2012年02月17日

予防と終末医療について

★抜粋開始

意外に思われるかもしれないが、医療経済学、公衆衛生のアカデミックな論文で、予防で医療費・介護費が減ったことを報告している論文は、私の知る限りほとんど存在しない。多くは、むしろ予防で費用が増えるというものである。

 

それは良く考えれば当たり前の話で、予防のメインは健診を徹底化することである。しかしながら、健康診断を受けようとしない人々とはそもそもどういう人かと言えば、生活習慣に何か後ろめたいことがある人、病気をもっている可能性があると自分で思っている人である。

 

こうした人々に、強制的に健診を行えば、かなり高い確率で、何かしら病気を見つけてくるのである。病気が見つかれば治療をせざるを得ないので、予防で返って医療費は増えることになる。さすがに、「がん」ぐらいは予防で早期発見する方が医療費が減りそうに思うかもしれないが、多くの論文は「がん」でさえ、予防でむしろ医療費が増えることを報告している。

 

これは、健診せずに「がん」に気づかなかった人々は、気づいた時には既に手遅れの状態となっているからである。手遅れなので医療費をあまりつかわずに亡くなってしまう。その意味で、医療費が例えかかっても、がん検診などで早期発見をすることは患者にとっては良いことであるが、しかし、それで医療費が減ると言うのは間違いである。

 

介護についても、残念ながら、予防で介護費が減ると言う事実は、アカデミックな論文ではほとんど報告されていない。効果があるとする論文も、費用的にはほとんど無視しうる大きさであると報告されている。こうしたことを考えると、表中の(2)にある金額は全て、効率化分1.2兆円から削除する必要がある。

★抜粋終了

 

どこかのブログから抜粋したものだが元ネタ添付忘れたので上記のデータが正しいかどうかは証明できない。しかし少なくともニュージーランドでは予防と言う考え方は殆ど存在しない。それはまさに費用対効果の問題だからだ。予防よりも治療の方が費用がかからないから予防をしない。

 

まさに「ガンになってから来てください」だ。更に医療費節減効果?があるのは、ガンに罹った人の次の診療は半年先です、でもって半年後に行くと「今忙しいから2か月後にもう一度来てください」となり、順番待ちのままガンで死んでしまうというケースが散見されるのでこれはさすがに報道でも時々取り上げられる。しかし政府関係者の姿勢は明確であり「そこまで予防や医療受けたければ自分の費用でやってください」となる。

 

つまりニュージーランドでは国民の税金で賄う医療費を大雑把に二つに分けて、怪我や急病などはすぐに治療するし政府が費用を負担するが年を取ってかかるような慢性の病気はゆっくりと静かに寿命を迎えてください、その分子供の教育に税金が回せますからって事だ。ドライではあるが合理的である。最近では男性の前立腺がん、女性の子宮がんと乳がんについては国費で予防をするようになった。これは単純に計算して予防費用の方が安いと判断したからだろう。

 

日本人が苦手とするのは本音と建前を使い分けて生活している結果、治療してもお金が無駄なだけの植物人間にパイプを繋げて長生きさせようとすることだ。医者は尊厳死を提案すれば殺人罪に問われるし家族は親戚の目があるからチューブを外せとは言えないし親戚からすれば無責任な建前で「あそこの家族はひどいわね、お世話になった父親が死んでもいないのにチューブ外してくださいなんて言い出すのよ」となる。

 

こうやって全員が三すくみ状態の中、日本では医療費だけが突出して激増していく。厚労省も長期対策を検討しているだろうが、この際ドラスティックに今までの日本の伝統である「親の世話は子供が見る」と言う発想を切り替えて「老老介護」や「リタイアメントビレッジとホスピスの本格導入」により介護疲れ殺人問題を解決させ現役労働者が仕事に就けるようにして老人も人生最後の時を苦しまずにチューブだらけにならずにゆっくりと死を迎えさせる発想が必要だ。

 

てかここまではいつも書くことでここから先が今日の本題だが、日本から移住してくる人たちはニュージーランドで定期健康診断がないのにまずびっくりする。「医療は整っているんでしょ、なぜ予防をしないのですか?」予防が当然と思ってる人からすれば「その方が費用がかかりますからね」と言う答えにびっくりする。医療をお金で計るのか、おかしいじゃないか!となる。けれどじゃあ予防と名目が付けばいくらでもお金を出すのか?片方では政府の財源は不足して医療費も不足しているので税金上げると言えば反対するのに予防でおカネが出ていくのは問題ないというのか、それが治療よりも余分に費用がかかるとしても?

