2012年09月06日

月に雁、手には職

週刊東洋経済の今週号の特集で日本人の食事内容が貧食になっているとのこと。栄養価、防腐剤、コンビニ、様々な問題を提起しているが、その記事の中でぼくが一番気になったのが「塾食」だ。

 

ぼくの小学生の頃は塾に通った記憶もないし学校が終わればひたすら外で遊ぶものだと思っていたから、現代の子供は学校の授業が終了すると午後5時頃から塾に通い午後7時頃にお母さんが作ってくれたお弁当を20分程度で食べるとのこと。

 

お母さんは子供と一緒に食事ができない分、朝早く丹精を込めたお弁当を作ってレンジに入れておいて出勤、学校から帰ってきた子供はそのお弁当をチンして塾に持っていく。塾側では給食サービスも検討したらしいが多くの母親は自分の作ったお弁当を食べさせたいとの事でなかなか給食サービスも定着しないそうだ。

 

そう聞くと「お母さんも大変だな、朝早くからお弁当を作って自分は仕事に出掛けるけど子供のことを考えているんだな」って思う。

 

けどその前に、家族が毎日いっしょに夕食を食べられないってのはどうなんだろうと思った。子供が学校終わって更に次の学校に行って自宅に帰るのが夜の9時過ぎでしょ。じゃあ今日一日何があったかなんて、どうやって家族で会話するのだろうか?

 

そして、そうやって一生懸命勉強漬けになって中学生から高校生、そして良い大学に入学した時点でやっと第一の人生の競争は終了するが、その時点ですでに子供は人生の何が正しいのかとか、一番感受性の強い時期に親と一緒のご飯も食べられずに親子の会話がないとか、うーん、どうなんだ??

 

そして第二の関門は実際に就職してからだ。親に言われたとおりに一生懸命勉強して就職したのに、初任給は20万円前後で仕事は理屈の分からない内容ばかり、上司はこれが世間だ!みたいなことを言うけど全然意味不明じゃんか。これがぼくの子供時代からの勉強の結果なのか?

 

ぼくがもし日本でずっと生活をしていたらそんな疑問も考えずに社会に順応しようとしただろう。けれどニュージーランドという国で毎日家族と一緒にご飯を食べる生活をしてみると、子供が塾に行かないでも大学まで行って普通に社会に就職できる状況を見ているからどうしても疑問がわく。

 

母さんが朝早くからお弁当を作る労力、子供と一緒にご飯を食べられない時間、もちろん塾にかかる費用、それに対して約10年後に得られる社会的地位が普通の一兵卒でご無理ごもっともを聞くだけという環境であれば、これって本当に「投資効果はどうなの?」とかんがえてしまうのだ。

 

もちろん今の日本社会で生きていくには塾が必須なのだろうと考える親の気持も分かるし周囲の子供が誰もが塾に通う中、自分の子供だけ塾に通わせないという選択肢を選ぶのは親のわがままかもしれない。

 

言葉を変えて言えば子供を塾に通わせて免罪符としてのお弁当を持たせることが一番波風の立たない利口な生き方なのだろうと思う。けどなー、それはもしかして引き潮の砂浜の上に作った砂上の楼閣の上で一生懸命細かな砂細工を作るようなものではないか。

 

一旦大波が来ればすべて消失するのは、最初の選択が誤っているからだ。建ててはいけない場所に楼閣を作った結果ではないかな。

 

けれど現実問題としてすでに生まれて育っているのだから、残された選択肢はあまり多くない。そんな時にぼくがいつも感じるのは、そろそろ日本のホワイトカラー選民意識を捨てて「手に職」を持つ人々を育てていくべきではないかという事だ。

 

つまり料理人であり理容師であり建設現場で働く技師であり、自分の手を使って実際にモノを作る専門の職人を就職先として考えるという事だ。

 

自分の子供の為に朝早くからお弁当を作っても隣の家の子供だって同じようにお母さんの弁当を持っているしほぼ全員が塾に行くような時代には「塾に行く」だけでは差別化は出来ないし、サラリーマンなんて結局は社長というたったひとつの席に向かって競争していつかは追い落とされる人生ゲームである。

 

もし自分の子供が東大までいけそうならそれでも良いと思う。滅多なことでは東大に行ける子供は作れないから、それくらいの利口な子供なら親が協力して塾に通わせてお弁当持たせてもありだろう。

 

ただ世の中はそんな子供ばかりではないし統計的に見ても95%の子供は東大に入れない。それならば最初から子供の好き嫌いを見抜きながら13歳くらいで一度子供の就職の方向性をかんがえて、例えば操縦士になりたいならそれに合った教育を開始するとか、日本はものづくりの国なのだからトヨタ学校に入るために勉強するとか、要するに子供が望む方向で背中を押していくことは出来ないかって事だ。

 

 

月に雁が似合うように、人には分があると思う。もちろん上を目指すことは良いことだが、けどその土俵って将来性はどうなのよ?無理してサラリーマンになって一旦会社を辞めると社会的価値ゼロ、つまりサラリーマン時代に学んだものはすべてその会社内でしか通用しない技術であり、それが労働市場に晒された瞬間に無価値になるような職種を選ぶのが正解なのだろうか?

 

片隅のいぶし銀という古い言葉があるが、日本のような大きな国では様々なビジネスがある。ホワイトカラー信仰さえ捨ててしまえば子供の未来は随分と楽しいものになる。恵比寿で働く理容師とその店に来る大手投資銀行の社員とどっちが偉いかなんてないでしょ。

 

社会に対する視点を少し変えてみれば、子供には早いうちから自分の頭で考える訓練を積ませて自分が何をしたいかを分からせて、それに合った職業訓練をたくさん経験させることの方が選択肢が増えて良いのではないかと思う。



tom_eastwind at 00:24│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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