2011年05月03日
1984 New Zealand
★記事開始
国家公務員給与、1割引き下げ方針…復興財源に
読売新聞 4月30日(土)11時24分配信
政府は30日、国家公務員給与を1割前後引き下げる方針を固めた。
東日本大震災の復興財源確保の一環で、実現すれば約3000億円の人件費削減となる。5月の連休明けにも公務員労働組合に提示し、交渉を始める。政府は、関連する給与法改正法案などを今の通常国会に提出する方針だ。人事院勧告を経ずに給与改定が行われれば、1948年の人事院発足以来初めてとなる。
引き下げについて、枝野官房長官は30日午前の記者会見で、「具体的な引き下げ内容を政府内で検討している」と述べた。
政府内では、引き下げ幅について、若手職員の削減幅を小さくし、その分、幹部職員の下げ幅を厚くする案が有力となっている。ただし、若手の給与が幹部職員の分を上回らないようにする。このため、総人件費の削減幅は最終的に1割に達しない可能性もある。 .
★記事終了
なんだ、その気になれば出来るじゃないか。せっかくだから10%と言わず20%でいこうぜ(笑)。でもって削減した分を空残業手当で「闇給与補てん」なんてせこい真似は止めてねと予め言っておきたい。
この記事は土曜日の朝ベッドの中でIphone開いてねぼけた眼で見た記憶があるのだが、なぜかその日の午後普通にグーグルニュースを見てても出てこない。日曜日もニュースとしては出てこない。「日経 賃金削減 公務員」とニュース検索してやっと出て来た。
給与を下げたというが以前も指摘した事だが民間は事実上どんどん賃下げされている。それでも何とか食っていけるのは毎年デフレで物価が下がっているからだ。
つまり給与据え置きは実質的な賃上げである。例えば物価が3%下がって給与が変わらなければそれは3%の賃上げに匹敵する。
公務員は物価に関係なく毎年の給与を少しずつ値上げしていったので実質的には大幅な賃上げである。だから10%削減と言っても民間の痛みに比べれば軽いものだ。
今回の決定が政府のどのあたりで行われたのか背景は全く分からないが、政府内の誰かが東北大震災を利用して公務員改革にメスを突っ込んだのかな。
ならばこれを機会に次は公務員の強制的2割削減を行わないだろうか。2割削減と言っても本当に首切りをするわけではなく、例えばどっかの市で運営されている市営バスとか民間にやれることはそのまま民間に事業を売却するのだ。
そして民間に移った労働者が役に立たず人件費が高いならその時は民間の厳しい仕事を教え込み賃金を下げてけばよい。なにせ不要な役所や仕事はたくさんあるのだから、役所の責任としてどんどん民営化して公務員削減をさせればどうだろうか。
もちろん普通の状態で公務員改革は難しいが、現状のような大震災こそ既存の仕組みをぶち壊す最高の機会である。
1984年までの約10年間、ニュージーランドはまさに今の日本のような末期の経済状態であった。
1900年代初頭から続いた幸せな日々で国民は労働者としての権利を謳歌して国家は農業近代化によって国庫収入を増やすことが出来たが1960年代に入ると農業構造そのものが大きく変化した。それまで英国の食糧庫として活躍してきたニュージーランドだが肝心の英国が経済変化に対応出来ず英国病に罹ったのだ。
ちなみに1967年までニュージーランドはポンド制であった。ドルになったのは英国が英国病に罹り彼らが1961年からEEC加盟を構想し始めて「こりゃいかん、太平洋とビジネスしなきゃ、その為には10進法のドルにしなくちゃ」からである。
世界的に見ても羊毛輸出と言えばニュージーランドの独壇場であり更に北半球の端境期に南半球の野菜を送るというビジネスモデルで安定した収入を得ることが出来た。
ところが南米が戦後に農業力を付けてきて羊毛輸出を開始して国際羊毛価格の下落が起こった。当時世界トップクラスの賃金を受け取っていたニュージーランドと、世界でも最低賃金クラスのアルゼンチンの羊飼いが作る羊毛の品質が同じなのだから勝ち目があるわけはない。
