2012年04月16日

都市間競争

★抜粋開始 池田信夫ブログより

生協のような民主的なNPOは、単純再生産にはいいのだが、成長するためには利潤を最大化する資本家が必要だ。株式会社では資本家がすべての決定権をもち、労働者はそれに従うか辞めるかの選択しかない。これは独裁だが、労働者にはexitオプションがあるので問題はない。他方、exitできない国家では民主制によってvoiceで異議を申し立てる必要がある。

 

・・・というのがこれまでの常識だったが、Dysonのいうように21世紀の都市が企業に近づいてゆくと、両者の違いはなくなる。都市がNPOのように単純再生産するのではなく、世界の他の都市と競争して人口を引きつけ、成長しなければならない時代には、そのガバナンスも企業に近づく。つまり都市のインフラに投資する資本家が市長(独裁官)を任命し、市民は多くの都市の中から好きな都市を選んで住む。いやなら出ていけばいい。

 

都市国家が合併してできた主権国家は、高コストで非効率になった。先進国の国民負担率は50%を超え、公的部門が経済の重荷になりつつある。他方、都市国家や小国が高い効率を上げている。世界の一人当たりGDPの上位はルクセンブルクやカタールなどの小国ばかりで、アジアでも香港やシンガポールは日本とほぼ同じだ。こうした国(地域)の共通点は、民主的な政府がないことだ。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51784457.html

★抜粋終了

 

池田氏のような発想は多くの日本人には受け入れられないだろう。「日本を出るだと!国を捨てるのか〜!」と、今だもって国家と故郷の区別も出来ない思考停止組が日本の各都市でわーわー言ってるのだからどーしよーもない。

 

思考停止は年齢に関係なく子供の頃に刷り込まれた国家に対する幻想を抱いたまま日頃何も考えずによく言えば無頓着、悪く言えば思考停止している人々に現れる現象だ。年を取れば取るほど脳が硬直化して他人の意見が全く耳に入ってこなくなる。

 

21世紀はまさに都市間競争でありどこの都市も優秀な人材を集めようと必死である。ニュージーランドの移民政策も同様であり移住希望者が誰でも来られるわけではない。当然の如く優秀な人材に絞って移住政策を作っており、それは香港でもシンガポールでも同様だ。ここでは民主主義が良いかどうかではなく都市間競争の厳しさを書きたい。

 

21世紀は人類の多くが都市に住むようになる。そこでは様々な地域で生まれた人が集まって競争をしながらよりよい仕事を得ようと働く。都市そのものに魅力がなければ遠慮なくその都市を捨てて次の都市に移る。

 

20世紀のような「この街に生まれてこの街で生活して家族を作って老後を迎えればそれで幸せ」という生活体系が変化している。香港に生まれた香港人でも中国大陸からやってきた大陸人と競争をして負ければ首になるのだ。以前のように移動出来ない時代であればそういう事はなかったが、21世紀は移動の高速化とネットの発達により全く変わった。

 

つまり都市そのものが変化を始めているのに自分たちはその場所で生まれたというだけで既得権益を主張して権利(=給料)は要求するが義務(=指示に従い労働)は果たさない、それどころか「何でこんな仕事をするんですか。これって違うと思います」と経営者に反発して仕事をしないくせに給料をもらう時だけは当然のような顔をして全額一日の遅れもなくもらう。

 

そんな都市=会社が継続できるわけもなく働かない労働者に乗っ取られた企業が倒産するのは自明の理であり、これが21世紀は都市間で起こると言うことなのだ。これはすでに企業が発注する業務が外国企業という事態がよく表している。あなた達が発展途上国の若者とそのまま競争して負けているのだ、だらだらと働きながら給料だけは途上国の数倍受け取ろうとする無理が企業の外国発注となっているのだ。

 

そしてこれは更に企業が都市から出ていくという次の舞台に来ている。世界が平準化する中では企業は高いコストのかかる都市で経営していては他都市の競争相手に負けて淘汰してしまう。だから出ていくのは必然となる。これはトヨタでも避けられない運命なのだ。

 

つまり今起こっている社会現象は貯蓄を持つ地方都市に生まれた人間が何もせずにひたすら禄を食み働かず文句ばかり言って貯蓄を食いつぶしている状態なのだ。

 

都市から企業が出ていき税金や労働力など条件の良い都市で活動するようになれば、出ていかれた都市では若者の働く場所がなくなり税金が取れなくなり遂には都市が崩壊して人が流出するようになる。

 

どうしても流出出来ない人々、高齢化した人々は細々とした生活を送るしかなく、それもいつまで政府が負担してくれるか、支給の原資となるなる納税が不足した時点で終わりである。

 

働かない代表のような大阪市役所労働組合員と生活保護にたかる人々(ほんとうに必要な人ではなく、もらえるからもらっておこうという連中)が大阪を地盤沈下させたのは当然であり、同じ日本でも都市とその司令官によっては大きな違いが出る。

 

わかり易い例が東京の発展と大阪の地盤沈下である。1970年代までは大阪の方が東京よりも賑やかでありビジネスが発達しており大阪の工業地帯は東洋のマンチェスターと呼ばれた。しかしその後経済的繁栄の内容が変化して東京が一極集中となった。

 

九州でも明治時代は熊本県が九州経済の中心であったが(九州逓信局は当時熊本にあった)後半になると福岡県が力を付けていつの間にか九州の中心を福岡に持ってくることに成功した。負けた熊本はやっと今になって新幹線が走るような状態である。

 

「株式会社では資本家がすべての決定権をもち、労働者はそれに従うか辞めるかの選択しかない。これは独裁だが、労働者にはexitオプションがあるので問題はない。他方、exitできない国家では民主制によってvoiceで異議を申し立てる必要がある」

 

今まではexit出来ないと考えられていた人民が21世紀はexit出来るようになった。その時点で都市にとって生活者はお客様になったのにその事実に気付こうとしない。いつまでも自分の支配下にいる奴隷、くらいに思っていては都市間競争に確実に負ける。

 

その代わり市民も出ていくだけの実力を持つ必要がある。英語力などの語学力から始まりどこでも生きていける生活耐性能力、経済的に自由を保証する労働能力、そのような能力を子供の頃からしっかり身に付けておかねば、大人になっても働く先はない。

 

都市間競争では指導者の独裁的能力が大事だと書かれているが、その意味では今のニュージーランドの政治体制とジョン・キー首相についてはキーウィにとって幸運と言えるだろう。嵐のようなリーマンブラザース危機を切り抜けてクライストチャーチの地震を機会に街造りの見直しを行いオークランドをそれまでの市の集合体からグレーターオークランドという1つの行政体にしていく力はまさに都市間競争で必要とされるものだ。

 

都市間競争が始まりますます個人が自分の能力に頼るしかない時代になってきた。他人にぶら下がってのうのうと偉そうな事ばかり言うような連中は都市間競争から自分たちが逃げ切れると思っているのだろうか?



tom_eastwind at 15:17│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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