 

この点は「あの世がある」とか「天国を信じると」か「現生だけでっせ、今を楽しみましょ」と人によって宗教や哲学が違うからどこにお金をかけるかは個人の価値観の問題だろう。ただ日本の場合は一般社会人がその哲学議論に踏み込まずに、そのずーっと手前で皆が本音と建て前でばかり逃げまくって真剣に考えようとせずに肝心の議論に踏み込んでいない気がする。だからいつも上滑りの議論になり自分の親が病気になったら建前を押し付けられて苦労することになり親戚の親が病気になったら今度は建前を押し付けて鬱憤を晴らすくらいだ。

 

誰もがしっかりと議論しないから目の前に介護が出て来てから初めて「どうしよう?」と悩む。しかしこれなど皆が元気な時に家族できちんと議論をして価値観を統一しておけば問題にはならない筈だ。そして終末チューブ医療と子供の未来のための教育とどちらに自分のおカネを使うか、10対0ではなく2対8くらいの予算配分でいいんじゃないのとか、きちんと意思統一を図っておくべきだろう。

 

日本はこれから大増税の時代になる。しかしそのお金がほとんどすべて医療に使われるとなったら?それも治る見込みのない病気に対してお金を注ぎ込み、結果的に儲かるのは製薬業界と役人だけとなってしまえば実に馬鹿げた話だと思わないだろうか?

 

それよりは「死」と言う誰もが避けられない現実をしっかりと見据えて、自分を含めて「医療はこれで十分、あとは安楽死させてくれ、臓器は大学や臓器バンクに寄付するよ」と意志表明しておけば病院側も随分と効率的に活動できるってものだ。

 

定期検診や予防が当然と思う国から来れば予防と言う概念がない国がとても不思議に思えてくるだろうが、それは医療水準が低いとかではなく医療経済学や哲学の違いなのだという事を理解しよう。

 

と、こんな事を言いながら何だがうちの会社では社員に定期健康診断を会社の費用で受けてもらってる。これは医療経済学ではなくそろばん学?(笑)である。当社の平均年齢は若く社員数が少ないから病気で長期休暇を取ってしまうとシフトを組み替えるのが大変、だから病気にならない為の仕組み作りもしておく。これは道徳観ではなくそろばん学だから社員が感謝する必要もない、むしろ「しゃっちょさん、あんたも悪でんな〜」とでも言ってもらえば良い(笑)。

 

会社の運営を円滑にするために国家の税金に頼る気持ちはない。ぼくは定期検診を会社に導入する事で対応する。けれどそれと国家が老齢者も含めた全体の財政、税金の再配分をどうするかってのは別問題だ。

 

予防がテーマではあるがそれは結局終末医療にまでつながっているからめんどくさくてついつい議論を避けるだろうがあなたは自分の子供たちと「医療と教育」について話をした事があるだろうか?子供に「お父さん、医療費よりも教育に税金を再配分するべきじゃない?」って聞かれてどう答えますか?

 

日本でも最近はジェネリック医薬品が導入されるようになった。それでも今はまだ皆が払った税金の多くが医療費として支払われ、製薬業界と役所だけが潤うようになっている。それって、嫌でしょ?どうせ税金払うなら将来の為に子供の教育に使いたいとか考える人もいるでしょ?だから税金の再配分を含めて予防と終末医療とをどう考えるかが大事になるのです。

 

結果的に東洋的思想が強い日本では西洋のようなドライな結論にならないかもしれない、けれどそれでもいいのです、大事なのは自分で考える事、人ときちんと話をすることなのですから。



tom_eastwind at 11:03│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