2012年05月13日

川の流れのように

世間を無責任に飛び回っている噂話ほどうざいものはない。誰かと誰かがひっついたとか離れたとか、他人の噂話を面白おかしくして井戸端会議をやり結局は自分の人間としての品位を下げているのだが本人はそんなことを思いもせずにその場で一番たくさん「あたし、知ってますのよ」とやって差別的快感に体をぞくぞくさせている。

 

井戸端会議で発生した誰も責任を取らない言葉は「火のないところに煙は立たぬ」など偉そうにそれらしい積み重ねを行なっていつの間にか全くの嘘がひとり歩きしていく。

 

その品のない虚構に傷つく人は次第にそのようなグループから距離を置いていくのだが子供たちのいじめの対象になったのと同じであり人間が持つ最低の品のなさを見てしまい人間に嫌気が差してくる。

 

これが個人レベルであればそれはちっちゃなお茶のみグループから離れていくだけで済むがメディアレベルでそのような井戸端会議レベルの虚構がそのままニュースになってしまえば、いったいどこから離れていけば良いのか?あなたが住む地域社会から出ていくしかないのか。

 

しかし答えはそのとおりであり世間の中心層である団塊世代や家庭の主婦などの95%は未だテレビと新聞で情報を入手していかにも「自分は知ってます。あなた、間違ってます」とやる。そして彼らのほうが数が多いから少数の人間がいくら理論的に説明しても聞く耳を持たない。

 

てか、最初から今起こっている現実とその説明に使う理論が理解出来ないので聞く耳を持たない。まるでフランス語しか出来ないフランス人に日本語で一生懸命説明するようなものだ。

 

世の中が見えない人間ばかりの場所では世の中が見えるほうが異常というが、みのもんたのガラガラ声と読売新聞に書いている事がすべてだと思ってる。みのもんたが先週言ったことと今週言ったことが違うことなどすっかり忘れてしまっている。

 

てか、そこからしか情報を得ていない人々は一昨年までは見事なほどに「え〜?原発って安全でしょ、だって新聞でそう言ってるわよ、あなたおかしいんではないの?」と言われ、実際に原発が吹っ飛ぶと今度は「原発ってね、とても危険なのよ、私は知ってたのよ!」とヒステリーを起こしたように周囲に向かって騒ぐ。

 

ところが政府の流れが今年年初頃から原発再開に動き出すといつの間にか新聞も「まあ安全と言われる原子炉だけはいいのでは?現実的に電力は必要だよね?」と分かったような事を書き始め、そうなると今まで原発ハンタイ!と言ってた人々が「そういえば現実的には難しいわよね〜政府が安全って言ってるならいいんじゃないの?」となる。

 

どれもこれも非常に無責任で刹那的な発言であり何より自分の頭の中で何も考えようとしない。けれど世の中の95%がそんな人でいる以上、妥協して彼らと一緒にいるか、それとも論戦を挑んで徹底的に原発の科学的問題を議論するか?

 

しかし現実的にはいくら個人が議論をしても、そんな個人は社会という激流を流れる小枝のようなものであり、あっちにぼかん、こっちにどかん、ぶつかりながら下流に向かって流されるしかない。流される先は大海である。しょせん小枝は時代という川の流れを遡ることは出来ないのだ。だからバカと付き合うとバカが移ると言っても地域社会で全く彼らとの交流なしには生活出来ないし交流しないとそれだけで変人あつかいされる。

 

ならば最初から自分の力で大海に漕ぎだした方がましではないか?

 

すべての海はすべての陸地に続き、違う陸地には違う考え方や法律や習慣がある。広い世の中、どこかには自分と同じ価値観を持った社会もあるはずだ、そう信じて漕ぎだしていけば、少なくとも他の人々が世の中の現実に気づいた時のカオス状態、原発が吹っ飛んだ時の人々の渦に巻き込まれなくて済む。つまりポール・ニューマンの映画ではないが「栄光への脱出」である。

 

この場合、流れる川を他人より早く漕ぎだすって事は例えば早いうちの英語教育もあるだろう、子供の舌は6歳までなら英語ネイティブとして通用する。また日本の終身雇用制の企業でしか通用しないルールをいつまでも後生大事に抱えるのではなく世界の同業種で通用する共通ルールを学ぶべきだろう。

 

そして一番大事なのはビザだ。いくら海外に住んでいても期限付きのビザであればいつかは退去しなければならない。どこの国も優秀な人材は常に欲しがっているが自分が果たしてその人材となれるか?それは誰よりも早く申請するってのも大きなポイントになる。ビザ枠は一定人数に達したら締め切りになり、それからいくら頑張ってもビザは取れないのだ。

 

例えばぼくが永住権を取得したのは1988年だ。当時は欲しくもない権利でありどうでも良かったのだがその頃の雇用主に「まあ、騙されたと思って取っておけよ」と言ったその一言がぼくの人生を大きく変化させた。

 

当時はパスポートに300ドル小切手を挟んで移民局に送れば数週間で永住権が取得できた。英語テスト不要、健康診断不要、無犯罪証明不要、学歴証明不要、現在雇用されていることだけを証明すればそれで永住権が取得出来たのだ。

 

ぼくの取得した年は当たり年だったそうで、その前後はまた取得が厳しくなった。しかしそれでも現在に比べれば非常に緩かった。ニュージーランドの永住権は一度取得して滞在2年経過すれば無期限永住権になり、こうなると10年ニュージーランドを離れていても永住権は取り消しにならない。

 

日本で説明会終了後に個人面談を行うのだが、そこでお客様から聞かれる日本の話はまさに「言葉が通じない状況」である。お客様から聞く日本の事情は決して楽しいものではない。

 

ところがそのお客様もビザ取得に関しては当然の事だがニュージーランドの情報は殆ど出回っていないから自分で判断して「出来ませんよね」とかになってしまう。しかし実際には様々な方法がある。例えばビザだけは先に取得をしておいて渡航を後ろにずらすとかで3年程度は時間稼ぎができる。

 

説明会や個人面談でぼくらが話していることはまさに本に書いていない事であり自分でどれだけ考えても絶対に結論の出ない答えである。

 

先月、今年移住したちっちゃいお子さんを抱える会員の中で年齢の近い方に集まってもらい簡単な食事会をした。子供を入れて30名近い人数だ。彼らは日本を出る時は一人で移住の不安を感じながらもオークランドにやってきた。けどパーティに参加してみると何と自分に近い価値観を持っている人がたくさんいるのを知った。午後の2時間程度の予定で組んだパーティだったが話は尽きず楽しんで頂いたようだ。

 

当社の位置づけは移住後の会員のハブでお客様はスポークにあたる。これからのぼくらの仕事はスポーク同士に輪っかを付けて皆が情報交換しながら「一人じゃないんだ」ってことを伝えていくことだ。

 

自分の住む地域社会では会えなかった人々が日本を遠く離れたオークランドという社会で会うことが出来た。川は海に繋がり海は世界につながっているのだ。

 

自分一人で悩まないで欲しい。動いてみればそこに答えがある可能性は非常に高い。てか動かなければ何も変わらない。移住説明会ではニュージーランドの全体的な話をしているがもし不安があれば下見に来ればよい。

 

すでに多くのお客様がオークランド社会で自分の生活領域を確保して地元に溶け込みながらバーチャルな日本人どうしの連絡も取り合っている。何より学校嫌いだった子供が現地の学校に毎日楽しく通う姿は親にとって最もうれしい話であろう。

 

次回説明会は7月7日(七夕)午後を予定しています。




tom_eastwind at 20:28│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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