2012年12月10日

現代の狐憑き 発達障害について

「発達障害:小中学生61万4000人 文科省調査・推計」という毎日新聞12月05日付けの記事に興味があった。目的はどうやら文科省が教員の増員を図る事らしい。自分たちの都合に合わせて都合の良い記事を新聞に書かせて、でもって何とか委員会で「新聞にもありますように〜」などと言って予算を取るのだろう。

 

しかしこのネタ、筋が悪い。発達障害だと〜!って感じだ。普通に人間らしく生活している子供を金儲けのネタに使うのかって感じ。学校ってのは子供を型にはめて誰もが集団生活の中で心をすり減らす教育だろうが、そんなもん、まともな神経持っててやれるわけないだろ、自殺しろって言ってるようなもんだ。

 

発達障害なのは学校の教師の方だよ、自分たちが昔学校で洗脳されたように今の子どもたちの感性を擂り潰して箱モノ教育に押し込んでおいて、すり潰されない強い子を発達障害なんて呼んで病人扱いする学校の神経の方がよっぽど発達障害、親と教師にすり潰されて洗脳されて大学出る頃には「ぼく、何すればいいんでしょう?」って子供を作るだけだ。

 

義務教育とは子供が学校にいける環境を親と教師が用意することだ。ところが現在は学校に行かないと子供が悪いように言うしイジメに遭えばイジメに遭った子供の方が転校させらる状況だ。世の中の子供で本当に楽しいことを嫌がる子供はいない。なぜ学校に行かないのか?学校に行けば自分の持ってる個性がすり潰されるってわかってるからだ。

 

そして嫌々学校に行っていじめに遭って自殺でもすれば学校側は「イジメとは認識していない」と言い親は「学校といじめた子供に責任があるー!」と、子供を守るべき学校と親がそれぞれ自分の義務を果たさず義務教育で学校に行く義務だけ背負わせておいて当事者責任を放棄しておいて他人を責めている。

 

ニュージーランドには毎年日本から子供がやってきて入学するが、親が口をそろえて言うのが教育システムの自由さと伸びやかな環境である。日本で不登校だった子がこっちの学校に通うようになって急に元気になり学校が大好きになるってケースはしょっちゅうだ。

 

ちっちゃな子供の頃は教科書もなくバックパックには鉛筆とノートとお弁当だけ持って行って毎日校庭を走り回りお昼ごはんの時間もお弁当を食べるのも忘れて遊び回っている。そして木登りをして落ちて木のぼりの楽しさと同時に危険性を覚えさせ、授業でナイフを使って工作をして指切ったりしてナイフの怖さを覚えていく。

 

小学校低学年のうちは自主性、主体性、他人との会話が教育の中心に置かれている。もちろん人間世界だから中にはイジメもある。しかし多くの子供はそれを乗り越えていくし、何よりも子どもたちが学校に通うとどんどん力強くなっていくのが特徴だ。

 

塾もほとんど存在しないし子供は夜9時には寝てしまうようなニュージーランドだが子どもたちの学力は日本の子どもと比べて遜色ないレベルだ。日本では学校が終わって塾に通って夕食はお弁当を塾で食べて夜遅くに帰ってきてと子供の頃から勉強漬けなのに結果がニュージーランドと同程度というのは一体何を勉強しているのかと思う。

 

以前も何度か書いたが発達障害なんてのはいつから病気になったのだ?ぼくらの子供時代は変な子供は沢山いたがそれは「個性」だった。ぼく自身も今の時代であれば確実に病気扱いなんだろうな。

 

発達の方向性が違うだけで障害として病気にしてしまい違う方向に伸びようとする個性を認めようとしない日本の教育はまさに洗脳でしかなく、そんな場所に子供を無責任に放り込むのが親の責任だと思ってるのは親としてかなりやばいのではないか?

 

現代の日本で田舎に行くと子供の体に狐が乗り移ったと言って皆で叩いて殴り殺す事件が時々あるが、親と教師がグルになって子供を学校に押し込んで洗脳されて型に嵌められるなんてのは、まさに現代の狐憑きのようだ。



tom_eastwind at 11:45│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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