2012年08月21日

朋有り遠方より来たる

>知識と愛国精神と、出来れば愛国から更に昇華して愛亜細亜を考えることが出来る人々が

 

僕の上記文章について下記のコメントを頂いた。

そんな中国人は文革で死んだか海外に脱出してます。

それ以前に中国共産党は自分たち以外の権威も道理も認めません。

いつまでも夢みたいなことを考えて東アジア友好を叫ぶより、

インドや東南アジアに目を向けて中国を牽制する方向に持っていく方がよほど建設的です。

 

この意見は納得出来る。たしかに多くのまともな中国人は文革前夜に脱出している。香港に上海出身の人が多いのは共産党の国家支配を嫌った人々が逃げてきたからだ。中国共産党は自分たち以外の権威も道理も認めないのも事実、そうでなければ中国はあっという間に崩壊するだろう。

 

インドや東南アジアに目を向けていくのは僕も同意見である。てか、ぼくの2012年4月23日のブログ「地ひらく」で対中国包囲網の件について積極的に進めるべきだとも書いていてコメント者に同意見だ。

 

中国相手に丸腰で話し合いしようなんてのは時間の無駄、なめられて踏み潰されるだけだ。だから東アジアの真珠のネックレスのようにアセアン(つまり中国と国境を隣接していて中国を歴史的に嫌いな国や華僑に悩まされている国)+日本でチームを作り、膨張する中国に対して発言権を持とうという新しい東南アジア共栄圏思想は良いことだと思う。

 

しかしそれは中国を全く相手にしないという話ではない。現実的に中華民族に対して「出てけ!アフリカにでも行って22世紀まで戻ってくるな!」といえるか?中国人に「もいっかいやるか?言っとくけど俺達はお前らに負けたんじゃねーぞ」とでも言うか?それころ非現実的である。

 

2千年の歴史を振り返ってみれば、中国が移住者として日本に来た事はあっても戦争による直接支配を行った事は一度もなかった。元寇でさえ敵国退散の神風に追い返された。

 

対して日本は鎖国から開国に切り替えてほんの数十年後に清國を破りその後も中国に長期にわたって影響を与えてきた。

 

戦争の勝ち星で言えばこっちの方が多いわけだが、僕らが使っている漢字は中国から来ており四書五経も古代中国から学んだものであり文化的には彼らの勝ち星の方が多いわけだ。

 

近代中国も孫文の時代にはそのことに気付き魯迅などの優秀な学生が日本で西洋文化を学んだ(1905年に中国からやってきた留学生は8千人との記録がある)しその文化に巻き込まれずに独立を維持している日本の政治に学んだ。とくに西洋的概念を学ぶのに、日本人が作った日本語をそのまま中国語とした。例えば人権、互恵、投資などは日本語が語源である。解放とか社会主義も語源は日本語ってのが笑える。

 

日本と中国がお互いに年中喧嘩をしていると言っても1930年代の日中戦争時代よりはまだ「話が通じる」わけだ。共産党だって自分たちが滅びるくらいなら日本人と手を組むって話になる。

 

問題は僕らが彼らにとって手を組みたくなるほどの魅力を持っているかだ。ぼくらが真珠のネックレスを持っていれば彼らにとって魅力的だろうし、もしぼくらが平和ボケして「憲法9条、ばんざい〜」とかやってたら、あっという間に属国にされる。

 

それでもその延長線上にあるのは平和な関係であり、それが実利によって作られたものであっても平和であることが最も大事である。

 

夢みたいな事考えずにというが、夢なしに現実の行動の方向性規範は出来ない。現実ばかり見て中国を無視してそれで毎日新聞見ていらいらして挙句にお互いが無駄な戦いに陥ってしまえば、それこそ最悪だ。

 

目の前に現実がある。それをどのように処理して次に繋げるか、そこに必要なのは自分の見る夢であり、いますぐその夢が叶わないから馬鹿らしいと思うのではなく、今は無理でもそちらの方向を見て判断基準としようよって事だ。

 

もちろん僕だって日頃の生活で中国人と喧嘩することはあるが、その先にある目標は離婚でなくお互いに解り合おうとする気持ちだ(笑)。

 

互いに言いたいことを主張する、彼らにも弱点はある、そこをうまく突きながら、組んで戦った方がお互いで喧嘩するより得だぜって現実的な判断をさせれば良いのだ。これはぼくが20数年の中国人奥さんと付き合って学んだ事である(苦笑)。個人的には、家の中では、喧嘩してもいいけど捨てられないようにする、これ結構大事(大笑)。

 

それからこれは技術面であるが、お互いに相手の言葉を勉強してみると良いと思う。江戸時代や明治初期の日本人は普通に漢語が出来たし漢詩が書けた。うちの自宅では英語と日本語と広東語が普通に飛び回ってて、そこに時々北京語も入ってくる。そうなるとお互いの違いよりも共通点の方が目立ってくる。

 

朋有り遠方より来たる、寒山寺、間違いなく英語圏よりも近い文化がそこにある。毛嫌いするのではなく現実的に考えてみればと思う。



tom_eastwind at 18:27│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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