2012年02月10日

光る風 自己規制の時代

やまがみたつひこと言えば「死刑!」で有名な「ガキでか」のこまわり君だろう。1980年代には大ブームになった漫画だが、ぼくはやまがみたつひこの代表作と言えばいつも思い出すのが「光る風」である。

 

1970年、少年マガジンに連載されたポリティカルコミックであるが決してコメディではなく政治小説を絵で描いたというのが正確な表現だろう。当時文庫サイズ本も出てて、最初は軽い気持ちで読み始めたが終わった頃には背筋がぞっとなっていた。

 

中学生をビビらせるその作品は当時の少年マガジンだからこそ発表出来た作品であろう。今あの作品を再発表するとなると、どこも二の足を踏むのではないか?何故ならあの作品の舞台となった昭和10年代、言論が次第に統制され始めていつの間にか人々は大本営発表しか聞くことがなくなった。何を考えててもそれを言葉にすることは出来ず政府のいう事にYESとしか言えない状態が続き、周囲が周囲を監視する、その時代がまさに今の日本とダブるのだ。

 

当時は他にもジョージ秋山の「銭ゲバ」や「あしゅら」など度抜いた作品が連発されてた漫画界だった。その中でも最高峰と言えば少し時代は古くなるが白戸三平の「カムイ伝」だ。常に政府と戦い個人の自由や権利の平等がカムイ伝の中でしきりに訴えられたいた。

 

そのような群雄割拠の時代であるがやまがみたつひこの「光る風」も孤峰のように輝いた作品であった。1970年と言えばよど号事件が起こり安保闘争が決着し三島由紀夫割腹自殺事件があった年だ。

 

ところがその時代以降政府は全く新しい政治闘争を導入した。テレビに漫才やお笑いや歌番組などを流し込み、とにかく人々が何も考えなくなるようにマスコミソフト統制を行った。「ややこしい政治の話よりも、さ、こっちに来て一緒にバカ漫才見て笑おうよ!」吉本とホリプロ、フジテレビと日本テレビが一気に成長する時代となった。ドリフターズが驚異的な長寿ヒット番組を作り人々はテレビの前で下らぬ下ネタに釘づけになり子供はドリフターズの真似をして笑い、遊び、いつの間にか政治は人々の頭の中から消え去っていった。

 

しょせん政府に勝たないのだ、出来もしない事を厳しい顔して真夜中まで議論するより、こっちに来てバカ番組見て酒飲んで笑おうよ、そういう思考統制が行われてそれは大成功を収めた。日本政府はついに国民を政治バカにしてしまったのだ。そして現代、政府はいよいよネット統制に入った。

★記事開始

無関係の会社員宅を捜索 兵庫県警が誤認捜索 不正アクセス事件めぐり

2012.2.10 14:48

 インターネットの会員制交流サイト「アメーバピグ」をめぐる不正アクセス禁止法違反事件があり、兵庫県警が今年1月、事件と無関係の大分県内の男性会社員(45)宅を誤って家宅捜索していたことが10日、捜査関係者への取材で分かった。プロバイダーが県警に誤った情報を提供したのが原因といい、県警はすでに会社員らに謝罪したという。

 捜査関係者によると、神戸市北区の中学1年の女子生徒(13)が昨年4〜5月、同サイト内で別の利用者にIDとパスワードを教えてしまった後、不正に変更されてサイトに接続できなくなった。

 女子生徒側の訴えを受け、県警はプロバイダーに照会。神奈川県と大分県に住むいずれも14歳の男子中学生4人と、会社員の自宅から、不正変更後にアクセスがあったとの回答があり、1月に容疑者不詳のまま5人の自宅を捜索した。

 会社員宅の捜索では、女子高生(16)ら家族全員から事情聴取したが、一貫して否認。不審に感じた捜査員がプロバイダーに再確認したところ、別の大分県の男子中学生(15)宅からのアクセスだったことが判明した。

 不正アクセスが確認された中学生5人について県警は、不正アクセス禁止法違反容疑などで神奈川県内の14歳の男子中学生3人をすでに補導。大分県の男子中学生ら2人についても10日午後に書類送検した。

★記事終了 MSN産経ニュースより

この記事は一見「不正アクセス記事」のように見えるが実は警察が本格的にネット捜査に踏み出した事を表している。ここ数か月このような一般人逮捕記事が目立つが、2ちゃんねるの書き込みでさえ警察が出動して書き込みした人間を特定してたいーほしているのは、警察が捜査方針を明確にした、つまり表現の自由なんて警察の裁量次第で逮捕するよって事実上表明した事である。

 

警察は以前なら「あっちの世界の話」と放置していたが、次第にネットが社会の役割を背負うようになるとネットをどう扱うのかを決める必要が出て来た。そして当然の帰結としてネットは匿名ではなく実名と同じ扱いになり実名で誰か他人に危害を与えると書くとそれだけで脅迫罪などの犯罪が成立するようになった。

 

2ちゃんねるは匿名で書き込みの出来る大掲示板であったが今後は急速にしぼんでいくだろう。例え匿名で書き込んでもやばい事を書けば警察捜査で見つけ出して逮捕に繋がるからだ。どれだけネットと言う媒体が広がってもそこに流通するコンテンツ=情報が「今日何食べだ?」であれば政治的意味は全くなくなる、政府の勝ちである。

 

