2012年02月27日

無識の指揮官は殺人者なり

★記事抜粋

東大地震研の所長まで務めた森本良平元教授が「産経」に寄せた手記がある。94年8月31日の夕刊。タイトルは「めど立たぬ地震予知 研究現場の本音と建前」。そこから核心部分を抜粋する。

「昭和44年、地震予知計画はナショナルプロジェクトとして出発した。それからは、官僚の予算獲得技術に助けられ(略)着実に年間70億円の支出が確保されて、25年が過ぎた。しかし、いまだ予知の端緒すら開かれていないし、今後とも奇蹟でも起こらぬかぎり、開かれるとも思えない」。

これだけでも十分、驚かされるが、94年以降、奇蹟的にある程度の予知が可能になったのでは、との意見もあろう。だが、残念ながら、やはり奇蹟はそんなに簡単に起こるものではない。

 東京大学理学部教授で、やはり地震学の権威であるロバート・ゲラー氏が昨年8月末に出した著書『日本人は知らない「地震予知」の正体』(双葉社)が話題になっている。ゲラー氏は同書で、徹底して「予知はできない」と主張しているからだ。

 同書でゲラー氏は、地震予知がある程度可能とする、同じ東大でも地震研のメンバーは世界の地震専門家の考えに反しており、「ガラパゴス化する『ナマズ派』」と揶揄している。同書でゲラー氏は、確かに現在、地震研究の最先端を行く米国地震研究者の間でも、例えば、カリフォルニア州パークフィールド付近のサンアンドレアス断層が22年周期で起きるという説が唱えられたことがあったが、それは1980年代のことで、ほどなく否定されたと述べている。

 現在、わが国で地震予知の主な根拠の1つになっているのが、実はこの米国で少なくとも20年以上前に否定された「周期説」だ。実際、かつてあれだけ騒がれ、予知に巨額予算が注がれた「東海地震」だが、60周期に当たる92年を20年も経過し、現在もなお起きていないのは厳然たる事実だ。

「同じく、地震予知の主な根拠の一つに『前兆説』があります。大きな地震の前には小さな地震が多発するなど何らかの前兆があるとの説です。ですが、今回の東日本大震災でもそんな前兆はまったくありませんでした。 一方、ハザードマップ(30年内M6以上の発生確率)作成の主な根拠の一つに『固有地震説』があります。一言でいえば、基本的に各地域に同じ地震が周期的に繰り返すというものです(《上》記事中の「周期説」はプレート型地震。こちらはプレート周辺の活断層の直下型地震での説)。ですが、この説も阪神淡路大震災(95年)といい、新潟中越地震(04年)、岩手・宮城内陸地震(08年)といい、起きたところはことごとくといっていいほどマップでは確率の低いところなんです。米国ではこの説も、とっくに誤りだったと結論が出ています」(《上》記事中の匿名研究者)

 

 こうした事実から、実はわが国でもすでに80年代には、東大地震研教授も務めた金森博雄氏(その後、渡米し米国地震学会会長まで務めた)、東大理学部教授だった竹内均氏(故人)らは「予知は不可能」と公言していた。(上)記事で登場した東大理学部教授のロバート・ゲラー氏の師は金森氏。だが、こうした「正統派」の考えに反し、東大地震研を頂点とするわが国地震学者の大半はその後も、「地震予知は出来る」との立場を取り続け、今日まで何ら成果を挙げられないにも拘わらず巨額予算をもらって来た。なぜ、そうなったのか?そこで、もう一度記事で登場願った東大地震研所長だった森本良平教授の「産経」手記に戻ろう。そこには、こんな記述もあった。

「(地震予知研究の予算申請をしだして間もない69年ごろ)その(予算申請の)とりまとめの事務を引き受けた気象庁から大蔵省への書類提出に際し、担当大臣の中曽根運輸相より、研究計画では百万円単位の交付しか期待できないが、実施計画にすれば、千万円単位以上の高額予算配付が可能になる旨のアドバイスがあった」。

 

実際、そのアドバイス通り、地震予知の予算は急増して行くのだが、ここで登場する中曽根氏とはいうまでもなく中曽根康弘元首相のことだ。中曽根氏といえば、読売新聞社主でもあった正力松太郎氏(故人)と共に、原発を米国からわが国エネルギーの柱として導入した立役者。正力氏は初代原子力委員会委員長(56年)に就任し、“原発の父”とまで呼ばれたが、同じころ、国会の原子力合同委員会委員長に就いたのが中曽根氏だった。

 前出・地震研究者が証言する。「中曽根氏の入れ知恵で予算アップが出来た東大地震研を頂点とするわが国の地震研究者が、中曽根氏が旗を振る原発の国策化の妨げになるようなことをす

るわけがない。 地震大国のわが国にそもそも原発を作ることは無理があった。当然、地震は

大丈夫かとなる。ところが、なぜか原発周辺の活断層が消えたり、分断されたり(地震規模が小さくなる)する。予知はあくまでカネを地震学者にやる名目で、要するに口止め料。だから、政府は予知の可否に関係なく巨額予算を出し続けて来たということ」。

 

