2012年04月21日

タクシー

鈴木雅之と聖美のタクシーって、いつ聴いてもいい歌だよね。「タクシーに手を上げて ジョニーの店までと 」最近のカバーCDブームで古い名曲が聴けるようになってありがたい。それがまた、カバーが上手い。さすが日本。ばかアメリカのように目先の売上だけで何もかんもラップするような低レベルではなく、しっかり歌い手と原曲のバランスを考えている。

 

鈴木雅之のカバーも聴き応えがある。しかしまあ流通方法は本当に変化したよね。昔はお店でLP買って聴いてたのがカセットテープ主流になり次にはCD,そして現在はインターネットのダウンロード。音楽業界もふんぞり返って著作権だけで飯を食ってるようじゃ時代遅れだ。

 

ほんとはダウンロードで買いたいのだがItuneでは基本的に英語の歌しか買えない。日本語の歌は殆ど売っていない。でもって日本版サイトに行くと今度は海外発行のクレジットカードが使えない。まさに「つっかえねーな」である。

 

なので仕方ないから今はとりあえず東京のAmazonで購入して東京のホテルに送ってもらい出張の度に受け取るようにしている。国境がないはずのAmazonでさえ本は輸出出来てもCDDVDは海外に送れないのだ。音楽業界も早いとこ国境取り除いて日本の歌を英語版にして世界に売り出すくらいの覇気を見せてもらいたいものだ。

 

でもって今日の本題。

 

説明会でよく使うネタの一つに「タクシー」がある。ニュージーランドでは一般的に乗客はタクシーの助手席に座る。日本で横に座ったら変態と思われる。中国で横に座ったら強盗だと思われて運転手が逃げる。けれどニュージーランドでは乗客は助手席に座る。

 

ニュージーランドで生活をする時にいくつか理解しておくべき点があるが、タクシーの助手席乗りもそのひとつだ。10年以上もニュージーランドに住んでる日本人に「なぜキーウィは助手席に乗るのか?」と聞いてもほとんどの人は明快な答えが出てこない。何故なら自分の周囲で起こっている事に関心がないからだ。

 

本題のタクシーの助手席乗りだが、これをキーウィに質問しても彼らも答えられない。日本人が自宅で靴を脱いだり畳で正座したり、頂きますとご馳走様をうまく英語で説明出来ないようなものだ。

 

けれどその動作の語源?にはきちんと意味がある。場所を置き換えてみよう。あなたが友達の車に乗るときに後部座席に座るか?座らないよね?普通は横に座っておしゃべりするよね。

 

キーウィの助手席座りも実はこれと同じで、タクシーの運転手も乗客も社会を構成する一員でありその意味で仲間であり見知らぬ友達だ、だから当然のように横に座るのである。金を払うから神様とか金をもらうから奴隷とかそんな発想は全くない。

 

互いに人間なのだ、お互いに社会にとって必要なことをしているのだ、例えば彼はタクシーの運転手をすることで僕を空港まで送ってくれるし僕は飛行機に乗って中東にガソリン(LPG?)の買い付けに行く、それでお互いの商売が成立しているって考え方だ。

 

非常に簡単な話で職業に貴賎なし人間に上下なし、あるのは仕事処理能力の上下だけなのだ。テレコムの社長がタクシーに乗っても助手席に座って普通に運転手とおしゃべりをする「おい、テレコムの使い勝手どうだい?」とか。

 

給料が高ければ偉いのか?金を払えば偉いのか?そんな事ないでしょ、誰もが社会の中で必要な位置で必要な仕事をしている。むしろ高い給料を得てリーマン・ショックを引き起こした挙句に退職金をがっぽり貰った連中のほうがよほど社会の害悪である。

 

これは僕の持論だが、人間はその気になればなんでも出来るけどやっちゃいけない事がある。それは反社会的行為だ。社会に参加する以上その社会に害悪を与えるような仕事はやるべきではない。

 

その代わり社会を成長させる仕事であれば現場が無理と言おうが世間の実態がどうだろうが他人がどうだろうがガンガンやればいいと思う。ちなみに僕の反社会的行為には今世間で言われている「反社」は含まれていない。権力を持った暴力が正当で権力を持たない暴力が不当だなんて、臍が茶を沸かすぞ。反社と呼ばれる人たちを使って一番金儲けしているのは世間の特権階級なくせにさ。

 

まあいい、それは置いておいて、ニュージーランドは原始的社会主義が今でも残っている。皆は社会に参加して社会のために働きそれで正当な報酬を得て生活をする。仕事が出来ない状況だったり病気だったりする人は報酬が得られないので社会全体で守る、それがセーフティネットだ。

 

例えば江戸時代のクジラ漁をしている漁村を考えてみよう。鯨を見張るのは遠くまで見える子供たちの仕事だ。鯨が来れば元気の良い若者が船に乗って鯨を獲る。鯨を浜まで運んでくれば次は老人たちの仕事だ。鯨を解体して全員に配りおばあちゃんたちは様々に料理をする。

 

それでも全員の取り分は平等でありお互いに与えられた仕事をしている。子供はいつか若者になり若者はいつか老人になる。中には近視の子供もいるだろう。前回の漁で怪我をして今回ので漁に出られない若者もいるだろう。足腰が動かなくなった老人もいるだろう。そのような人たちは村で助けて守り彼らの出来ることを与える。そして寿命の来るまで面倒を見る。

 

寿命が姥捨て山なのか畳の上なのかはそのムラの習慣であろうが、いずれにしても村という共同体はお互いを助けあいながら出来るだけ落ちこぼれがないようにして社会を守る。でなければ弱いものから順々に死んでいって最後は若者が老人になって漁に出られなくなり村は滅びる。

 

ニュージーランドの失業保険は半年とか1年とかの区切りがなく、誰でも65歳まで支給される。65歳からは老齢年金が支給される、生まれて一度も年金を払わなくても失業保険を払わなくても、である。

 

考えてみれば当然である。もし人間に上下があって金がある奴だけが偉くてそうでない人々は能力がないのだからセーフティネットなんて必要ない、死ねと言うのならいつか人類は全部滅びるぞ。

 

人類は一人では弱い。生まれたばかりの子供は歩くまでに半年以上かかるが羊の子供は生まれて数時間で歩くようになる。人間を山の中に一人で放り出せば餌も見つけられずに飢え死にするか肉食動物に食われて終わりだ。

 

人間が何故これほど地球上で繁栄出来たか?その理由の一つ都市化して生きることが出来たからだ。固まってもその中には落ちこぼれもいるだろう。しかしそのような人間でも守っていく、その保証が社会に参加する人々に安心感を与え女性は子供を生むことが出来るのだ。

 

そのような発想からいけばタクシーの運転手もジョン・キー首相も同じ社会の構成人であり仲間なのだ、仲間だから隣に座って話をする、当然の事なのだ。

 

無論そのようなことを今更日本でやれと言うわけではないし僕も習慣としてタクシーは後ろに乗る。今更高邁な理屈を鼻の先に付けて助手席に乗るのは社民党みたいで自分に嘘を付いているだけなのでやらないが、少なくとも何故キーウィが助手席に座るのか、その理由が分かればそれだけこの国に対する理解力が高まりニュージーランド生活の許容力が身に付くと思う。

 



tom_eastwind at 16:16│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

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