2011年05月19日

不動産神話

今回の大震災で不動産の評価基準が大きく変化した。つまり今まで通用していた常識がある日突然通用しなくなり人々はどうしてよいか分からず右往左往しながら、やっと新しい常識に慣れてきた。

 

今回は日本の不動産に対する神話=常識が大きく変化した。それは今まで前提とする条件にはあまり考慮されてなかった、つまり地震による液状化、埋め立て地、インフラ崩壊などが現実化してしまい、今後はこれを考慮にいれなければいけないという事が分かったからだ。

 

昭和20年、つまり1945年から1990年までは不動産神話があり、土地の値段は上がるもの、絶対に下がらないと言われていた。そして新築の一軒家を建てれば一人前と言われた時代があった。土地を担保にすれば銀行がお金を貸してくれた。

 

明日は今日よりも不動産の価値は上昇するのだ、そういうことが神話として常識としてまかり通っていた。「なぜ不動産価格が上昇するのか?それは上昇するからだ」という神話だ。

 

こういう常識や神話と言うのは数十年単位で変化している。

 

今も田舎に行けば一軒家を建てれば一人前と言われるのかもしれないが、不動産市場全体を見渡せばすでに中古とリフォーム市場の方が新築より大きくなっている。つまり新しい家を建てる人が減り、人々は今住んでいる家をリフォームしながら終の棲家として利用したり中古市場で割安な住宅を購入する層が表れてきたという事だ。

 

キーウィが日本人の変な癖と思ってたのは新品嗜好である。車にしても「え、中古?」とか不動産エージェントと一緒に回っているとお客が「この家を壊して更地にして新築にすればいいわね」なんて平気で言う。不動産エージェントからすれば「なんでこの家壊すの?!十分に住めるじゃないか、必要ならリフォームすればいいのに、なんで??」である。

 

「いやいやキーウィさん、日本人は何でも新品でないと気に入らないのですよ、奥さん以外は」と言うと合理的思考しか出来ないキーウィには意味不明、とくに奥さんの部分だけは「なんで他は新品なのに奥さんは新しいのにしないんだ?」。

 

たった1千km走っただけの車が新品と比べて大幅に安くなる、大工が自分で建てたデザイナーハウスに数か月住んで売りに出すと「それ、中古だよね、だったら大幅値引きよね」と言い出す日本人の感覚がどうしても理解出来ないのだ。

 

そりゃそうだ、新品嗜好なんてのは何の理屈も存在しない見栄はりみえちゃんの世界なのだが、日本人はほとんど全員がみえちゃんの世界に入ってるから自分の言ってる事のどこがおかしいか理解出来ないのだ。

 

ニュージーランドではモノを大事に使う習慣があるし車の年間販売台数のうち8割以上は中古市場、新車を買うのはよほど儲かってる会社の税務対策か車オタクかって感じだ。住宅市場も同じで、新築なんてあまり見かけない、どこの家も中古で、むしろ地区20年くらいのカウリの木を使った木造住宅なんかのほうが「ほう、20年も使っているのだから安心だ、それにカウリじゃんか」と喜ばれる。

 

5年ほど前にお客様の同行でノースショアの不動産視察をして「このあたりはこれから更に土地が値上がりします」と言うとそのお客はせせら笑って「は!そんな事あるわけないじゃん、土地は買ったらそこから下がるのよ、何言ってるんだか、あなた不動産の事分かるの?」と言われた。

 

結局この人の頭の中では日本の土地値下がり神話しか頭になく、いくら人口動態を説明しても聞く耳持たずであった。だから〜、ここは日本じゃないし日本の常識は通用しないし、これからオークランドは200万人の街に向けて人口増加していくんだからと言ってもダメ、とにかく「そんなことありません、わたしはね、東京で不動産のプロのセミナーにも参加して分かってるんです、不動産と言うのは買った時から価値が下がるんです」の一点張り。

 

あれには参りましたな、本気で信じている人に何を話しても仕方ない、まさに神話の世界の話なのだから。

 

しかし不動産でこうやって常識が変わるんなら日本での生活そのものを覆っていた常識も、ここでもう一度見直してみるべきではないだろうか。

 

要するに日本人が日本と言う国に対して持っている前提である様々な条件がすでに変化を始めているのだ。それなのに自分の生活は変化に対応しているんだろうか?

