2011年08月24日

芸も能もない人間

関西弁の自称芸能人が引退発表をした。芸能人とは「芸しか能がない人」の事でありそれなりに芸に一途な人のような感じがある。その意味では歌舞伎役者などは世間の人気があるかどうかは別として一応芸の世界を持っている。

 

ところが他人の頭を人前で引っ叩いたり女性をぶん殴ったり、行列が出来る弁護士事務所と言いながら実態は法的に無意味なだぼら話を繰り返すような人間のどこが芸能人なのか昔から不思議だった。それでも世間は芸能人とか有名人とか褒めそやしていた。

 

「芸能」の中に人の頭を叩いてぼろくそにけなすのが現代の芸として含まれるならそれはもう時代の趨勢であろう。

 

実際にこの人間が出演すると視聴率が上がるってんだから時代はサディストを要求しており、一般市民は自分が実現できない「他人の頭を引っ叩く行為」を代行してくれる人間を見て喜ぶのであるから、そのような人間のテレビでの行為を絶対に認めることが出来ない少数派であるぼくはテレビを見ないという消極的選択肢しかないのが現実である。

 

そのような人間がテレビ業界で売れるってんだからテレビ業界の視聴率が下がりっぱなしなのも当然だと思うが、それでもこのような人間が生き残っていけたのは、それを見て喜ぶ連中が存在するからである。

 

元々テレビと言う媒体自体に色はない。どのような利用方法をするかによって価値は変わる。クーデターの時に真っ先に占拠されるのが国会とテレビ局と言うように情報を一斉に国民全体に伝えるという意味ではインターネットよりも実質的に効果がある。

 

ところがテレビの性質をよく知り尽くした賢い連中が70年安保を経験して「やば!国民を啓蒙して利口にさせるとまたも革命が起こるぞ、既存体制を守るためには国民をばかのまま放置しておくしかないぞ」となりテレビの時間配分で一般大衆がバカになるような下らん娯楽番組を次々と作り出した。下らん娯楽だから下落番組とでも呼べばよいのか。

 

そういう日本政府の方針に当時ぴったり当てはまったのが今回の引退表明をしたような連中であり結果的にその政策は成功してテレビはまさに「白痴製造機」となり下がった。

 

インターネットが出てきても多くの人々は昔の癖が抜けずに白痴箱をだらだらとつけっぱなしにして何の自覚もないままに意味のない番組を見て自分の貴重な時間を垂れ流しにして世の中の問題や自分がどうあるべきかと言う大事な問題から目をそらさせた。

 

今回のような引退報道がニュースになるのもそれが人気があったからでありそれを見る人間が存在したって事だからやはり今の日本の主流の風潮にぼくが合わないのはよく分かる。

 

そう言えば今の時代になっても朝からテレビを付けっぱなしで朝日新聞しか読まない人がたくさんいるわけで、そのような人と会話が成立するはずもない。

 

テレビは本来一方通行の公共放送としての利用価値は高いのだが肝心のコンテンツがテレビ自体をダメにしてしまい、ましてやテレビが自分の都合の悪いことは放送せずに情報操作をする事で結果的にインターネットでの情報収集が世界全体の中心となっている。

 

まあ人の頭を引っ叩いてテレビの前で恥ずかしい事をして何も気にせずにいるような人物を喜んで見る人がいるのだから「踊るあほうに見るあほう」である。しかし自分が自分である限り「同じあふぉ」でも「踊らにゃ損損」にはならないな。

 

それにしてもリビアのトリポリで起こっている事件よりも引退報道が賑やかに報道される日本は、まさに平和ボケと言うしかない。そのような状態に少しでも消極的にでもNOと示すのは、黙ってテレビのスイッチを切るだけである。



tom_eastwind at 17:38│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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