2012年08月25日

グンビ岬に敵上陸

今、手元に2冊の本がある。一つは前回ご案内した「日本古代史と朝鮮」。虫殺しと教えられた645年の大化の改新前後200年くらいの日本と韓国の交流を記録に基づいて分析している。

 

「双方が好むと好まざるとにかかわらず、日本古代史は古代朝鮮との関係史である。(p287参照)」

 

「顧みれば貴国と我が国とは一衣帯水の隣国であり、その間には、古くより様様な分野において密接な交流が行われて参りました〜(p291後略)」1984年9月6日に天皇が全斗煥首相訪日の際に述べられた言葉である。

 

普通に歴史を読めば日本の弥生文化あたりから半島及び大陸から多くの人々が渡ってきて彼らが今の日本朝廷を作ったのは明確である。今聞きたいな、自分の血液に一滴の大陸や半島の血が混じってないって人が何人いるのか?

 

そして今「嫌なら半島に帰れ」発言をする君たち自身も同じ血統である可能性は80%以上だと思う。5世紀から7世紀の人種分布に関する資料を見ると、日本古来の縄文人は20%程度で殆どは大陸と半島人であったと推測出来る。だから「帰れ!」というならまずは自分の血統を調べてみればよい、もしかしたら帰らないといけないのはあなたかもしれないから。

 

ただその上に日本という列島が持つ独特の「気」が日本人を醸成することになった。ここが人間の面白いところで、血液だけでなく居住する環境がいつの間にか人間の中に人種ではなく民族を生み出す。つまり同じ血統人種であるが違う民族だと考えた方が良い。

 

その意味において日本民族と半島・大陸民族がそれぞれ個性を持って存在するのなら、半島から渡って来た人は何世代目に日本民族と呼べるんか?血液だけで出自を決めるなら上述のように80%近くの「日本に住む人々」は船に乗って帰ってもらうしかない。

 

もしそれが生活環境で日本民族になるとするならば、それは何世代目なのか?よく東京では三世代でやっと江戸の人間、てな言い方がある。では日本と大陸半島は?何世代目で日本民族になるのだ?

 

例えばりょうまくんは移民二世だがすでに脳みそはキーウィになってる。キーウィ社会で生きてるりょうまくんだが肌の色の違いで差別されることは今のところ全くない。ところが日本では肌の色が同じなのにそれでも差別が存在するのだ。

 

もういい加減にそのような、本人が責任を取りようがない部分で差別をするのは止めよう。どこで生まれたかではなく、その人が誰であり何を考えているかで判断しよう。そんな組織の分断をやって喜ぶのは支配者でしかない。

 

もう一つは本でなくてワード文書だ。ニューギニアの戦記である。今国境問題で騒ぐのは良いが、ネットで過激に騒ぐのはやめてほしいのでこの文書をコピーする。文責は僕にある。

 

殺しあうって、こういうことですよ。下記はニューギニアで戦った日本帝国陸軍の兵士の手記である。

 

★抜粋開始

グンビ岬に敵上陸

 昭和十八年十二月下旬、安達軍司令官は第十八軍の主力第二十師団、第五十一師団の全将兵をシオ、ガリ、キアリの沿岸に集結させた。

 転進に次ぐ転進駐留で、体力の回復をはかるいとまもない将兵は、栄養不足に重なる疲労、体力の低下と並行してマラリア患者も続発してきた。二十師団、五十一師団の傷病兵も目につくようになってきた。

 時には異様な臭気がブッシュに漂よっているのに出合う。マラリア熱帯熱、アメーバー赤痢あるいは負傷で、歩けぬ重傷者は死を宣告されたも同様であり、歩行の止まった所が墓場であった。酷暑のニューギニアでは、死後三日もすれば、頬の肉が腐り骨が出てくる。腸は膨張して小指大のウジ虫がうごめいているのがよく見える。棒でつつくと、ブスリと音がしてガスが吹き出し、異様な悪臭である。

 貴重な生命を路傍に捨てなければならない無念さ、祖国日本の勝利と繁栄を信じた彼らが、妻子に思いを残し、内地からの糧秣に見離され、栄養失調で倒れるとは考えてもみなかったろう。それは飢えとの戦いに敗れた姿であった。道行く将兵も、この頃になると自分の身をかばうのが精いっぱいであった。戦友にまで力を貸してやることは出来なかったろう。

★抜粋終了

 

ニューギニアに渡った日本兵は約12万人とも言われている。その中で生き残って本土の土地を踏めたのは約5千人。小学校のクラスで言えば45人のうち生き残ったのは3人くらいって計算かな。あなたが今働いている会社が30人のスタッフがいるとすれば、生き残るのは2^3名程度、後は全員死亡だ。

 

ぼくの父親はニューギニアで戦い戦後に捕虜になりボルネオ経由で日本に帰国したが、生きてた頃は夏になるとマラリアが再発して体中にマックのフライドポテトのような腫れ上がりが出てきて大変だった事を覚えている。

 

★抜粋開始

ある日私は、原住民の廃農園に掘っ立て小屋を建て、五、六人の目付の怪しく光った異様な風体をした病兵を見た。なにやら飯盒に入れて炊さんの仕度をしていた。彼等がどんな食料を食べるのかと、そっと中をのぞいて見た。そこにくり広げられている異様な光景に私は身震した。メスで死体の太股の肉を切り取って、飯盒に入れているではないか。白い骨が見えている。外の物音に気付いたのか、病兵の手が小銃にかかったような気がした。同僚の肉を食ったのを見つかった病兵が、発作的に何をするか知れたものではない。私は廃農園を転げる様にして走って出た。

★抜粋終了

 

戦争は飢餓を生み出す。ニューギニアで人肉を食ったという記録が公式に残っているかどうかは知らないが、ぼくの記憶する限りぼくの父親は人肉を食って生き延びた。そのおかげでぼくが生まれた。

 

戦争とはそれほど悲惨であり、ネットウヨクが匿名で煽っていいような話ではない。君等は一時の気晴らしで書いているのかもしれない、人に読んでもらえるから自分を認めてもらいたいから書いてるかもしれない、けれどそれは戦前の朝日新聞のようなものであり、結局戦争に大義という武器を与え自国民を道義的に殺人者に仕立て最後は外地の戦場で蛆にタカられて食われながら故郷を思いつつ死ぬような事態を作った。

 

やりたいならお前らがやれ!ただし無責任はダメだ。名を名乗り自己責任で戦え。他人に頼るな。

 

最初はお前のカーチャンでべそ程度の子供の喧嘩でも、それが武器を持った大人が始めたら子供の遊びでは済まない。本気でやるか?やるとなったら誰が戦地に向かうのか?蛇を食うか?

 

抜粋したものは下記のウェブサイトで読むことが出来る。ぜひとも読んで欲しい、その上で隣国とどう付き合っていくか考えて欲しい。

 

http://ikotu.org/old/firipin/n-senki.html

 

他にもたくさんのサイトがある。自分だけ壁の後ろに隠れながら石を投げるような弱虫どもにぜひとも読んで欲しい、殺しあうというのがどういうことか。

 

 



tom_eastwind at 18:20│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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