめて自分の存在感を感じる。まさに虚しく寂しい世界であるが、リテラシーがないというのはそういう事だ。

 

そしてそのバカどもの隙に付け込んで「権利はあれど義務はなし」の官僚は自分の失敗は東電に押し付けて20%の給与削減をさせるが自分たちの給与はたっぷりと全額頂く。

 

龍馬伝を見ていたりょうまくんに「お父さん、どうして英語や中国語の字幕ないの?」と聞かれた。なるほどね、そりゃそうだ。今までそんな事思いもつかなかったけど、考えてみれば世界に日本の文化や情報を伝えるのに大河ドラマは効果的である。

 

とくに日本国内では絶大な人気を誇る坂本龍馬を世界に知らしめれば、日本人と日本政府が違うのは分かってくれるだろうしなぜ日本人がこれだけ素晴らしいのか、なぜ原発事故をまともに処理も出来ないまま呆然としている日本政府が存在するのかがよく分かるだろう。

 

ところが今、その日本人自体がバカになり始めている。かつては素晴らしかった日本人とでも言われそうで情けないくらいだ。

 

龍馬伝は何のために放映されたのか?多くの人はあの番組を見て感動して次の日はまたロボットのように会社に行き毎日の生活に振り回され怯えて生きていくだけか?



tom_eastwind at 15:41│Comments(0)TrackBack(0)

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