2012年12月17日

人からコンクリートへ!

昨日読み終わった封神演義、ちょっと気になるのは最後の場面が最近のエイリアン映画「プロメテウス」の最初の場面によく似ているってことだ。いくつもの大きな滝が流れ命を大地に送り込む部分。どっちが先か偶然かは分からんが、日本では少年が読むようなマンガのネタでも米国では大人に見せるネタになるのだから、日本のレベルの高さが分かる。

さて本題。

 民主党が政権奪取後に主張していた「コンクリートから人へ」がいつの間にか「人からコンクリートへ」と戻った。民主党政権は公約を破り3年前の国民が否定した自民党政権の小型版になった。遂には本家本元の自民党が「国土強靭化計画」という建設業が聞いたら嬉し泣きをするような政策を掲げて総選挙で圧勝してコンクリート自民党が戻ってきた。

 

それにしても民主党の末期はまさに3年前の自民党の末期と重なるような失策の連続でありなにをやってもうまくいかなかった。ぼくが言うのもおかしいがあまりの失策の連続で周囲の空気を読めなくなった「受験には強いお兄ちゃんたち」の最後って感じがする。

 

ぼくはオークランドで15年ビジネスをしている。それも団体旅行という「集団」のその場の空気を読む仕事だ。数人から数十人、多い時は数百人を前にあっち行けこっち行けと指示を出す時は相手がお客様であり絶対に怒らせてはいけないが、けれどぼくの誘導に従ってもらわなければこの団体はげレミングみたいに海に向かって一直線なんて場面もしょっちゅうだった。

 

人前で行うすべての小さな仕草、その時の一般市民の目に浮かぶ反応、そういうのを現場で肌で覚えてきた。だから感じるのだが民主党の優秀なリーダーたちは机上のリーダーであり自分たちがどう見られているかという一番大事な点が理解出来ない。だから大事な時に取り返しのつかない失敗をする。

 

そして失敗を繰り返した政治家は今の多くの国民を映す鏡であることがよく分かった。日頃現場で場数を踏んでない人間は一度追い詰められるとうろたえてしまい対抗手段を失い選択肢を無くし、目をつぶって目の前の毒団子に飛びついてしまう。それが官僚の用意したものだと本能で分かっていても学校で学んだ「正解は一つ、そして目の前の答はいかにも正解じゃないか」と理性で判断して飛びつくのだ。

 

なぜあれだけ優秀な人々が失敗をするのか?それは僕が思うに彼らに本当の意味での信念がないことだと思う。本当に信念があれば言葉強く自分の思想を語れるし反論に対しても受け入れながら自分の意見を述べることが出来る。自分の信念を持ち相手にも同様の信念があると分かれば「和せど同ぜず」という心境に辿り着ける。

 

そして自分の信念で自分は例え一人でも生きていく、付いて来る人は付いてくればよいし反対の人は別の道を歩けば良い、世の中にはいくつもの正解があると知っているから他の人が別行動をすることを自分に対する批判とは感じない。しかし話し合いの場所は常に用意されておりいつでも話し合いに参加する気持ちはある。

 

今の日本では信念を持つためにゆっくりと落ち着いて考える時間もなければ読むべき本が何かも分からず、結局手近の本屋で入手できる雑誌や新聞で書いていることを「自分の信念」として人に伝える。ところが他人がそれに対して論理的に矛盾を指摘するとまるで自分個人が侮辱されたかのように怒りだしてすぐに感情論になる。

 

それはテレビ討論などを見ていてもよく分かる。言い合いの最後は大体相手の個人的な問題をあげつらい感情論で罵り合いになったりする。それは自分が信念を持ってないから「他人の意見を尊重することや正解が一つでない」って事を理解出来ないからだ。

 

彼ら政治家はまさに一般的な日本人の鏡であり、つまり日本人は政治に得意でなく(元々自分で政策を作るだけの自分の信念がない、他人から貰うものだと思ってる)現場での政治戦略における駆け引きが苦手で(敵が攻めてくるまでは戦略も考えず机上の空論並べるか大ぼら吹いてばかり、けどいざ敵が目の前に来るとパニックになり思考停止して「全員着剣!トツゲーキ!」とやってしまう。

 

日本の大手企業は社員を育てるって意味でいろんな職場を経験させるが、それが結果的にプロを作らないので誰もが中途半端に全体業務を知っているけどプロじゃないから使いこなせない。知ってるだけだ。

 

