2012年05月02日

政治家

りょうまくんが今日は嬉しそうに僕の迎えの車に乗り込んできた。「ねえねえお父さん、今日はとっても楽しかった〜、あのさ、歌を歌ったんだけど、審査員の先生に“りょうまくんは自分の声帯と選曲が良いから聴いてて気持ちいいわね」って言われたんだ〜」

 

なんじゃそりゃ?そう言えばここしばらくりょうまくんがIphoneをマイク替わりに右手に持って音楽に合わせて歌って録音して練習してたな、なるほど学校の授業でこんなのもやってるんだな。

 

「へ〜、先生がほめてくれたんだ、良かったね」というと「違うよ〜、みんながすごいね〜って言ってくれたんだ」とニコニコしながら言ってる。

 

「それってもしかして人前で歌ったの?」

「そーだよ〜」

りょうまくんは面白いほどに「ものおじ」をしない。どこでもなんでもどんどん突っ込んでいく。日本人の、悪い意味で言う恥を気にしない。日本人の場合は99%出来てもまだ「え〜、恥ずかし〜できませ〜ん」という。

 

けれどりょうまくんはやっぱりこっちの学校で育ったせいか、他人の目を全く気にせずに自分のやりたい事をやる。出来るできないではなく、まずやってみる。それで失敗すればもう一回やればいいや、最初から成功なんかするわけないしって考えている。

 

ん〜、考えているってのは正解ではないかもしれない。りょうまくんの場合は何も考えていないからだ(笑)。理屈でどうのこうのとか、こう考えてみようとか、そんな小難しい事は一切考えない。

 

「人前で歌えば失敗すれば恥ずしい、だから歌わないなんてのは成長にとってマイナスじゃないか」なんて理屈さえ存在しない。歌いたい、だから歌う。皆が聴いてくれて喜んでくれるともっと気持ちいい、ただそれだけ。

 

この子、香港の幼稚園とニュージーランドの小学校で正式に自閉症と認定されて政府から補助金もらってて11歳過ぎてやっと普通学級に入ったけれどそれでも最初の1年くらいは全然周囲と会話が成立しなかったくらいの国際的自閉症だったのだが、最近はすっかり人が変わったように毎日をケラケラと笑って周囲と楽しく遊んでいる。

 

この子には友達の肌の色が白とか黄色とか全く目に入らない。みんな友達なんだし楽しくやろうよ、そう本気で信じることが出来る子供になった。

 

これもある意味ニュージーランドの障害児教育のレベルの高さだと思うしこうやって人前で堂々と歌えるなんて親からすれば嬉しくて仕方ない。「ほら、やっぱり言ったとおりでしょ、坂本龍馬も子供の頃はおねしょしたりぼけーとしたりしてたけど若者になった瞬間に急に人間が入れ替わったように明るく楽しい元気な青年になった。それと同じだよ、ずっと昔から言ってたでしょ」って昔りょうまを馬鹿呼ばわりした連中に言いたい。

 

子供の時から親の顔色見て育って小利口に回りを立ち回り学校で良い成績を取って回りを蹴落として大学まで行き優秀な企業に入社したけど結局は自分ってものがないし周囲と仲良くして全体を盛り上げようよってのが出来ない小利口バカは目先の自分の利益しか理解出来ない。

 

偶然だけど今朝奥さんに会社まで送ってもらう車の中で「ねえ、りょうまくんは法律の勉強してから政治家になるってのもありよね〜」と言い出した。へー、うちの奥さんがこんな事言い出すのも珍しいなと思って聞くと、彼女は最近りょうまくんの変わり様にいろんな将来の選択肢が広がったようで、その中で世の為人の為って考えればやっぱり政治家いいかもね、あの子の性格にも合ってるしねと考えているようだ。

 

ニュージーランドでは日本のような二世政治家がいない。政治家はあくまで国民の代表として働く人間であり偉くもなくバカでもない普通の人間である。お金儲けであればもっと他の仕事があるわけで、子供に財産を残すなら家族信託を作れば相続税はゼロである。

