2012年04月27日

国境のない時代

シンガポールでもグローバリゼーション?

 

シンガポール出身の中国系弁護士と打ち合わせをした。今回の出張ではシンガポールで弁護士や会計士との会議が入ってるのでその下準備。

 

彼は温厚な人でいつもニコニコしているのだが今回の打ち合わせの最後に雑談でシンガポールの就職事情の話になった時に少し暗い顔をして「考えても見ろよ、隣国のマレーシアやインドあたりはシンガポール人の半額の給料で喜んで働いてくれる、能力はシンガポール人と同じとなれば普通のシンガポール人じゃ勝ち目ないじゃん」と嘆いてた。

 

シンガポールは世界でもトップクラスのスピードで発展している国の一つだが人口は500万人程度であり経済規模は17兆円、日本の福岡県と同程度、隣国との付き合いは人的交流を含めて必要だ。毎朝マレーシア側から越境してくるトラックの荷台に乗ったマレーシア人出稼ぎ人を見ると「お、シンガポールに来たな」って気になるのは僕だけではないだろう。

 

シンガポール生まれの女性は無茶苦茶自分勝手でろくに働きもせずに偉そうにして文句ばかり言って生産性ゼロなのにシンガポールで中国系の政府に繋がる家庭に生まれたからってだけでそんなに偉そうにしてていいのか?てか足太いし服のセンス無茶苦茶悪いしってのは僕の言ってることではありません(笑)。

 

結局平等ってのは誰にも平等に存在するものではない。何時の時代にどこの国で生まれたかってだけでも十分に差別であるのに同じ時代に同じ地球に生まれて何の努力もしないxx(ぼくは言ってませんよ、ある人の受け売りです“笑”)が威張り腐りやがってさ、普通にまともに勉強している俺たちなんてどうなるんだよってのは、これも地元の人のご意見です。ぼくの意見ではないので最初にお断りしておきますね。

 

シンガポールの海辺のスターバックスに入った時でも学生が分厚い本を分厚い眼鏡越しに読みながら冷たいコーヒーを飲んでるのを見かけた。ほんとにシンガポールの教育熱心なのには頭がさがるが、ここまで勉強しても結局は生まれ育ちの時点で負けているって現実はひっくり返しようがない。

 

だもんで最初に出てきたシンガポール出身の弁護はまだ幸運な方だろう、英国の大学で法律を学びシンガポールとニュージーランドの両国で弁護士資格を持ち現在はのんびりとしたニュージーランドでキーウィペースで仕事をしてるからだ。

 

ちなみに1NZドルは1SINドルと大体同じ価値でありNZの弁護士の年収が10万ドルとすればニュージーランドでは幸せな部類に入るしストレスなく仕事をして毎日自宅で家族と食事が出来る。

 

けれどその彼からしてもお隣のインドやマレーシアは脅威に映るわけで、インドあたりの学生の頭の良さってのは他の人種とは違った一種違ったものがあるしシンガポールにはすでに多くのインド人が住んでいるので彼らを通じてインドがビジネスパートナーとなる場合はシンガポールに生まれ育った若者がインドで生まれ育った若者と直接競争にさらされる。

 

シンガポール人は外食が中心なので美味しい料理を作る料理人ならシンガポールで楽しく生活も出来るだろう。けれど普通にシンガポール大学を卒業した普通に頭の良い子では自分の給料が高いというだけで隣の国に仕事が流れていき、今のシンガポールで起こっているグローバリズムはまさにこの中流階級を狙い撃ちにした現象である。

 

1990年代までは国境という壁に守られて国内需要である程度良い生活が出来てた中流の人々が国境の消滅により直接海外との競争にさらされてしまい、すべての先進国の中間層が開発途上国?であるインドや中国の人々と競争にさらされている。

 

その結果は経済合理性からいって両国の賃金格差がゼロになるまで続くわけで、それは日本でもシンガポールでも関係なく発生している「経済現象」である。シンガポールでも日本でも、両親からすれば子供が優秀な大学、東大やシンガポール大学に入学できたらそれで一安心していた時代はもう終わった。

 

「おっかしいな、おれたちの時代はこれで良かったんだけど、何が間違いだったのかな〜」そうやって頭をひねっている両親もいるだろう。ぼくが話をした弁護士も友達の子供の就職事情を聞いて「どうしてかな〜、おれたちの時代はこれで良かったのにな〜」と考えている。

 

そう、あなたたちの時代であれば大卒というだけで良かった。時代のせいにして問題が解決出来るのならそれも問題ない。リー・シェンロンに縁のないのを親の生まれのせいにして問題が解決するならそれも良しだ。周囲を気にせず美味しい海南鶏飯を作ることに集中するのも楽しいと思う。どのような人生を選ぶのも本人の選択である。

 

シンガポールの普通の家庭に生まれ賢くて英国で勉強して行動的だからニュージーランドにやってきてキーウィペースで弁護士として働く彼は幸せな人生を送っているように思う。他人に見えない苦しみもあると思うがそれでもいろんな国を渡り歩くだけの技術を身に着けている状態はグローバリズムの大波のなかでも有利だと言える。

 

パーネルの彼の事務所を出てシティに戻るとクイーンストリートにいつものように暇つぶし乞食が道端に座って「金くれ」とダンボール紙にマジックで書いて俯き加減に道行く人を見ている。キーウィである限り金がなくて死ぬなんて事はないが、自宅では退屈してやることもないし人と話す機会もないから街に出てきてバカな事をやっているのだが、それもその人の人生。

 

ぼくは彼らの選んだ人生も否定はしないが、けれどぼくには近寄るなと気を送りながらオフィスに戻った。



tom_eastwind at 16:33│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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