2012年03月29日

「光る風」 山上たつひこ

1970年に少年マガジンで連載された近未来SF漫画。その当時はあくまで空想だった。けどこれはまさに2010年代、今の日本か?と思うような話が続く。当時米国支配下にありながら次第に自衛隊が軽装備から中装備になり、今の時代になって震災があり国民思想取締りが少しづつ強まり言いたい事も言えない空気が社会全体を覆う中、防衛庁が防衛省に格上げになり国民側も社会の空気を読んで(忖度して)政府と共に「赤狩り」を始める。

 

少しづつ危機意識が高まっていく日本では社会の底辺に置かれた人々が団結して自分たちの為の社会つくりを計画するようになる。今の日本で言えばまさにニートや失業者がいずれこの層になるのではないか。

 

今の日本のように一部の支配者が残りすべての国民を支配する中、すでに平等という意味がずれ始めている。ニートに残された社会はない。テレビで女優が素敵な笑顔で君を見つめてくれるけれどニートや年収200万円、実物の彼らに君は届かない。年収2千万円の金持ちにはすぐに手が届くが貧乏人にとってはいつまでも手がでない。

 

漫画の中では水俣病をイメージしたような公害による奇形を抱えて生まれた若者が言う。

「きみたちのように“正常”な人間として生まれ“正常”な環境でそだった人間とおれたちのように奇形人としてこの世に生まれてきたものとでは平等という言葉の感覚そのものが違うんだよ。」

 

そうなんだよね、同じ言葉を使っているけど、もうその定義、意味が違っているんだよね。いいとこに生まれて美味しいもん食って育った子供が卒業式の晩に考える“平等”と、貧乏人の子供として生まれて自分の責任でもないのに、あの同級生はこの街一番の美味しいステーキハウスで家族と一緒に誕生パーティでステーキ食べてるのに、ぼくは家族がちっちゃな食堂で鶏肉食って、ああ美味しいな久しぶりだなっておもって、けど両方共資本主義の下では“”平等なんだよね。

 

日本という資本主義にみせかけた共産主義のような国に生まれて、子供にどう戦えと言うのか?資本主義における機会の平等も共産主義における結果の平等も担保されなかった僕ら子供は資本主義でもないし産主義でもない社会から飛び出すことで唯一平等と公平が守られる事に気づいた。

 

漫画では関東を襲う大地震が起こりそれを機会に国賊を取り締まる警察及びカンボジアに海外派遣される日本国防軍を賞賛するという筋書きだ。これなどまさに朝鮮人虐殺事件だ。

 

もう随分前になるが自衛隊がイラクに派遣されて海外派遣が実施された。その後もソマリア海賊退治のために少しづつ海外派遣が行われ、それまで防衛庁だった組織が防衛省に格上げされて自衛隊が実質的に世界でも軍隊として認識され始めた。今の日本の自衛隊員が本当によく頑張っているのは十分以上にありがとうと言いたい。しかし個人意識と組織は別である。

 

何十年かぶりに読んだ山上たつひこ、世間では「こまわり君」で知られたお笑い漫画家だが、本当の熱い力は「光る風」にかかっていると思う。

 



tom_eastwind at 19:26│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

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