この結果、地震学者の“配慮”は福島原発でも見られた。09年、原発の耐震安全性を論じる政府の作業部会で、岡村行信委員が福島原発付近で貞観地震(869年)が起きた際、今回の東日本大震災のような10Mを超える巨大津波が起きた可能性があるとして、その規模への対応を迫った。(参照「しんぶん赤旗・日曜版」11年5月1日号)

 ところが、東電担当者は、貞観地震で巨大津波が襲ったことを示す証拠はないと虚偽答弁(実際は、信頼できる文献に“城が壊れた”などの記述がある。また90年代から、同様の指摘をする研究者もいた)。だが、他の委員は沈黙を保ち、誰も岡村委員の提言を支持しなかった。

 

その作業部会を主査として取り仕切ったのは、(上)記事冒頭に登場の纐纈一起・東大地震研教授だ。前出・匿名研究者はこう吐露する。「東海地震でものの見事に“短期的予知”に失敗した後、彼らは“中期的予知”を言い出し、ハザードマップ作成に至る。だが阪神淡路は元より、今回の東

日本大震災もまったく予知できなかった。というより、予想通りの無理な結果となった。

 それが世界の地震学会の圧倒的常識なのに、『無理』と明言すれば自分たちの予算が激減するから口を噤み、予知研究は適当にやり、ほとんどの予算は自分の趣味の他の研究をやっていた。国民の血税を使ってね。私に言わせれば詐欺ですよ」

 これが真相だという。これではまさに国家的詐欺、霊感商法とさえ変わらないではないか。もはや、地震予知にはビタ一文血税を投じるべきではないだろう。だが、民主党政権も自民党政権時代からのこの“犯罪”を踏襲し、耐震性は保証されたとして早くも原発再稼動を言い出す有様だ。大手マスコミもこうした真相を未だに報じようとはしない。

★記事抜粋終了

アクセスジャーナルからの抜粋。世間で公表されない裏ネタを定期的に発行する有料メルマガで有名である。

抜粋文章は長くなったが、略して言えば「中曽根と正力が日本の原発政策を推進しようとする時に困るのは、日本は地震国であり頻繁に起こる地震を予知出来ない事だ。原発直下で地震が起これば原発が吹っ飛ぶ。吹っ飛ぶのはよい、そこに自分はいないのだから。けど責任を追求されたら困る。

そこでまず地震を予知できることにして地震の起こらない安全な場所に原発を作りましたと言い訳をする。そうすれば実際に原発が吹っ飛んでも「学者の言うことを聞いただけです」と逃げられる。 地震学者は金をもらえて好きな事が出来るし予測が外れても確率の問題ですと逃げられる。各省庁は予算が獲得出来るし天下り先を確保出来る。

逃げられないのが原発を安全だと思って受け入れた地域住民である。原発と地震に津波、最悪の条件下で作られた日本の原発群は長期にわたり国家に電気をもたらして人々に繁栄を与えたが、ある日突然大地震が来て大津波が起こり原発が吹っ飛んだらその地方はすべてを失ってしまう。

「日本は東京さえあれば良い」と言うなら原発を地方に置くのはそれはそれで正解だろう。「福島が滅んでも日本は継続出来る、けど東京が滅んだら日本全体が滅びるではないか。だから東京には危ない原発は置かずに地方に作りそこから長い電線で電気を運び、建設費用から維持費用、地域住民対策などの費用は国民全体が平等に負担すれば良い」と言う考え方もあるのだろう。

問題はその考え方が日本全体で共有しあえる考え方かどうかだ。今の日本で原発が必要なのか?水と電気が大量に必要な20世紀の工場が今の日本に必要なのか?地震予知も出来ず原発も危険性が明確になった現在、次の地震がどこで起こるか誰にもわからない状態でも原発再稼働が国民全体の合意なのか?

ぼくは決して当時の中曽根さんの判断を間違いだと言ってるわけではない。ぼくも当時政治家であったらそう判断したかもしれない。国家戦略として加工貿易国家を目指した日本は大量の電気と水を必要とした。その結果海は汚れたが日本は経済発展した。何を取り何を捨てるかの選択肢の中で原子力は安全で再利用可能なエネルギー(実際は安全で無いことも再利用不可能であることも後日判明するのだが)なのだから国策に一致しているのだ。

エネルギーを中東に頼りっぱなしの日本にとって原子力発電と核再利用は当時としては本当に夢のようなエネルギーと思われていたのだろうし原子力の専門家でもない彼が信じたのもある意味当然であろう、なにせ相手は東大の学者なのだから(半分皮肉半分マジです)。いつ中曽根さんが原発の危険性に気づいたのかは分からないし気づいても方針変更しなかったのは少し上の方で書いたように「福島が吹っ飛んでも日本は残るが東京が吹っ飛べば日本が吹っ飛ぶ」という二者択一の判断だったのだろう。

しかし今は21世紀である。技術革新は進み産業政策も大工場から知的集約型に大きく変化している。今は原発を捨てる良い機会である。国民は節電と原発とどっちを取るか?これから来る夏に向けて国民投票をしてみたらどうだろうか?その代わりもう嘘はつかない、政府は真実をすべて説明してから国民に信を問うべきだろう。



tom_eastwind at 19:13│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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