 

なのに政治家をするってのは自分がやりたい事が国民全体の利害調整だし自分が出来ると思うからだ。そこには自分が儲けようとかの発想はない。技術的な事は官僚に任せれば彼らが計算してどの選択肢ならどうなるかと提出する。政治家はそれを見て国民の視線で「じゃあこれで行こう」と決断する。それが政治家であり官僚である。

 

地盤看板カバンを残そうなんてのはある意味政治活動において最低の動きである。政治が商売になってしまい最後は誰がたくさん手下を集めたか、餅代を払えるか、選挙時の弾丸をくれるかしかない。

 

そしてその政治家を押すのは地元に利益を誘導したいだけの後援会会長のハゲチャビンだ。偉そうに政治がどうのというが要するに地元に利権を引っ張りたいだけであり全体最適を全く考えていなかったから今の日本がこんな無茶苦茶になった

 

ぼくはりょうまくんが大好きだが、それは彼が学校の成績が中の下だからでもついこの前まで特殊学級に通ってたからでもなく要領が悪いからでもなく、とにかく他人の気持ちを考えることが出来る子供だからだ。

 

もうかなり昔の事だが僕の友達がオークランドで居酒屋をやってた。お昼時はどこの店もやってるように店の前にお弁当を積み上げておいた。そこに通りがかった中年の髪ぼさぼさの浮浪者。少し酔ってるのか疲れてるのか、ふらっとしながら体を動かして積み上げていた弁当の一番上にあるのを取ってそのまま歩き去ろうとした。

 

当然店主は怒るわけで店を飛び出して「こら、金払わんかい!」となる。それでもふらふらとするだけの浮浪者。

 

そこに偶然通りがかったきちんとした身なりのビジネスマンがその光景を見て近寄ってきて「あ、ごめん、彼は僕の知り合いなんだ、弁当買う金を持ってくるのを忘れたようだね、大丈夫、僕が彼の代わりにお金を払うから。さ、このお弁当いくらいだい?迷惑かけてすまなかったね」と謝る。

 

びっくりした店主は「えっと、9ドル・・」と言ってお金を受け取り、浮浪者はそのまま去り、ビジネスマンも何事もなかったように去っていった。どう考えても浮浪者とつきあいがあると思えないビジネスマンがたまたま目の前で見た出来事を誰も納得できるように解決しようとする。

 

「法律ではこれは窃盗で〜」とか「社会主義においては誰もが平等で〜」とか、そんな小難しい理屈ではない。今目の前にある状況でどうやって皆が幸せになれるかを考える、それが肌で分かる人間が世の中を良くしていくと思う。

 

ところが今の日本では、自分だけが儲かればいいとか親が政治家だから俺も政治家になりましただとかおらが村に新幹線通すためにおらが村出身の政治家を使いおらが村だけの利益を考えるとかの結果として日本という国がズタズタにされているのではないかと感じる。

 

ニュージーランドの政治汚職が世界で最も少ないベスト3に選ばれたりするのは偶然ではないしやはりその背景に何かあると思う。この国で子供を育てて分かるのは、他人との競争ではなく自分との競争を楽しみながら努力出来る人材を作れる仕組みである。

 

もちろん怠ける子供は結局怠ける。自分との戦いに負けて浮浪者になる人もいる。そんな浮浪者に対して自分のポケットから直接9ドルを支払い名前も言わずに「富の再配分」を行う人もいる。

 

口先だけの平等論や偉そうな資本主義者が本当に日本を良くするのか?あり得んな。大事なのは実行力であり、それは日頃からやってないと何かあった時に絶対に出てこない。そしてその実行力とは考えていては間に合わない性質のものだ。

 

りょうまくんがこの国でもうすぐ15歳になる。車の免許を取れるようになる。次は出来れば大学かな。行かなくてもきにしないけど、彼の性格に合った仕事、社会と楽しくうまくやっていける仕事を見つけてくれればと思う、例えそれが政治家であれ。



tom_eastwind at 18:43│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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