日本社会が閉鎖されたままならそれも最上階の最後の一席を狙うために皆が派閥を作り上司を選んで実務は現場がするので会社も回っていた。けれどその結果日の丸企業は次々と外国企業にやられて倒れた。

 

それもこれもぼくは日本人に信念がないからだと考えている。結局は人間対人間の際の交渉力なのだが、その源泉となるのが自分のプロとしての能力とそれを支える信念であるとぼくは思っている。

 

信念さえあれば土壇場に追い込まれても何とか踏み留まって対案も思いつく。信念とは金で計算出来るような何かではなく、いくらお金を積まれても自分が絶対に曲げられないものだ。長い人生を生きている間に信念は少しづつ育っていく。成長の過程で少しづつ細部は変化していくが信念を持っていれば強い。何を考えるにしても作るにしても信念がひとつの基準となる。

 

基準とは例えば民主党が「コンクリートから人へ」と主張した時に明確な信念として公表したのであれば、それは費用対効果は基準ではなく豊かな自然を守るために「作らない」が基準なのだ。例え100年に1度の洪水が発生して被害者が出たとしても残りの99年はダムのない自然な生活を享受することが出来る。

 

では人が死んでも良いのかという話になるが、それが信念であり価値観の問題であり価値観を基準としてコンクリートか人かを選ぶ場合、コンクリートを選んで数百人の命と財産を守ったとしてもコンクリートの為に自然が破壊されて人間らしい生活ができなくなればその方が問題であるという考え方だ。

 

ここまで来るとある意味宗教なのだ。どのような議論も信念や価値観の為に死ねる宗教論にたどり着く場合がある。何を大切に生きていくかだ。例えば今のニュージーランドには殆どトンネルがない。道路を作るにしても湖水地方では湖の畔ぞいに道路を作り出来るだけ自然を大切にしている。

 

自然との共生は費用対効果ではないのだ。交通が不便であっても自然と共生しよう、その代わりに緊急事態の場合はヘリコプターを飛ばして救出しようという発想である。

 

人はいずれ死ぬ。河川事故で死ななくても老衰で死ぬ。または病気で死ぬ。いずれにしても死ぬものだ。ならば時には災害で死者を出しながらも人間全体の歴史の中では自然と共生することで多くのものを得ることが出来るという考え方だ。

 

それは目先の利益とかではない。損益計算の出来るものではない。自然を取るかコンクリートを取るかという選択の問題なのだ。

 

今回民主党は信念らしき言い方をして「人に」と公表したが結局目先の金の為に損益計算に巻き込まれて信念を持っていなかった事を暴露してしまった。

 

自民党は「もう一回国土をコンクリートだらけにする、自然の景観とかどうでも良い、まずは国民が食えるようにすることだ!」と主張した。その主張もひとつの信念、自分の生まれ故郷をコンクリート漬けにして気にならないのだろう価値観だけは明確に伝わってくる。

 

自民党を選んだ有権者も自分の土地がコンクリートだらけになっても土方仕事が得られて発電所のタコ部屋半年でもビル工事の出稼ぎでもいい、なんとか仕事さえあれば良いのだろう。その結果として子供世代に残るのはビルばかりになった無機質な街でさえも、自分たちには関係ない世代の話なのだから。

 

ぼくは自民党が一度下野して反省をしていると感じるし安倍さんもリターンマッチは慎重になっているから半年程度は経済も上向きになると思う。その頃から本格的な問題になるのは外交だ。日本が周辺諸国とどう組んでいくのか?

 

ぼくの価値観と多くの日本人の価値観がすでに大きくずれている以上、ぼくの住みたい国ではないしすでにその選択は民主党時代に自分で判断して行動した。そしてニュージーランドはぼくの価値観に近い「コンクリートよりも人間」を選ぶ国であり「人はいずれ死ぬ、ならば無駄な延命治療でお金を使うよりも子どもたちの基礎教育に国庫のお金を遣おう」という発想も好きだ。

 

これからの日本、まずは自民党が国民を一つにまとめて良い方向に引っ張っていってもらいたいとこれは本気で思っている。それはぼくの考え方だけが正しいとは思っていないからだ。一番ダメなのは右と左がお互いに足を引っ張り合って何も出来ない状態だ。

 

今回は自公の圧勝でありかなり政治に自由度がある。安倍さんの考える日本も悪くない、進めて行けば良い。常に日本国民に正しい行先を見せてあげれば次の総選挙でも圧勝するだろう。多くの日本人にとっては自民党が一番付き合いやすい党なのだ。何故なら自民党は常にあなたに信念を与えてくれるのだから。



tom_eastwind at 20:01│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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