2012年08月12日

男の花道 国家社会主義について

★朝日新聞より抜粋開始

勝栄二郎・財務事務次官退任へ 後任、真砂主計局長が軸

 財務省の勝栄二郎・事務次官(62)が近く退任する方向となった。後任次官について財務省は、真砂(まなご)靖・主計局長(58)の昇格を軸に調整している。消費増税法が10日に成立したことから、来年度の予算編成に向け、省内の態勢をあらためる。

 勝氏は1975年に旧大蔵省(現財務省)に入り、官房長や主計局長を経て、10年7月に事務次官に就いた。政界や財界に幅広い人脈を持つ実力者として知られている。

 安住淳財務相は首相官邸と、後任人事の調整に入っている。財務省は、8月中旬にも人事を決める方向で調整している。

★抜粋終了

 

ここ1年で勝さん率いる財務省は素晴らしい働きをした。消費増税、社会保障改革、つまり国家財政の健全化に向けて国民から金を集めてその財源は社会保障として国民に再配分するのではな、く今まで自分たち支配層が支配層の為にのみ使ってきた“つけまわし”を精算するって大事業を行った勝さんの評価は高いだろう。天下り先がどこかは知らないが、いっそ政治家でもやれば良いと本気で思う。

 

皆さんも学校で習ったと思うが民主主義の一つに三権分立という考え方があり日本は三権分立であると教えられてきた。しかしここ数年の財務相を中心とした官僚の動きを見てみると、そんな事はない、司法、行政、立法、この三つの権利すべてを官僚組織が統括していた事が分かる。

 

司法とは警察と裁判所だが両方共官僚組織の中にある。官僚に困った事があれば警察庁の同期に連絡をして「あのさ、あいつさ、ちょっとやばいんだよね、風呂場で時計盗んだとかなんかでっち上げしてよ」となる。

 

立法は法律を作る仕組みであるが、これも官僚が作った法律を政治家がどーこー言って国会で可決するように持っていく。言うことを聞かない政治家は「お痛」を食らわせて潰す。結局官僚の決めた法律が通る、今回の消費増税法案のように。

 

ごめんと謝るのは選挙で選ばれた政治家、つまり野田さんであり、舞台裏でしめしめと喜ぶのは官僚である。

 

行政はまさに官僚組織そのものであるから自分たちが決めた法案を立法府で可決させてそれを実行して逆らう連中は司法を使って叩く、だからその意味で日本は三権分立していない国家である。

 

いつもいうことだが、そのような国家体制もありだと思う。社会のすべてをほんの一握りの支配層が制御して国民に自分で考える能力を持たせず個人財産を持たせず国家がすべて管理する。この思想の延長線上にあるのは原始共産制である。通貨の廃止、国民の財産の奪取、国家による出産管理と子供はすべて国家が教育する体制である。

 

この仕組は実際にカンボジアで共産主義を信奉するポルポトによって一時期実行された。ポルポト政権が1975年頃から実行してカンボジア社会は崩壊した、経済どころではなく社会そのものが崩壊したのだ。

 

街はゴーストタウンになり人々はすべて農村に追いやられ食料はすべて配給制となり国民に等級が付けられて都会出身の人々は差別され食料は少なく餓死する人が続出した。逆らうものは次々と虐殺されて、映画「キリングフィールド」ではそのような場面が次々と現れる。

 

ちなみにポルポトはベトナム軍の侵攻で崩壊したが国家経済体制から政治からすべてが完全に瓦解されてしまっておりカンボジアは21世紀になるまで立ち直ることが出来なかった。

 

日本官僚が目指す国家体制は、東大法学部を卒業した試験に強い選良が、国民による選挙という禊を受けずに支配する体制である。その目指すところは「多くのバカを一握りの選良が支配する」体制である。

 

選挙などという一時の人気投票ではなく、小学生の時代から競争競争を重ねて長い間の試験の連続を繰り返して、まるで中国の科挙のような仕組みの中で東大法学部に入学したものだけが本当の官僚となり国家を支配するのである。能力がなくて一時的に人気があるだけの政治家よりもよほど優秀であり大学を出て定年になるまでの約40年を息切れせずに走る実力がある。

 

このような体制は国家を支配する者にとっては実に便利である。自分は選挙で選ばれないから民衆に媚を得る必要もなく、三権は官僚が押さえているから自分の思うがままに法律を作り自分は法律で縛られず、逆らう人間は法律で縛り自分たちの望む国家社会主義をつくり上げることが出来るからだ。

 

国家社会主義〜?個人財産の国家管理〜?そんな事あるのか〜?と思うかもしれない。けれどこれを逆の立場から見てみよう。一番わかり易い例が相続税である。最高税率50%の相続税は近いうちに55%に増税される。この考え方は、個人が努力して作ったお金は政府のものであり子供に引き継ぐのは間違いという考え方だ。

 

そう、国家社会主義においてはお金を持つのは支配層のみであり国民が努力して稼いだお金も国家のものである、国家が有効活用するのだから馬鹿息子に渡すのはダメよってことだ。

 

そしてこの考えを実行するために法律も自分たちで作り税務署や警察を使って実行して国民の財産を没収することが官僚の目指す道なのである。

 

日本国憲法で個人の財産は保障されてるいると書かれているがそれは法律を変更して税金という形で個人から財産を吸い上げれば合法である。民主主義なんてそんな西洋から押し付けられた憲法なんてむーし無視。日本は昔から国家社会主義なんだから、黙って資産を差し出しなさいって事だ。

 

勝さんは影の総理として野田さんを見事制御して一気に官僚が望む体制に作り替えた。民主党が総選挙当時にコミットしていたコンクリートから人は、またも人からダムへコンクリートへと戻り、消費税増税、社会保障の切り捨て、すべて官僚の望む道が綺麗に引き直された。自民党時代でもこんなにうまくいく事はなかったぞって感じだ。

 

子供の頃から東大一直線で法学部に入りそのまま官僚、選挙民によって選ばれない人々が政治を決め、仕事と給料は一生保障されてる仕組みは、ある意味完璧な永遠格差であるが官僚にも言い分はあるだろう「だってそれ、東大法学部を選ばなかったお前の自己責任でしょ。世の中を動かしているのが誰かなんて今まで知らなかった?今頃遅いよ、自己責任だよ」。

 

独裁体制であるがそれなりに彼らの言い分も通ってる、それを納得して住める人であればそれはそれで良いと思う、中途半端な改革をして国家が崩壊するくらいなら彼らに箸の上げ下げまでいちいち指導されながらでも国家として生き残るほうがましだ。

 

しかしそれを民主主義と思い込んではならない。日本にある仕組みはお上の意向を汲み取って(忖度=そんたく)して彼らが「愛い奴め」と思うような行動をして(しっぽを振って)決して彼らに逆らわず、間違った事をした時は「代官様〜、もうこのような事は二度としません、お許し下さい〜」としっぽを巻けば温情を与えて許してくれるものである。

 

例えお上が間違っていても高知のバスの運転手のように逆らうことは許されず、逆らうこと自体が国家に対する反逆罪となり刑務所入りとなるのが日本なのである。

 

日本では民が主となって国を動かす仕組みはない。民が寄り集まりそれをお上が温情を持って導く「民衆主義」なのである。

 

今回の勝さんの退陣は実に見事な引き際であり消費増税と社会保障改革、国民総背番号制度と素晴らしい花道を作った・・・。

今日はかつサンドでも食ってみるか・・・。



tom_eastwind at 17:18│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