農産物にしてもそれまではどんな品物でも公社が一括買い上げだった為にコストは高止まりして品種改良もせずに過ごしていたら他国は安い賃金と広い土地の作付けで次々と欧米向け輸出を始めてニュージーランドは変化に対応出来ずに市場を奪われた。
それでも社会主義経済では公社による農民が作った野菜の一括買い上げは変わらず政府はその分赤字を抱え込むようになる「逆ザヤ」が発生したが農民は「おれの知ったこっちゃない」である。
エアニュージーランド(航空会社)、BNZ(銀行)など大きな会社もすべて国の機関であり誰も危機感を持たずに高い給料と短い労働時間と無責任な仕事に浸かりきってしまって自分たちの国が沈むのを放置していた。そこに追加的に発生した石油危機で経済は崩壊を始めた。
そこで当時の首相であるマルドーンが最後の大博打である「Think Big」政策(工業化)を実行したがこれが石油危機に再度振り回され大失敗、1984年にニュージーランドドルはついに崩壊して準備銀行(Reserve Bank of New Zealand)が外国為替取引停止措置を取った。
今日と同じ明日が来ると信じて生活をしていた労働者の上にいきなり津波が襲ってきた。首切りとハイパーインフレーションが国民を襲い失業率は一気に上昇して、古き良きニュージーランド社会主義は崩壊、終わりを告げたのだ。
このあたり、戦後の繁栄を謳歌して何も変わろうとしない今の日本と非常によく似ている。
昨日と同じ明日が来るだろうと信じ込み、目の前に現実が付きつけられると砂の中に首だけ突っ込んで何も見えないふりをして現実が通り過ぎるのを待つだけの人々。しかし現実は通り過ぎない。人々の上にのしかかったまま押しつぶしにかかってきたのだ。
そして1984年、デビッド・ロンギとロジャーダグラス蔵相率いる労働党内閣が選挙で地滑り的圧勝、そこから経済改革が始まり市場が自由化され国家公務員はそれまでの8万人から3万人程度にまで削減することになったのだ。
その改革は恐ろしいほどの痛みを国民全体に与えた。ここで首切りデビッドロンギ首相、コストカッターのロジャーダグラス蔵相などと呼ばれたが彼らはひるまずに改革を進めた。
つまり日本と同じ島国のニュージーランドでは、これから日本を襲うであろう社会的変化をすでに30年前に経験していたのだ。逆に言えばこの改革があったからこそ人口がたった400万人の国でも何とか独自性を保って現在の世界の大変化の中でも国家運営が出来ているのだ。
結局ロジャーダグラス蔵相は1988年、デビッドロンギ首相は1989年に痛みを感じる労働組合や農協や既得権益団体から引きずり降ろされた。
皮肉なことに経済改革を批判して与党を勝ち取った国民党はそれから経済が好転したものだから批判していた経済改革を逆に更に進めて、ついでに労働党では出来なかった労働組合に大ナタを振り下ろした。
1900年代初頭から肥大化した労組の権利を奪い取ったのだ。組合加入の選択自由、専従の職場立ち入り禁止、社員以外の団体交渉禁止など次々と打ち出した政策によって新しい起業家が出てきて彼らはそれまでの社会主義的な発想では思いもつかなかったビジネスを起こした。
結局ロンギ首相が退陣してから5年後の1994年に国家経済は黒字化して経済安定は2006年まで続いた。その後はリーマンショックで振り回されたものの現在はまた好景気に入ろうとしている。
ニュージーランドのようなちっちゃな島国でも国家を破たんの中から救い上げて経済安定させるまで10年かかった。日本のように利害関係が複雑になっている、さらに米中による政治的ガイアツが常に存在する状態ではどれだけの時間がかかることであろうか。
日本が今1944年なのかどうか、地球はそこに住む人々の意思の反映なのか、これから答えが出る。