2011年08月03日
東電救済法案可決
★記事抜粋開始
東京電力福島第一原発事故の賠償を進めるための原子力損害賠償支援機構法が3日の参院本会議で、民主、自民、公明3党などの賛成多数で可決、成立した。みんな、共産、社民各党などは反対した。原子力事業者(原発を持つ電力会社など計11社)が出資して設立した支援機構が、被災者の賠償にあたる東電の資金繰りを支援する仕組み。政府は2兆円分の交付国債を発行し、機構の運営を支える。
★記事終了
東電支援機構を見て真っ先に思い出すのは2007年から続いた米国金融崩壊の際の米国の処理だ。簡単に言えば金儲けをする時は自分が真っ先に一番美味しいところを取り損をしたら全額他人に押し付けてしまうという事だ。
今回の仕組みについては多くの識者が説明しているように「資本主義の根本である自己責任の崩壊」である。東電を倒産させないのは社会インフラであるから電気を止めるわけにはいかないからっていうのはあくまでも言い訳、実際は東電株を持っていたり東電に融資をしている大手銀行が損失をかぶりたくないだけだ。
その結果として最初に責任を取るべき東電が全く痛みもなく今まで得て来た利益を返還する必要さえなく次に責任を取るべき役所が彼らも天下りの利益を返還することさえなく、すべての責任を国民個人に押し付けて国民個人の会計から「電気代値上げ」と言う形で徴収しようとしている。
米国のリーマンショックの際も銀行はそれまでの利益はしっかり自分たちがボーナスや給料などの報酬として受け取っておりながら損失はすべて国民にかぶせてしまった。
この二つに共通するのは「大きすぎてつぶせない」と言う理屈であり、それなら最初から100%政府保証を受けている企業なので私企業と呼ぶことは出来ず資本主義の中で存在すること自体が問題である。
実はこのあたりから見えてくるのが「社会主義の方が良いんでないか?」と言うことだ。一部の連中が自分たちの利益を守るときには自由主義とか市場原理主義とか言いながら銀行にしても電気にしても他者の参入を実質的に不可能にしておいて内輪で利益をふんだくる。値段をいくらにするかなんて役人を巻き込んでお手盛りにしているからどうでもなる。天下りもバンバン受け入れて会社も組合員も美味しい思いをする。
それでいて赤字になったら政府に全額負担させるんだから、それだったら最初から政府がすべての事業を直轄する公社公団方式にすればいいのだ。社会主義方式であれば基本的には特定の誰かが儲かることはなく国民全員で公平に負担することになる。もちろん汚職はあるだろうがそれは特定して逮捕すればよい事である。
今回の件で国民が一番頭に来る点は「不公平じゃんか!」である。最初にルール作ってやらずぼったくりでいっつもエラそうにしている奴だけが儲けて損が出たら日頃あくせく働いている一般労働者にかぶせて知らん顔しているのが「自由な資本主義」であれば、そんな資本主義よりも社会主義の方がましである。
大きすぎてつぶせないという理屈は「根本的な不公平感」と言う感情には敵わない。その感情を多くの国民が持ってしまえば理屈など関係ない、東電など叩き潰してしまえ、全部国有化して社員を全員一旦首にして、けどそうなるともともと役所体質だった東電が今度は本当に役所になってしまうからまずいじゃん。。。くっそー、堂々巡りだ、なんじゃこりゃ!と頭に来てしまうのだ。
管首相が原子力は国家が国有化するって考えてるようだがこれなど社会主義者からすれば当然の発想であろう。出来れば東電も国有化したいくらいだろう。社会主義者はこうやって仕組みを作って幹部だけが儲かる。
同じことを自民党がやれば「あくまでも自由民主主義の元、市場経済を追求して私企業が経営するのだ」と言って自分たち幹部だけが儲かる。
どっちにしても腐った権力機構の中にいる連中だけがうまい汁を吸って何も知らない一般市民に泥をかぶせてしまう東電救済機構だ。そしてその根本の原因が政治にある。
英国では「権力は腐敗する、長期権力は必ず腐敗する」と言うことわざがある。こうなったらもう政治で飯を食っていけるような仕組みそのものをぶっ壊してニュージーランドのようなボランティア政治に切り替えていくしかないのだが、、、、それもなー、、、結局政治家ってのは国民の代表であり国民に優る政治制度はないわけで、今の日本がダメなのは政治ではなく国民性の問題なのだとしたら、この不公平制度は選挙をやろうがどうしようが変わらないのかな、、、。やっぱりこの国は外圧ぶつけてガラガラポンでひっくり返すしかないんだろうな。