2012年01月09日

戦闘準備開始

やっとオークランドに戻ってきた。移動につぐ移動でなかなかブログ更新出来ず。東京から翌朝のフライトが早いので前泊として夕方に成田のメルキュールホテルに移動投宿する。高速道路を下りると片道一車線の細い道、道路ぎりぎりまで建てられている住宅、途中にたくさん見かける畑や田圃、それにしても成田市って、、、こんなとこなんだなー。成田空港は世界の国際空港でも珍しく到着ロビーで地元の野菜売ってるが成田市も負けてないぞ。

 

ホテル内にあるチェーン店のような豆腐と鶏肉料理を食べるが「地元の食材」を使った料理はどれも安くて美味しい。この値段でこれだけの料理、どうやって作ってるんだろう。相当に努力していますね、少なくともニュージーランドでこれだけのものをこの値段で出してたら商売にならないよねって価格設定だ。

 

てか食材も地元なら働いている若いスタッフも地元の若者で、この店では新人店員さんが若葉マークを付けているのだが何か聞くたびに「はい、すぐに確認してまいります」きびきびとしている。最後に料理の感想を聞かれたので素直に「安くておいしくて良かったですよ、けど鳥の半身の丸焼き料理だけは少しジューシーさがなくてソースに頼るのが残念でした」と言うと素直な顔で「有難うございます、さっそくキッチンにも伝えておきます」とこれもまたきびきびしていて好感度高い。てか、若葉マークなのによくいろんな店内マニュアルを短期間で覚えましたねって感心する。この点は日本人だけが持つ優秀さであろう。この若者は楽しそうに働いている。

 

聞いたら親元から通っているらしい、優しい家族に囲まれて仕事も見つかり一安心、あとは頑張ってお客様にサービスしなくっちゃ、給料は親元から通うからそれほど苦労もないし、成田も格段と生活費が安そうだ。

 

翌日は成田空港で失業者対策ゲート、一般的には空港保安検査場と呼ばれている場所で検査要員からパスポートチェックを受けながら、寒い中でよくもまあこんな無駄な作業をするよなって感心する。これやるくらいなら成田周辺の一人暮らしのおじいさんやおばあさんの持ってる休耕中の田圃や畑を代わりに耕してあげた方が生産性上がるのではないかと思ってしまった。

 

今時過激派が成田なんて狙うわけないし狙うにしてもこんなゲートは通らないぞとは誰もが思う事だろうが、関係者からすればせっかく保安対策で確保出来た雇用枠だから仕事に意味があるかないかよりも枠の確保の方が大事なんでしょうね。

 

それにしても日本は平和だ、そして東京では人々の心がだんだん壊れかけ始めて今までのような他人に対する思いやりがぐっと減少してきているのを感じる。誰もが自分が生きるのに一生懸命で他人に気遣いするヒマなどないって感じだ。

 

JR駅の電車のホームには次々と安全柵が作られているが安全柵のない場所から電車に飛び込む人が後を絶たない。恵比寿駅で電車を待っている時も「ただいまxx線は人身事故の為xx分遅れております」と言うアナウンスが普通に流れて聞く方も自分の予定だけを気にして、飛び込んで死んだ人の事など誰も考えようとしない。

 

つまり安定した仕事を得ている人は物価が下がり続ける東京で安くて良い品物を買って平和を享受出来るし将来も安心だ、けどそうでない人々は明日の生活さえも不安であり少しでも安いものを買って何とかお金を貯めようとする。

 

電車の中で若者が友達にケータイ見せながら「お、これ、たっけ〜」と言ってるのを聞くともなしに聞いているとどこかのファミレスで出している650円のカレーライスの話だ。彼らの頭の中では昼食の予算は500円を切っている。つまり150円の違いが消費者の購入意識を決定している。

 

ところがその夜のジャズクラブでは入場料だけで結構な値段なのに満席で、集まっているのは身なりの良い人々ばかりである。テーブルにはワイングラスや食事が並んでいる。皆がいかにも寛いでジャズを楽しみ「僕らはこちら側だよね」と言う雰囲気を醸し出している。こういうのを見ると日本の二極化と言うのが肌で感じてしまう。

 

けれど今「こちら側」にいる人々でも、ちょっと間違えばすぐに「あっち側」に行ってしまい、片道切符では二度と戻ってくることが出来ない。誰もがその恐怖を知っているからこそより一層今の安定した場所を確保する為に長いものに巻かれ上司に頭を下げ言われるままに働くのである。

 

日本では一度落ちると二度と這い上がってこれないのを誰もが知っている。セーフティネットも正社員の仕事もマンションも、一度手放してしまえば復活戦はないのだ。ここがニュージーランドと日本の構造的根本的な違いである。

 

人が社会の中心にいてセーフティネットを構築してお金がなくて働かなくても自殺する必要がない社会では、社会全体の仕事がうまく回らなくても個人生活を優先するから、誰もが週末は友達とバーベキューを楽しみ道に倒れている人がいれば当然のように手を貸して助ける。

 

このような社会では見知らぬ他人に対しても優しい。何故なら個人の心に余裕があるからだ。何故余裕があるか?働かなくても食っていける社会があり人助けをすることで得られる心の喜びを得る方が、道で倒れている人を無視して急いで出社して夜中まで働かなければいけなくて得られるおカネよりも幸福感が高いからだ。

 

当然だろう、金がなければ政府が助けてくれるのだ、ならば人助けをして心の満足を得た方が良い。その結果として自分の仕事が少々遅れても社会的に寛容される環境がある。つまり人々の意識付けの中に「他人に優しく生きる方が結局個人も社会全体も生活しやすくなる」と言うシステムを導入している結果だ。

 

このシステムを最初に導入したのは1840年代の第三代総督ジョージグレイの時代で後に続く首相が法制化したりすることで1900年代頃に今のニュージーランド社会の基礎が出来上がった。

 

もちろんニュージーランドは天国ではない。コソ泥は多いし時には殺人事件もあるし一生懸命働けば当然の如く疲れる。人々は出来る限り働くし、最近は二極化が進んでいる。20%の豊かな人々と80%の貧しい人々に分かれ始めている。能力を生かして一生懸命働かないと20%どころか中流の下から抜け出すのは大変だ。それでも電車に飛び込む必要もなければ人を殺してまでカネを奪う必要もない、なにせ政府が助けてくれるのだ、やばい犯罪に手を染める必要はない。

 

そして新卒採用とか中途入社と言う考え方が存在せずに起業して失敗してもまた立ち上がる仕組みがある。だから人々が明るい。他人を思いやる気持ちを持てるだけの余裕を持てる仕組みがある。

 

オークランド空港に着いて山ほどの荷物をトロリーに乗せ税関を抜けて駐車場に泊めてあった車に積み込む。時々雨の降る、けれどそれ以外は晴れ間の広がるオークランド特有の天気の下でゆっくりと車を走らせながら自宅に戻る。オークランドの空気は日本のような優しさはないがそれでもきりっと引き締まった気持ち良さを感じさせてくれる。

 

明日はクリスマス休暇最終日だ、荷物をカバンから出して会社に持っていくものを分けて、いよいよ戦闘準備に入る。



tom_eastwind at 23:04│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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