2012年05月10日

I Love you

旅日記としてお読みください。

 

シンガポールを真夜中に出発して朝8時に福岡に着き午後にミーティングを3つこなしてから友達のやっている中洲の店に顔を出す。この店は以前は2階にあったのだが引越しで1階になってからは飛び込みのお客様も来るようになったようで、ええこっちゃだ。

 

どうでもいいことだがこの店のすぐ隣りのビルの3階にあるのは、ぼくが20代の頃に通ってたフリー雀荘だ。当時は相手が誰か分からずに椅子に座ったら麻雀するわけで、ある時など麻雀やってる最中に警察が来た。「いや、あんたらの賭けを調べに来たんじゃないんで心配しないでくださいよ、それより昨日このメンバーで打ってたちょっと太めのおっちゃん、覚えてますか?」

 

そういえば何かよく笑う豪快なおっちゃんがいたな、どうしたんですかと聞くと「いえね、先週大橋で起こった銀行強盗の容疑者なんですよ」とか(笑)。指の短い人もよく出入りするお店であり1980年代の楽しかった思い出の一つであるが、あの頃はそんな事も許されたんだよね。

 

現在の中洲は1980年代の賑やかさはなく、当時は道路を歩くだけで一苦労なくらいに人が出回っていたが、今は通りによっては「もしかして客引きの兄ちゃんの方が多い?」って感じる。客引きをやっているお兄ちゃんたちはどう見ても20代前半でありバブルなんて知らないから普通に道端にウンコ座りして380円のコンビニ弁当食べて家賃7万円のアパートに友達と一緒に住んで発泡酒を飲んでる。

 

時代の移り変わりというのはこういうことだ。何時の時代も賑やかな街はあるし寂れている街もある。ところがそれは永遠ではなく常に入れ替わりをしている。

 

最近は古事記とか古い時代の本を読んでいるが、日本が京都を中心に栄えた時代には名古屋など地名も出てこないしましてや江戸などは遥か彼方の野蛮な田舎、更に北に行けば蛮夷の蟠踞する国であった。

 

ところが今の時代は当時江戸と呼ばれた東京にすべての権力と資金が一極集中して世界の大都市の一つにまで成長した。大阪の繁栄は過去のものとなり地方都市は次々と寂れていき、元気があるのは名古屋と福岡くらいのものだろう。

 

もし客引きの兄ちゃんがもっと田舎の地方都市生まれであれば客引きの仕事さえなかっただろう。もしかすれば兄ちゃんは長崎の離島の高校を卒業して夢を見て福岡に来て客引きをしているのかもしれない。結局彼らを惹きつけているのは都市の魅力である。

 

彼らの顔を見る限り自分の仕事にマイナス面を感じてる様子はない。むしろ楽しんでいるように見える。故郷の田舎で畑仕事をすることを考えれば中洲のようなきんきらした街で仕事があるだけ楽しいのかもしれない。

 

もしかして彼らを飲み屋に連れてっておでんでも食わせながら「どうよ、もっっと上に行こうと思わないかい?」と聞けば「ええ?このままでいいっすよ、今ちょうどいいっすから〜、あ、お姉さん牛すじもう一本、それとナマいっちょね」なんて答えが返ってくるかもしれない。

 

そう、職業に貴賎はない。どのような仕事であれ社会が必要としているのならその仕事は社会に役だっている。農家で野菜を作るのも立派な仕事だし中洲の夜の案内人になるのも寂しいお父さんたちの為の立派な仕事だ。

 

数年前に出張した北海道岩見沢の飲み屋街を思い出した。1960年代は炭鉱ブームで栄えた飲み屋街は今も昭和の雰囲気を残したままだけど街を歩く客はほとんどいなくて茶髪に染めた若者がたむろしてタバコをふかしながら仲間とのおしゃべりを楽しんでた。

 

ぼくは友達と二人でタクシーを降りて、だべってる兄ちゃんの一人をこっちがキャッチして「ねえ、どこかいい店知ってる?紹介してよ、おれたちよその街から来ててここの事よくわからないんだよね」と言って2千円くらい握らせた。「そこ良かったら次に行くからもっと紹介してよ」というと彼はびっくりしたように「は、はい、いいんすか、ほんとに〜?」ってちょっと緊張した若い声で答えてくれた。

 

この、少年と言ってもいいような若い男の子は炭鉱で栄えていた岩見沢を知らない。だから2千円もらっただけでうれしくて仕方ない。当時この街でゼロの桁がひとつ違うお金が飛び回っていたのを知らない。そして「誰かに頼まれてお金をもらって働く喜び」を感じたこともなかった。「しょせん客引き」となめたオヤジ連中に酔っ払った声で上から目線で「それで、なんぼになるんかい!」と言われてたのだろう。

 

けれど田舎には他の仕事もないしこの仕事だと友達と遅くまでだべってられるしおやじの畑なんてだっさいし〜。そう考えれば時給数百円の仕事でも仲間と一緒で安心だしな〜。

 

そう考えればどんな仕事だって社会が必要としていれば良いと思う。けどもし出来るなら、ぼくは彼らのような若者に昼間の雇用先を作ってあげたい、雇用先で作った友達と仲良くなってお互いに勉強しながら成長して欲しい。そして出来れば職場で知り合った真面目でちょっとはにかむと可愛い女の子と知り合って恋を楽しんで欲しい、昭和の時代の僕らがそうだったように。

 

中洲で道端に座ってギターを弾いている若者がいた。警察署の斜向かいの四つ角に陣取って尾崎豊を歌ってた。中洲に行く度に彼の前で「何か歌ってよ」とリクエストした。透き通った綺麗な声で歌う彼は通りすぎる人並みの中に埋もれてしまいそうだが、それでもしっかり歌っていた。

 

”I love you” を歌ってくれた彼の足元にあるギターボックスに千円札を入れて「じゃあまたね」というのが僕の中洲の儀式の一つだった。今回彼の姿がなく、どうしたんだろうな、どこか専属の店が出来たのか、歌をやめたのか、今日だけ具合が悪くて休んでるのか、自分に関係ないのに少し気になった。

 

職業に貴賎なし。歌をうたうのも仕事だし客を引くのも仕事である。この日本という大きな国家のなかでは様々な仕事がありうる。何をしているかではなくどのような人かで本人を判断すべきだ。

 

品川に着いてエキナカの行きつけの店で靴を磨いてもらう。マッカーサーの時代であれば子供の仕事であったが今はそれを立派にビジネスとして成長させている。可愛らし女性が靴の両端にトランプ・カードを挟んで磨いてくれるのだが、彼女らは実に活き活きとしている。社会に役だっているのだ。

 

ハートのクイーンの反対にクラブの2を挟んだのでちょっっと笑いながら言った。「豚引きいやですよ、少なくともキングとかハートってないですか?」と聞くとその子は「あ、はい、探します〜」と手元のカードをまくってた。

 

りょうまくんが将来どんな仕事に就くのかな〜、時々考える。けどまあいいや、うちの家庭の独裁者は奥さんなので彼女が決めることだし。僕が出来ることはりょうまくんにお父さんが「頑張って働いてるよ」って背中を見せるしかない。

 

岩見沢とか中洲の客引き。中洲んギター弾き。靴磨き。同時にぼくらのような仕事もある。ほんとに日本のはいろんな仕事がある。

 

ニュージーランドのように最初から田舎であり農家しかないし都会って言えばオークランドしかないし、そんな田舎ではあまり考える必要のない話であるが、これも旅の戯言かもしれない。そろそろ油切れたかな〜(笑)。



tom_eastwind at 22:38│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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