2012年08月10日

とんこつ 受信者責任について

数日前の夕食で娘に「ねえお父さん、今日は美味しい豚肉があるから“とんこつ”作ろうよ」と言われた。肉なのに豚骨?と思ってると「あ、違う違う、“とんかつ”だ〜」と言い直された(笑)。

 

自分が日頃何気なく使ってる日本語でも、それなりに難しい発音を使い分けてるんだなって思ったが「そんなの当然だろ、ヴぉけ!状況見れば“とんかつ”って分かるだろ!」と言われてもね〜、この場合やはり発言者責任ではないか(笑)?

 

とか思ってたら最近のツイッターやフェイスブックなどの流行で随分たくさんの「にわか」が誤報を前提にして議論してそのあとで誤報に気付き自分の情報力のなさに「あ〜あ、残念」って感じだ。

 

これなどは完全に受信者責任だ。ツイッターなどは特に短文でありそれが伝言ゲームでいつのまにかたばこがたまごになっててたまごをポイントにして議論しているから無意味である。

 

例えば産経の誤報記事があったが、産経などは基本的にダブルチェックが必要だ。ひとつのマスコミが書いてることが絶対正しい事を前提にネットで議論するのがすでに情報弱者、ネット議論に参加する前に勉強しましょってところか。

 

発言者は自分の発言に責任を持つべきだ。しかしそれとは別に、書いた内容を理解出来ない「情弱」が間違った認識を前提に反論されてもどうしようもない。ちゃんと読んでよと言うしかない。

 

ところが最近は受信者責任が減って発言者責任のみが目立つようになった。

http://blogos.com/article/44591/?axis=p:0

 

日本ではこのあたり、どうも責任の所在が「消費者がバカでも絶対正しい論」みたいのがあって、「書いた方が悪い」なんて話になったりするが自己責任が明確なニュージーランドではまず考えれないし英国圏でも考えられないし「騙された方が悪い主義」の香港でも中国でもあり得ないし、つまり地球の多くの地域では有り得ない現象である。

 

発言者には発言責任があるし受信者は理解責任がある。これは読書に引き直して考えれば分かることで、作者は文責がある。社会的に問題のあるテーマだと物議を醸し出すことがある。テンカンで抗議を受けて断筆!と怒ったのは筒井康隆だ。

 

けど受信者責任、または消費者責任というか、最低の文章解読能力とか常識がなければ「猫を電子レンジに入れてチンしたら死んじゃった、そんな事、説明書に書いてない!」と訴える事になる。

 

文章には読み方も決まりもある。それをすべて無視して自分勝手に文章読んで「これはおかしい!」と言われてもね〜。例えば「きょうはオークランドでミッドクリスマスがあります」と書いてるのを、すべての単語をバラバラにして置き換えて「お前は“きおくがあります”と書いてる!」と言われてもね〜。

 

6÷2(1+2)= という数式を見せられて9と答えた場合、それを正しいとするなら1+1=11という答も正しいとなるだろう。

 

これと同じように文章をどのように楽しんで読むかは読み手の自由であるが読み方に決まりがあることを理解するだけの知識がなければ、結局他人の言葉や文章に振り回されて大騒ぎして、気がついたら髪の毛を振り乱して周囲にギャーギャー吠えまくってハーハー息切れする野良犬のようになる。

 

そういう基本的なところに加えて筒井康隆のようなジョークを連発していると、意味の分からない情弱がますます本気で受け取って返信してくる。

 

銀だこ値上げの不買運動について:買(ばい)というのは元々英語のBUYが語源で、それに不(ふ、否定)が付くから買わないという意味になる。

 

ROADの語源は日本語である。江戸末期の日本で道のことを「どーろ」と言ってたらそれを聞きつけたイギリス人が使いやすいからってメモって自分の国に持ち帰る途中船が沈んでしまいメモった紙を失ってしまった。帰国後彼は記憶をたどってこう言った「ろーど!」

 

最初に断っておくがどちらも冗談である、しかし今の時代、まともな大人なら分かりそうなことだが、まともじゃない大人が増えてきたのだろう、平気で「そ、それは違うと思うんです」みたいな事を言ってくる。

 

こうなるともう、生きてる世界が違うのだからこちらに来ないで下さいってことだ。原発もダイオキシンも久米さんもみのもんたも、まずは自分がしっかり勉強してから取り組むべきだろう。

 



tom_eastwind at 12:58│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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