2012年05月03日

広東語、てか外国語について

広東語「ンーゴイ、プンチェシーヤオガイ、ンンユーチョン!」

日本語「すみません、半匹の醤油鶏、ねぎなしで!」

 

オークランドに住んでいる日本人で中国語を話す人は少ないと思う。だからだろう、ぼくがノースコートショッピングセンター(センターとは言っても青空の下に2階建ての商店がずらっと並んで、端っこにカウントダウンがあるだけ)の中国人のお店で醤油鶏を買うのに広東語を使っていると、お店の人も誰一人として不思議がらずに普通に広東語で「たれは付ける?」とか聞いてくる。

 

鶏肉のハーフサイズが11ドルで手元に20ドル札しかなくて

「レイ、ヤウモウヤッマンア?」(1ドルある?)と聞かれて

「モウイ―シーア、モウサンチーア」(ごめん、小銭がないんだよ)

こんな会話を普通にやっていると誰が見ても中国人と思うだろうが、ぼくはれっきとした日本人である。

 

香港では、とくに僕の住んでいた街では広東語が出来ないと命取りであり(結構マジ)当時香港のレストランは2重価格制度(英語だとメニュー価格が2倍になる)を採用していたので(笑)、地元の店で地元価格で食おうと思えばやっぱり広東語は必須。

 

香港に住み始めたのが32歳でその当時は全く広東語が出来なかったが、職場のスタッフと少しづつ会話を広げて半年も経つ頃にはすべての会話(バカ話を含めて)を広東語でやってた。だから日本から派遣された駐在員は最初僕の事を中国人かと思って下手な英語で話しかけてきたりしたものだ。

 

なんで半年くらいで全く違う言語を習得出来るのですかと聞かれるのだがなんとも答えようがない。ただ何となく感じるのは学び方が普通に学校に行く人と違うのだろうなって事だ。

 

彼らの話す広東語は最初は全然聞き取れないがそのうち彼らがある一定の動作をする際に必ず同じ言葉を使うことが分かる。例えば首を右にかしげて「ディムカイ點解?」は「なんで?なぜ?」だ。何かを指さして「メアレイガ〜?」は「何?」。

 

そんな具合に動作と言葉を組み合わせて言葉の基本である「いつどこで誰がなぜどうした?」を当てはめていき、次に単語を記憶する。電話なら「でぃんわ〜」、天気「てぃんへい」、麺「みん」、バス「パーシー」、タクシー「てきしー」みたいな感じで身近なものを覚えていく。

 

そのうち慣れてくると「ガムヤ、てぃんへい、ホウ(今日は天気がいいですね)」と文章を作り会社のスタッフに朝会うと必ず右手の広さし指を天に向けてにこっと笑ってこのセリフを繰り返す。最初は引かれていたがそのうちこっちの意思が伝わったのだろう、だんだん「げいほう!(いいね)」とか「おお、ちょうさん!(おはよう)」と言ってくれるようになった。

 

そして彼らも次第に「この日本人はちょっと違うぞ」と考えだして、昼飯に連れて行ってくれたりすると「ふぁいち、ちーがん、ぱくふぁん(お箸、スプーン、白ご飯)」とにこにこして指さしながら教えてくれるようになった。

 

その頃は香港島の赤柱の隣の浜辺で毎週2日きっちりとウィンドサーフィンをやっててその時周囲の友達は全部日焼けした元気な男たち。自然と話は「限定」される、随分素敵な広東語を教えてもらったものだ(笑)。

 

外国語を勉強するときのコツってのは、多分ネイティブの中に遠慮なく入って行って彼らの礼儀を守りながら頑張って昨日覚えた単語を今日使い彼らを笑わせて、ぼくに言葉を教える楽しさを伝えるって事があると思う。

 

ただ当然ながら言葉は手段であり目的ではない。どんなに発音が良くても中身がなければまともな人間は相手にしてくれない。子供がきれいな英語を話してもそれでは法廷に立って弁護士活動は出来ない。

 

その意味で例えば高価な万年筆を買って「ほらすごいだろ、この万年筆!」とか自慢しても肝心の字がぬたくるようでは洒落にならない。ましてやぼくは英語は28歳になってやっと本格的に使うようになり発音でたらめ、広東語だって主に若い女性から教えてもらったので女言葉?になってる、つまりヘタな道具しか持ってないのだから自慢にもなりゃしない。

 

僕の目的は明確で、この「生き馬の目を射抜く街」で生き残ることだった。そのためには30過ぎた僕が20そこそこの女の子に笑われても言葉を学ぶ必要があった、それもできるだけ早く。

 