 

明日も今日と同じ、同じ明日が来ると思い込んでいないだろうか?そしてそれに対して「違うんだ、前提が変わったんだから僕らも生活を変化させなくちゃ」と警鐘を鳴らす人々の意見は無視されて、結局行き着くところまで行きついてから初めて「あ!やばい、ここ崖っぷちじゃん!」と言う事に気づく。

 

崖っぷちで気づく人などまだ良い。社内を渡り歩く能力と社内用稟議書を書くのは上手だけど何のスペシャリストでもなく平凡なサラリーマン、けど自分はこれだけ会社に貢献したんだからリストラなんてされないと思ってた40代中年がある日突然肩たたきされて退社、再就職も出来ず貯金は底をつきはじめ家族には何も言えずに消費者金融で金を借りて「給料」として入れて半年も経たずに行き詰ってしまい、最後は山手線ダイブとなってしまった人たちもいる。

 

けれど不動産神話も日本を覆う日本だけにしか通用しない常識も、その前提となる条件が変化すれば変化していくしかない。変化しない者は確実に滅びるからだ。

 

そのような前提の変化はすでに様々な形で情報として流れている。それを自分のこととして当事者意識を持ってきちんと読み取り消化していけるかどうか、これがほんとに運命の分かれ道である。

 

新品神話、不動産神話、いずれも「時」と言う大きな津波がすべて洗い流していって問題を顕在化させた。これからは東京都内では車はシェアで住宅は賃貸でマンションは中古の低層階で職場から歩いて帰れる距離となるだろう。

 

そしてこれから顕在化するのが「脱東京」だ。すでにケンコードットコムはオフィス機能を福岡に移しているし外資系企業は大阪に事務スペースを確保して、今までのような東京一人勝ちではない時代となってきた。東京でなければ出来ない仕事は東京に残すが、オフィスの賃貸家賃は福岡や大阪に移せば半額以下になるので大部分の作業は地方都市で賄うようになる。

 

そして他の企業も同じように東京を出ていくから「おや、おたくも福岡ですか、お互い近くて便利ですな〜」となれば今まで東京の一極集中だったメリットが薄くなっていく。つまり東京でなければ出来ない仕事が減ってきているのだ。

 

そんな時に資産ポートフォリオの大部分が都内のマンション高層階でローンが残っている場合、かなりやばいことになる。

 

顕在化されていない前提条件の変化は他にもたくさんある。一番大きなもので言えば、数十年と言う長期間をかけて日本の太平洋側が少しづつ沈没していくことである。もしかしたら百年後には日本は地図の上に存在しなくなっているかもしれない。ならば今、自分は目の前にいる家族の100年後の将来の為に何をすべきか?

 

目先の顕在化されていない問題で言えば年金、医療、教育などがある。一部の人にはすでに顕在化しているかもしれないが多くの人にはまだ具体的に年金医療教育が今後どうなるのか目の前に見えてないので行動していない。

 

「出来ない」のではなく「してない」のだ。自分の意思で行動を起こしていないのだ。そして問題が目の前に出てきてから初めてパニックになったように「おれは悪くないんだ、おれはちゃんと真面目にやってきたんだ〜!」と騒いで行動を起こすが、果たして右に行けば良いのか左に行けば良いのかさえ分からない。その結果として残された道は行列を作って崖から飛び降りる作業となる。

 

戦後の不動産神話は崩壊した。不動産を選ぶ常識は大きく変化した。それ以外の要素が変化しないと誰が言い切れるだろうか。



tom_eastwind at 21:31│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | NZの不動産および起業

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