FACEBOOKがまさに実名書き込みで一世風靡しているが今後の世界のネットの流れは実名にシフトするだろう。匿名ならどんな薄汚い便所の書き込みでもしてたチキン連中は実名になった瞬間に何も出来なくなる。

 

書き込みに責任を持つのはぼくからすれば当然の事と思っているので警察が便所の書き込みを取り締まる事になったのは良い方向性だと思う。しかしぼくが同調出来るのはそこまで、つまり書き込みに責任を持つという点まであり、警察が望んでいるのはそれ以上、つまり完全なる言論統制である。

 

腹の中で何を考えてても結構、けれど国家が右と言えば「それはおかしい、左もあるはずだ」なんて書き込みをすれば、一般市民なら別件逮捕で罪状は電車の痴漢、風呂屋の万引き、酔っぱらっての婦女暴行、何でもアリだ。経済評論家や教授クラスであればマスコミを使って社会的に潰してしまう。

 

こうやって人々が考えるのは「おお、こええ、やっぱ警察ってこええわ、書き込み止めとこ」と言う事になる。つまり自主規制である。警察としても大事にしたいわけではないから一罰百戒で「そうかそうか、分かったのならよろしい、お利口にする人間は多めに見るぞよ」って事で予定調和が図られて、今後は政府の望むことを書けば一点もらえてそうでなければ一点減点、三点減点でたい〜ほ、みたいな事になるのだろう。

 

これがまさに昭和初期の日本で起こった現象である。大正デモクラシーがいつの間にか軍部の台頭により言論統制が行われ、美濃部博士による天皇機関説が不敬罪となり、こうなるともう法律的に正しいかどうかではなくその場の雰囲気を理解しているか、その場の空気に従っているかがすべてであり、そうでなければ「法的に正しいと言えども倫理的にどうなのか?」などと言う議論が出てくる。

 

そう、法よりもその場の空気が優先される時代になり、隣近所の人にも下手な事が言えなくなるのだ。ドイツでも日本でもイタリアでも最初は国民に熱狂的な人気のある政党が出て来て政府が作られいつの間にか国民の為の政府が国家のための政府に変わってしまい、ドイツではユダヤ人迫害の「水晶の夜事件」が起こった。

 

今の日本の空気もネット捜査を見ているといよいよかと言う感じがする。これからは政府が気に入らない人間やある特定の層についてはマスコミを使って叩き税務署を使って税務調査して警察が強制捜査に入り徹底的に潰し、それを見た他の人々は何も言えなくなるだろう。言論は個人が怖いなって思った瞬間から自己規制が始まる。

 

こんな事を書くと「え〜?まっさか〜」と思うのが殆どの人の反応だろうと思う。それは分かる。ただ、歴史には常に一定の起承転結がある。歴史は繰り返す。今の時代の流れを昭和10年頃に当てはめてみると非常に危険な気がする。

 

日本が今後武器を持って戦う戦争と言う選択肢を取るか、武器を持たずに戦う金融戦争なのか、国家同士がサイバー戦争をするのか、いずれにしても一旦何かが始まれば国民が一切逆らえない中で物事が急速に動き出す。その時に何かしようとしても、もう遅い。一旦動き出した巨船の方向は個人がどれだけ抵抗しても変えることは出来ない。

 

ぼくが2000年頃に書いてた新聞コラムでは2010年までの予測をしていたが、大体予想通りになった。2005年までは起業家が盛んに出てくる。玉石混交であるがそのうち振り分けが終わり政府に従う起業家は生き残り成長し政府に逆らう起業家は潰される。それからの5年は官僚が力を付けていく時代になり、2010年頃を迎える。

 

ここまで何故当たったか?それは2000年当時の流れが1945年の日本、つまり官僚が完全に自信を失い民間を制御不能になり個人が次々と起業していった時期とダブルからだ。その後1950年頃から官僚は再度タッグを組みオールジャパンで再起して乱れ立つ民間企業を次々と整理して1955年の政治的統一(55年体制)を行い官僚は日本株式会社を作った。

 

これからの10年がどうなるか?世界の流れは三極化である。日本は中国の極に入る。もちろん出来るだけ良い位置に付けられるようにするだろうがそれは外務省の腕次第である。これから多くの法案が次々と出て来て多分一年前なら絶対に通らなかったような法案が通るだろう。自衛隊は海外常駐となり中国海軍と共同作戦を行っているだろう。消費税増税、高所得者への所得税増税、相続税強化を含む大増税が行われ、同時に「可哀想な若者たちの為に」高齢者への福利厚生が切り捨てとなる。それでもダメならインフレを起こして国債を紙切れにすればよい、これで健全な財政改革は成功する。

 

その方向性に対して既存メディアが逆らう事はない。総務省に首根っこを押さえられた彼らはすでにジャーナリストではなく政府広報部なのだ。そして個人がネットで逆らうような記事を書けばすぐに別件逮捕である。ネットに流れる情報は「今日何食べた?」であり既存メディアは政府広報をするのだからそれ以外の政治的意見は国民の耳に届かないので存在しないのと同様になる。

 

デモをしようにも昭和初期と違い国民はそんな事言っても何とか食えているのでまだ本気でデモにはならない。そのうち次々と法案が通り政府が望む通りの国家が出来上がる。社会主義日本の誕生だ。言論統制とは結局そのような事なのだ。今は昭和10年頃と考えてみたらどうだろうか?そして昭和10年から昭和20年までの間に何が起こったか?



tom_eastwind at 09:42│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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