なので今もあまり言葉の話はしない。「海外に住んでるんですか〜英語出来るんですよね〜私も英語勉強したいんです〜」なんて人に聞かれても「あまり出来ませんよ、今もシェークスピア英語を読んでも全く理解出来ませんから」と言ってる。事実だし出来たってそれだけでは意味ないし。

 

所詮言葉は意思疎通としての会話をする武器であり道具でありそれ以上でもそれ以下でもない。なのに何故か日本人がこっちに来て英語の勉強をするというと完璧を目指そうとする。何故か手段が目的化しているのだ。

 

外国人がおとなになってからどんなに頑張っても発音の矯正は難しく八百万社会で育った人間にはキリスト教社会で生まれ育った人々の英語の冗談はまず理解出来ない。言葉の背景となる文化や価値観が全く違うのだから当然だろう。

 

ぼくがりょうまくんと一緒に英語のテレビ番組を見てても彼の笑うタイミングとぼくの笑うタイミングは微妙にずれる。それは彼がこの国で子どもとして学んだこの国の文化が背景にあるしぼくにはないからだ。

 

面白いのは、これが広東語の番組だと同時に笑える。奥さんも僕もりょうまくんも同時に笑える。これはおそらく中国も仏教文化があり同じ価値観を持っているからだろう。

 

ちょっと話はそれたが語学を学びたいという人は自分がその言葉を使って何を話したいのか何を言いたいのかを最初に決める必要がある。何故学ぶのか?どこまで学ぶのか?それは戦略だ。

 

戦略的終了地点を作らないままにいたずらに「英語勉強したいんです〜」ってのはあまり意味がない。だって落とし所がないからだ。そういう英語の学び方だと結局だらだらと学校に行くだけで失敗を恐れて街で使うことも出来ず恥ずかしくて地元社会にも入り込めずにいれば、そりゃ英語は伸びないわな。

 

外国語、とくに英語を学ぶって場合は大人になってからどれだけ学んでもやはり発音や正確な理解には限度がある(例外はある、外務省にはすごい英語使いがいるらしい)

 

昔ぼくが香港で夜のアルバイトで日本語を教えていた時、生徒は多種多様だった。40過ぎのおばちゃんがいかにもさっきお店から来ましたって格好でちょこんと座ってる。「何を学びたいですか?」と聞くと「おかゆの種類と味の説明。それだけ分かればもういいから」だった。

 

わっかりやす〜。まともに学問も学んでない裏通りのお粥屋のおばちゃんが戦略を立てて「おかゆの営業」の為に日本語を学びに来る。2ヶ月もすれば彼らは学ぶべきことを学び学校を辞めて仕事に戻る。

 

香港のお粥屋で見かけるヘンテコな日本語表示を見ると日本人は最初きょとんとして次にあ〜あと思うが、あれの責任の一端は僕にもあると思う(笑)。もちっと学んでくれれば、「おかゆ」が「おかわ」になることもなかったのだが・・・。

 

これからニュージーランドで生活をする人は日常生活で当然のように英語が必要になる。その時にまず理解すべきは外国語を学ぶのも戦略であり何をどこまで学びたいか領域を明確にしておかないと、いつまで経っても何を言いたいか分からない英語しか身につかないと思う。

 

先週友達と飲みに出た時に日本人の集まるバーがありそこでわいわいと情報交換しながら飲んでたら、2つほど離れたボックスで二人組のおっさんが女の子相手に威張った顔で「おれさ〜、香港にいてさ、広東語出来るんだよね〜」と言い出した。

 

「へ〜、すごいですね、何か喋って下さい!」と予定調和の回答を受け取ると彼はいきなり「ンンゴイ、や、いーさん、せい、んー」と数を数え始めた。「ありがと、いちにいさんよん」だ。10まで言ったあたりでふーふー言いながら「ほら、出来るだろ〜!」だって。優しい日本人の女の子は予定調和で「あ、すごいですね〜」

 

ぼくは隣の友人に「おい、あいつに112って何て言うのか聞いてみようか?それとも“今日の天気は良いですね”って何て言うのか聞いてみようか?」笑って腰を上げそうになる友達の手を隣に座っていた女の子が苦笑しながら押さえて「やめてくださいよ〜!」

 

言葉は所詮武器であり武器自慢をしても何の意味もない。おれんち金持ちだし〜って言うような空疎な空威張りにしかならない。

 

大事なのはその武器でどのような戦いが出来るかだ。その意味で香港の小学校しか出てないようなお粥屋のおばちゃんは明確な戦略を持っており日本の一流大学を出た駐在さんはあまり明確な人生戦略を持っているとは思えなかった夜だった。



tom_eastwind at 19:10│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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