2012年04月25日

逆淘汰

淘汰といえば変化出来るものが生き残り変化出来ないものは滅びることを指すが今の日本ではそれと正反対の逆淘汰が起こり始めている。

 

ぼくの仕事はニュージーランド移住や企業の移転・買収であるが、日本を出ていく人々を見ると皆実にごく普通で昭和の世代であれば社会のど真ん中で一生懸命働いて、盆踊り実行委員会の委員長やったり会社の中でまとめ役になったりするような人々である。

 

資産家にしても同じで、自分で資産を作ってきた人は昭和の世代なら地域の名士として様々な機会に自分の住む地域のためにお金を含めて貢献していただろう。

 

そのような「普通に良い人」が海外に出れば日本に残るのは誰なのか?それはおそらく昭和の時代を楽しんだ団塊の世代や古さから抜け切れない企業であろう。

 

もちろんそのような人ばかりではないだろうが少なくとも彼ら退職した団塊世代がこれからの票田であり彼らはこれから20年は生きるだろうから日本の政治は組織票ではなく地域に散らばった団塊世代の票を拾っていく必要がある。

 

そうなると薄く広く日本全体に散らばる団塊世代が喜ぶ政策を導入することになり、それは老人介護施設の充実とか70歳でも楽しめる社会つくりである。それは当然税金で賄われるし70歳でなくても税金を払うことになる。

 

つまり簡単に言えば今の若者がただでさえ不公平感のある年金だけでなく更に団塊世代を支えるために税金を払うことになる。それでも財源が不足する場合は国債を発行する。

 

実はここに問題がある。国債は例えば30年かけて償還する場合、今5歳の、政治的に全く発言力のない立場やまだ生まれていない世代が30年後に国債を償還するためだけにお金を作り税金を負担することになる。

 

「代表なきところに課税なし」という米国独立戦争時の有名な言葉がある。当時の英国議会に米国の意見を代表する議員は送られておらず、それなのに米国で作った製品に税金をかけるとなった。この時米国人は「そりゃおかっしい、政治的に発言出来ないのに納税をしろってどういう事だ!」として英国に反発、これが独立戦争の引き金となった。

 

この理屈でも分かるように今の日本政府がやっていることは子供の世代や生まれてない赤ちゃんたちに税金を負担させようとしているのだ。

 

つまりいまの日本のやばい点は大地震でもデフレでもなくこれから育ってくる若者が普通に生活しても親の世代の借金返済のためだけに働くしかなくなるって点だ。学校に行きたくても教育費は削減されて高くて行けない。病院に行きたくても自己負担が多すぎるので行けない。

 

まるで江戸時代の女郎である。親が貧困のために子供を売り飛ばす、子供は親のために吉原で客を引く、病気になったらそのまま捨てられる。それがこれからの子供世代となるのだ。

 

これはすでに現在の日本でも一部発生している。親が突然のリストラに遭い次の仕事が見つからないまま健康保険も払えず給食費も払えず次第に学校に行かなくなる子供が増えている。将来はこれが普通になっていく可能性があるのだ。

 

厚生労働省は最近世代間格差を調査した資料を公表したそうだが、それは既得権益を守りたい世代の人々の為の「公益」でありまだ生まれてこない世代も含めた持続する社会作りと到底思えないのは僕だけだろうか。

 

今の日本で起こっていることはほんの少数ではあるが変化出来る人が海外に出ていき大多数の変化出来ない人が国内に残るという逆淘汰である。

 

いや、国内に残ってても良いのだ、その人々が変化を恐れずに日本の雇用の流動化を制度化し起業家が出やすいように規制緩和を行い同時に起業家の失敗を許して再挑戦の機会を与え、団塊の世代が国家の借金を自分の世代で返すような制度にして生まれくる子供たちの為に素晴らしい日本を残してくれれば良いのだ。

 

変化、出来るか?



tom_eastwind at 13:20│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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