2011年07月19日

怒りの葡萄

怒りの葡萄

 

東京から戻った翌日にクイーンズタウンに移動する。気温差35度くらいか。オークランドからクイーンズタウンは飛行機で1時間45分だが、薄着で歩ける気温14度のオークランドから冬の防寒具が必要な気温マイナス2度のクイーンズタウンはいろんな意味で対照的だ。

 

クイーンズタウンは人口がたったの1万5千人であるが不動産も諸物価もオークランドより2割程度高く地元の人々は南島で最も発達した観光都市として自信と誇りを持っている。この街はぼくが24年前にニュージーランド生活の第一歩を踏み出した街であり引退したらここに住みたいと思っているくらい好きだ。

 

人口の少なさが良い意味で地元一部の人々の独裁政治を生み彼ら一部の人々が自分の持つ土地の最大活用をする為に世界中から観光客を呼び込めるシステムを作った。スキー場、湖とヨット、ゴルフ場、リゾートホテル、高級レストラン、様々な観光要素がここに集中することで夏も冬も楽しめる。つまり町おこしの基本のようなものだ。

 

とくに世界からの裕福な観光客はこの「女王の街」に自家用ジェット機で飛んできて丘の上に豪華な別荘を建てて世界中から友達を呼びスキーやゴルフを楽しみ、それぞれの国に戻る。彼らの年間ほんの数週間の滞在の為に使われるお金は想像に任せるが、一つの逸話がある。

 

ある時大型の自家用ジェット機で到着した富豪が、自分の飛行機を入れる格納庫が小さすぎて外に駐機するしかないと言われた時、「仕方ないな、では私がクイーンズタウンを出発するまでに格納庫を拡張しておいてくれ、あ、請求書はうちに回してくれ」どこまで本当の話か分からないがどこまでも本当の話としか思えない出来事である。

 

この街では1万5千人の人口のうち固定しているのは1万人程度、残りの5千人は世界中からバックパックを担いでやってきた若者や長期滞在者である。つまりこのちっちゃな街では若者5千人分の仕事が常に存在しており、とくにホスピタリティ産業(旅行、ホテル、レストラン、観光産業)経験者の需要が高い。これだけ様々な人種が世界中から集まり働き観光客も世界中から来ていると人種差別なんてしようがないのでクライストチャーチとの大きな違いの一つである。

 

オークランドは人口140万人の街で政策論争がしょっちゅうあるという意味で民主化されており必要とされている人々が様々な業種でありネクタイをする人々が多いし勿論人種差別が存在するって意味では存在する。

 

けれど観光ではなくNZ全体の様々な産業の基礎となっている街なのでそれこそ様々なビジネスがありどれも競争は厳しい。人種差別はすくないがそれ以上に金種差別はあるし英語差別もある。

 

しかしどちらの街にも共通しているのは常に一般労働者や優秀な労働者が不足している点である。ニュージーランド全体の失業率は現在6%程度であるが、この失業率は非常に偏っている点でも特徴的だ。

 

おとといのテレビでロトルア近くの人口7千人の街が「失業率30%の町」として取り上げられた。地元に仕事がないので失業手当など様々な生活保護を受けるわけであるが、仕事は本当にないのか?取材が入ると結局そこには「働きたくない、金は欲しい、外には出ていきたくない」と言う怠け者の正体が見えてくる。

 

ニュージーランドの職安(WINZ)は手当支給だけでなく仕事に就けるように様々な職業訓練を行っている。ところがそういうのにも手当をもらう為に参加するだけで本気で自分の生活を変えてみようという気持ちがない。

 

オークランドでもクイーンズタウンでも仕事はある。同じ国内だ。外に出て仕事をすればよいのに、出ようとせずに政府の補助金に頼っている。外に追い出す権利は国にはないが本人は移動の自由がある。生き残るために積極的に活動するのが当然ではないか。

 

ぼくらが払う税金は、困った人が必要とする時に提供するためのおカネだ。クイーンズタウンに来てここで働き手が不足しているレストランを見ながらそう思う。ロトルアの近くの田舎街の若者は何故ここに来ないのだろうか?

 

たぶんその一番の理由は、何もせずにお金がもらえる生活を耽溺(たんでき)しているからだろうな。

 

そしてこれが問題になるのは、オークランドやクイーンズタウンで一生懸命働いて勉強して最新技術を身に付けようとする人々が、それだけ苦労して何とか金を稼いだら税金を払う、その税金がだらしない連中に回るって事への怒りであろう。「だったら働けよ、仕事はあるんだらかさ」そう思うだろう。

 

そう考えると日本でも、やる気のある人間は「住みやすい」とか「友達が多い」という理由で田舎にしがみつくことはない。やる気のない人間は言い訳ばかり並べて国から金を貰って理屈を並べて何もしない。

 

いろんな考え方があるだろう。ただぼくの考え方は自己責任が基本だ。政府に助けてもらおうなんて絶対に考えないが税金はきちんと払うしそれが子供の教育に回るのはOKだ、寄付が必要なら払う。

 

ただ、ぼくの払うお金がだらしない連中の生存の為に使われるのであれば堂々と言いたいな、死になさいと。

 

1930年代の米国の大不況では多くの農園労働者が仕事を無くして西部へ移動した。移動した先の農場でも仕事を探すのは大変で、そのような時代に作られた映画がヘンリーフォンダの「怒りの葡萄」である。

 

米国人は1930年代の不況を自分の力で何とか切り抜けようとした。今の日本人はお上のカネで生きていこうとしているのだろうか、それとも自力で生き抜こうとしているのだろうか?



tom_eastwind at 22:37│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