2012年06月14日

民法第730条

直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない。

http://www.houko.com/00/01/M31/009.HTM

他にもいくつか同様の法律があるようだが明治時代に出来た民法が21世紀の今も生き残ってて、すでに核家族化した時代と全く整合性がないまま現状に至っている日本。

 

親を介護するために子供が仕事を辞めて生活保護を受けながら介護をするが、結局介護疲れで親を殺すとか、そんな悲惨な事件が起こるのは法律が現実に追いついていないからだ。

 

おいおい、三世代がずっと一つ屋根の下で生活をしていた時代であれば介護も分かる、おじいちゃんはちっちゃな孫の面倒を見ながらおとうちゃんは外に働きにでることが出来た。

 

が、現代では実際には三世代すべてが違う街で生活をするなんてのも当たり前になった平成の日本で今更明治時代の法律を引っ張りだしてきて「法律がこうだから〜」と噺の最初に持って来るからおかしくなる。

 

法律があるんだから法律を守らなくちゃっていう前にその法律の立法精神やその当時の立法背景を理解した上でその法律を適用するかどうかを考えるのが当然ではないだろうか?間違った法律の適用が介護疲れとか親殺しとかが起こるわけだ。

 

ニュージーランドでそのような現象が発生しない理由は社会が直接個人を扶養する考え方とリタイアメントビレッジという制度上の受け皿があるからだ。もともと社会主義国であるニュージーランドは世界で初めて老齢年金を導入した国でもある。国家が直接個人の生命と財産を保護するという考え方だ。

 

少し話はそれるが、1890年代のニュージーランドは,

・婦人参政権の確立(1893

・労使調停仲裁法(1894)

・老齢年金法(1898

とか、日本がまだ「からゆきさん」とか「野麦峠」とか「日清戦争」とか言ってた労働者搾取の時代にすでにこれだけの近代的なシステムを導入した国だ。当時は北半球のあちこちの国の議会が視察にやってきたほどだ。

 

しかもこれが何故かうまくいく。食べるものが豊富であり優秀な官僚と思想豊かな政治家がちょうど良いバランスだったのだろう。老齢年金法を通すときなどは当時の首相は議会の反対に何度もぶち当たったがそれでも貫き通して法案成立した。

 

このおかげで首相の信用は一気に上昇、国民が「大丈夫、あいつは俺達の事を考えてやってくれる、良い奴だ」となり、国家と国民が助け合いをするようになった。政府が赤字で苦しければ俺達から税金とっていいよ、お互い様じゃんか、そんな感じだろう。

 

この空気は今も残っている。去年の消費税増税法案でも問題なく通過した。最近NZで政治コメントとして良く言われる「老齢年金の支給開始年齢を現在の65歳から時間をかけて67歳にすればいいじゃないか」って意見に対してジョン・キー首相は「やらない。絶対やらない。国民との約束は破らない」と、テレビで何度も繰り返して言ってる。助け合いだ。

 

ただこのような国家であるためには国民と国家が同じ情報と価値観を共有する必要がある。それは「同じ現実を見ようよ」ってところだ。時代が変わればルールを変える勇気を共有するためには同じ情報を持たねばならない。

 

ところが日本では政府が一方的に情報を支配し国民に教えない「知らしむべからず政策」だからいつまで経っても政府と国民の意見が合致しないのだ。当然だ、違う絵を見ているのだから。

 

話をリタイアメントビレッジに戻すが、NZの政策は老老介護である。子供が親を介護するという仕組みでない。老人夫婦は仕事をしている間は普通の一軒家に住んでいるが退職したり体が弱くなったなと思えば老人村に入居する。入居費用は様々だが老齢年金が担保になる。村は独立しており、老人同士が楽しく生活をする。

 

ぼくが以前視察したセルウィンビレッジでは教会と病院を中心にしてその横にコンビニと郵便局や銀行があり放射線状にバリアフリーの老人夫婦用住宅が並んでいた。土曜日の朝は子供夫婦が迎えに来て週末を三世代で過ごす。月曜日の朝、子供は親をリタイアメントビレッジに送り会社に出勤する。

 

老人村には教会系のボランティア団体がいろんなイベントを持ってきて楽しませてくれる。同じような年齢の人々が昔話をしながら編み物をしたりする。人生の最後は体にチューブを付けて強制的に生かすのではなくホスピスで尊厳死を選ぶ。

 

この仕組があるから介護が存在せず介護疲れという発想が出てこない。老いた両親はリタイアメントビレッジで引退生活を楽しみ働き盛りの子供は一生懸命働いて納税する。納税したお金が老齢年金となって老人世代に再配分される。好循環ではないか。

 

考えても見て欲しい、働き盛りの労働力を介護に取られてしまえば彼らは仕事に身が入らず時計の針を見ながら「あ、親父を迎えにいかなきゃ」とか、まして介護のために会社を辞めてしまえば納税も出来ない上に生活保護を申請するわけだから社会的損失が大きいではないか。

 

「扶養義務」は本来国家の責任である。 その責任を一方的に明治の民法を持ってきて国民に押し付けておいてそれで親殺しや介護自殺が出てしまえば、それが誰の責任かは明確ではないか。

 

日本国民は憲法をしっかり読んで国家の義務を明確にさせた上で扶養義務を国家に戻すべきだ。そして国家は責任をもって民間企業にリタイアメントビレッジを作らせて運営にあたらせるべきだ、長く日本の為に働いてきた日本国民が幸せな老後と尊厳ある死を迎えるその日まで。



tom_eastwind at 16:08│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