2011年09月19日

それがフクシマで起こったことだ

★抜粋開始

それが福島で起こったことだ。日本人は小さな失敗をきびしく罰するので、人々は小さくてよく起こる失敗を減らし、大きくてまれな失敗を無視する。アメリカは小さな失敗にも大きな失敗にも寛容だ。

 

私は大きな失敗はよくないと思うが、小さな失敗はむしろ好ましいと思う。イノベーションは、小さな失敗の積み重ねだ。イギリスの産業革命は、試行錯誤と失敗から生まれたのだ。これは「ブリコラージュ」と呼ばれる発見的な過程だ。あなたは小さな失敗を積み重ねることによって新しいことを発見するのだ。

 

だから日本人は、小さな失敗を許すべきだ。カリフォルニアには“fail fast”という言葉がある。いかに失敗するかを知っていることが、ハイテク企業が生まれる理由だ。日本人は既存のフレームの中では問題を受け入れるが、そのフレームを変えようとすると、失敗を恐れる。

 

私の本の中で二つのペイオフを論じた:一つは、日常的に小さな利益を得て、大事故ですべてを失う――これが福島事故だ。もう一つは、普段からボラティリティが大きいが、破滅的な事故は起こらない。

★抜粋終了

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51742840.html

 

ブラックスワンで有名な経済学者のタレブがインタビューで語った言葉を池田信夫氏が簡単に翻訳している。ちなみにタレブはナタリー・ポートマンのお父さんではない。

 

福島の失敗と言うよりも、この「小さな失敗を許さない性格」は日本全体を覆う歴史的な問題であるのに、いくら指摘しても誰も聞こうとしない。何でかな、こんな風に文章で書くと人々はそうだそうだというのだが実生活の上でぼくが「それくらい、いいじゃん、誰でも失敗はあるしさ」なんて言うと目を吊り上げて「そんな事が良いわけないでしょ!」と怒り出す。

 

人間は失敗をする動物である。最初から完璧に何かを行うなんてあり得ない。だから失敗することを前提に失敗を最小化させることが現実的であり大事なのだ。

 

そうしてちっちゃな失敗を繰り返しながら「あ、こうやったらダメなんだ」って事を覚えて大きな失敗を起こさないようにする。

 

例えば車の運転でも同じである。事故を起こすことを前提にして車庫入れで車の端っこを数回こすればそれからは要領よく車庫入れが出来る。スピードの出し過ぎで前方の車にぶつかるにしても渋滞の中で前の車にこつんとすれば距離感が理解出来る。酒飲んで運転するとどれほど判断力が狂うか分かるがいきなり高速道路で事故ったら即死である。最初に少し飲んでおいて田舎のあぜ道を運転して車を田圃に落とせば痛みも分かる。

 

つまり経営的に言えば日頃発生するちっちゃな事故=ミスはそれに対する引当金=「失敗しても罰しないルール」を積んでおき、入社したての頃にちっちゃなミスを経験させて大きな事件が起こった際に失敗しないように「場数」を踏ませておくべきなのだ。


ところが日本では失敗をしないことが人生のすべてだから細かいことに失敗せずにふんぞり返ってるエリートと呼ばれる連中は福島のような大きな失敗が起こった時にどうすればよいかわからないのだ。
 

ここが大事な点だが、失敗をすると罰点を付けるから誰も失敗しないように冒険も挑戦もしない。その結果世の中が停滞して新しいビジネスが出てこずにそのうち冒険をする他国に追い抜かれて自国は衰退して最後に経済悪化で失業率が高まり給料は下がり国民のガス抜きの為に手当をばら撒き最終的に経済が崩壊する。

 

このような状況の問題は何も政府の責任だけとは言い難い。国民自身が日頃からちっちゃなミスを許さずにいつもピリピリしてごみ出し日をちょっと間違っただけで怒鳴り込むような、電車が10分程度遅れただけで駅員を怒鳴りつけるような環境では誰も冒険など出来ない。新しい事が生まれるわけもない。

 

つまり国家がどうだこうだと文句を言う前に、まず国民自身が隣人のちっちゃな失敗を「大丈夫、きにするなよ、明日があるじゃんか」って笑っていられるかどうかがこれからの日本の方向性を決めるのではないかと思う。



tom_eastwind at 15:53│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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