2012年07月25日

オスプレイ社説で思うこと

河北新報の7月25日付けの社説で「オスプレイ上陸/「飛行ありき」は認められぬ」と書いている。

 

何で最近になって突然オスプレイがこれほど新聞を賑やかにさせてるか、それは誰が一番得をするかを考えれば答えが分かる。それは政府。マスコミがわーわー言って騒いでる間に原発や消費税をとっとと片付けてしまおうということだ。

 

地方県知事もオスプレイ配備を止める事は出来ないとわかっててワーワー言ってる。昔の社会党今の社民党と同じで、どうせ通らないから無責任に言いたい事を言う。米軍からすれば「何だこりゃ?」って事だがそこはすでに外務省あたりが裏から手を回して「大丈夫です、これは日本の無責任野党の一時的なガス抜きですよ」と言ってるのだろう。

 

何故なら第一に米軍がどのような飛行機を持ってこようが日本側は条約に違反していなければNOと言えない。第一米国追従の日本は米国が核爆弾を持ち込んで来た時だって「見て見ぬふり」をしたのだからNOと言うはずもはい。

 

反対派が責任ある市民として自己責任を理解した上でオスプレイを反対するのなら良いだろうが、今の反対論はあまりに幼稚で無責任で単なるガス抜きであり、政府に裏から金もらって労働貴族していた旧社会党の馬鹿並としか言いようがない。

 

まずオスプレイであれ何であれ戦闘行為に使う航空機は常に墜落する可能性があるという事が基本であり「絶対安全」などあり得ない。なのに野田首相は「安全が確認できない限り飛ばさない」って、そりゃ一生飛ばすなって事だ。

 

次にオスプレイを導入するのは自衛隊ではなく米軍海兵隊であることをしっかり理解しよう。海兵隊は敵前上陸という最も危険な戦場で突撃するのだがその場所に兵員や武器を送り込むのに滑走路なしで離着陸出来て一旦水平飛行に移ればヘリよりずっと早い輸送機があれば、それだけ米軍海兵隊の勝利率は高まりその分だけ戦死者を減らすことが出来る。

 

つまり操縦が難しい航空機ではあるが無事に操縦出来れば現在のヘリコプターよりも高い攻撃成功率を獲得出来る。操縦ミスで発生する死者と戦場に投入することで減らせる死者を比較してオスプレイに効果があるのなら、それは導入すべきだ。

 

次に出てくるのが、オスプレイは構造的に欠陥のある航空機だからダメって話だが、冷たいようだがオスプレイを運用するのは米軍であり日本人操縦士ではない。構造的欠陥で墜落する確率と戦闘に投入して戦死者を減らせる確率を比較して米軍が「効果あり」とするならこれもOKだ。

 

もちろん米軍だって馬鹿じゃないから操縦士の命を守るために何とか改良を重ねていくしそこに費用もかかるが、それが軍産複合体の陰謀説みたいな話に結びつくからうざい、海兵隊が垂直離着陸機を持つという利点はそのような瑣末な部分を無視しても十分に利益がある。

 

オスプレイは「エイリアン2」で使われた人員輸送機みたいなもので非常に便利な航空機だ。思想は正解なのだ、後はどう安全性を向上させるかであり「安全を確認するまで飛ばさない」って、できもしない事をほざくのは脳みそ猿か?と思ってしまう。

 

そして僕が一番アタマに来る部分は「オスプレイが日本国内で訓練時に墜落したらどうする?」という議論だ。おいおい、戦後の日本は米軍の核の傘で守られてきたのだ、米軍操縦士が自分の命を賭けて飛ばしているのだ、なのに日本人は「きゃー恐い、わたしのところで飛ばないでね、けど戦争があったら守ってね」って、操縦士からすれば「俺だって命賭けているんだ、ふざけんな!」って話である。

 

ここが実に無責任であるとぼくが思う理由だ。オスプレイの危険率は米軍が考える問題でありその計算が費用対効果をクリアーしていれば導入するのに何の問題があるのか?日本が問題とすべきは費用対効果であり安全性ではないのだ。

 

オスプレイが嫌なら今すぐ米軍に撤退してもらい不十分な装備と法律不整備の日本自衛隊が北朝鮮や中国との盾になってくれればいい。しかしそれさえも「国内世論が〜」などとやってる。これではあまりにも議論が無責任ではないか?

 

当事者として痛みを抱えながらも政策を進めていく、その気持がなくて無責任な言いっぱなしはダメだ。ちなみにこの河北って新聞社のボス、現在は家賃未払いで告訴されているが住んでる人は元愛人、家主は東北を仕切る権力者なので未払いについても約3年、言い出せなかったらしい。オスプレイがどうのこうのよりも、自分のオス・プレイを反省してみればどうだろうか。




 



tom_eastwind at 20:42│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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