2011年11月15日

アオテア広場で「占拠せよ」デモ

今朝のTV1ニュースで「アオテアを占拠せよ」デモの様子が放映された。


今回もまた「占拠せよ」デモがオークランドの中心地クイーンストリート沿いにあるアオテア広場で平和的に開催されたがそりゃ平和だ、市役所前の治安の良い安全な公園でテント張って近くのカフェで買ったカフェオレを楽しみながら「おれたちは99%だ!」って言うんだから。


間違いなく君らは99%だよ、ニュージーランドと言う誰に攻め込まれる事もなく最低時給13ドルで社会保障がしっかりしてて誰でもその気があれば大学まで政府補助で進学出来て貧困で人が自殺する必要がない国(韓国人社会は少し違うようだが)でカフェオレ飲みながら「格差反対!」って訴えるのだから。99%が幸せに生きていける社会のどこが差別なのかよく分からん。


しかしまあ、これは誰が仕掛けているのだ?カナダのなんちゃら団体だとかソロスだとか話が出ているが、これで儲かるのは誰かって視点から見るとニュージーランドの場合はどうも誰も思いつかない。


何故なら世界でも珍しいほどに格差が少なく誰でも苦労なしに生きていける社会主義に近い資本主義国って、あんまりたくさんないでしょ。だから鯨さんと同じで北半球の誰か儲かる奴がいてそいつが「世界中で反対って事にしなくちゃ記事になんねえな、あんまり意味ないけど一応NZにも金配っておくかな」程度の乗りであろう。


公園使っても利用料金が発生するとは思えないし、もともとのんびりしてるキーウィの若者が仕事のない時間に単純に暇つぶしに仲間を求めて集まってお茶を飲んで世間話をして時間を潰しながら社会に参加しているって実感するのかな。


「天気の良い日にピクニックして楽しむくらいならまず働けよ!」と言うのは番組に寄せられたコメント。NZのテレビ番組ではFacebookTwitterで意見を集めるので反応が早い。


世の中はハイエクの主張する「自由競争と格差」と言う社会とケインズの主張する「大きな政府による管理」との間をまるで振り子のように右に行ったり左に行ったりしている。


大雑把にいえば資本主義と社会主義の間を人民感情が右に行ったり左に行ったり、その時の雰囲気で流されているようなものだが、一度立ち止まってもう少し上を見てみたらどうだろうかと思う。


格差反対と言えば他人の足を引っ張るだけで自分たちが上に行こうとする気持ちがないわけで上向きの平等と言う発想が出てこない。かと言って政府による管理をすると「もっと自由を!」と言い出すが自由を与えたらやることは他人の頭を叩いて競争して格差の発生である。これじゃいつまで経っても同じことの繰り返しではないか。


両方の極端しか言えないのが西洋人の特徴であるのは仕方ないとしても、少なくとも日本人は中庸と言う言葉を知っている。人が歩く道はまさに綱渡りと思えば良い。右に傾いても落ちるし左に傾いても落ちる。まっすぐ真ん中を歩くのは知識の蓄積も感情の抑制も要求されるが、それこそが唯一「持続する社会」を実現する方法である。


世界が自由過ぎて何でも出来る社会になれば「何でも出来るけど間違ったことはやらないよ」と言い、世界が管理社会になったら「自由を寄越せ、おれは自己責任で生きる、お前らの独裁主義に付き合ってられるか!」と訴える、そして右と左の間をしっかり見極めながら細い綱の上を歩く。


競争を嫌いだという人は一生懸命生きるのも嫌いなのだろうか?誰かに管理されて彼らに自由を手渡して家畜のように生きるのが好きなのだろうか?


自分の内側からとめどなく出てくる自分のやりたい事を実行したい気持ち、その為には政府に自由なんか絶対に手渡したくない、その為には自己責任だから失敗しても誰にも文句は言わない、そしてその為には他人がどう言おうと実現しようとする。


けど、それは必ず社会を成長させる方向性と一致していなくちゃいけないと理解するだけの抑制力もある。単純に欲望を実行するだけなら動物であるし欲望を抑制しながら成長していくのが人間の歩く道なのだ。


どうやら市役所は退去勧告を出すようだ「もういいだろ、そろそろキャンプをたたんで家に帰れよ、暖かいスープとパンのあるお母さんのいる家に」と言うことだろう。


次のニュースはシリアで反政府デモに参加して殺されている民衆の記事だった・・・。



tom_eastwind at 09:16│Comments(0)TrackBack(0)

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