2012年12月21日

香港初日

ぼくが初めて香港という土地を知ることになったのはブライアン・フリーマントルの「チャーリー・マフィンシリーズ」の「呼び出された男(初版1982年)」からだ。冷戦時代の英国スパイとして抜群の腕を持ちながらも古巣である英国情報部に裏切られ逆襲するのが第一作「消されかけた男」で第三作がこの「呼び出された男」だ。

 

香港を舞台にチャーリー・マフィンがCIA、英国情報部、中国北京政府のスパイを相手に七転跋扈の活躍をする。マンダリンホテルのロビー、バー、ペニンシュラホテル、当時の香港の猥雑さと喧騒、夜景が美しいスターフェリーの船体水面ギリギリの位置には紐でくくられてかろうじて首だけ出さされて溺死リンチに遭っている中国人。

 

まだシンセン国境がなくてローウーから歩いて中国側に渡っていた時代の香港の雰囲気がよく分かる。今の香港やシンセンを知っている人からすれば驚くほどの田舎ぶりであるが、当時からすれば今のシンセンの発展など誰も思いつきもしなかったし過去に戻って話をしても誰も信じなかっただろう、様々な歴史の偶然で作られた人口の街シンセン。

 

同じ頃に原作が作られたジョン・ル・カレのスマイリーシリーズ「スクールボーイ閣下(初版1977年)」では、今から40年以上前、まだ世界が冷戦と呼ばれた時代の香港で、当時の香港を統治していた英国の諜報部で働くスマイリーがソビエトの見えないスパイ「カーラ」探知して捕捉し更に中国政府情報部も巻き込んで戦う、スマイリー三部作の中で一番の傑作だ。

 

重厚でいながら言い回しの妙はジョン・ル・カレの腕の良さで実に上品かつ機微に富んだ作品だった。小説の冒頭の舞台となるセントラルの記者クラブから香港島頂上の高級官僚が住む住宅に押しかけていく場面、そこが将来ぼくのお客様となったヤオハン会長の住む住宅になるとは、いやはや歴史とは面白いものだ。

 

さあさ皆さんいらっしゃい!1970年代の香港に来る人は、観光客なら財布の底まで、ビジネスマンなら会社を潰すまで絞り上げて見せましょうぜ、いやいやご心配なさるな、お金を盗むは一瞬で、痛くも痒くもないですぜ!

 

当時の香港は英国の最後の植民地として自由放任主義の下、片方では北京に睨まれながら片方では英国人をボスとして二人の支配者の間でバランスを取る人間だけが生き残れた。

 

香港で生き残ること、それはスピードと決断力である。誰もが自分の運命の主人公であり、馬の目を射抜くものだけが生き残ることが出来た。そんな芸当が出来るのは1千人に一人もいないが、生き残った者が得られる利益は半端なものではなかった。

 

人口あたりのベンツの普及率は香港が世界最高であるという話を聞いたことがあるが、街を歩くとそれは実感する。1970年代の香港と言えば、高級車に乗った金持ちが道端をふらふらと歩く貧乏人にぶつかって怪我をさせると札束を渡して走り去ったものだ。

 

香港で常にフォーブス誌に載るお金持ちと言えばレイ・カーセンだが、彼は白手起家の代表格である。貧しい家庭に生まれ子供時代から丁稚奉公で朝早くから夜中まで働き一生懸命に貯めた小金で自分の会社を作り、最初はビギナーズ・ラックで当てたが、それ以降は堅実に不動産投資を繰り返して大きな資産を作った。日本で言えば豊臣秀吉かな。

 

「さあさあ皆さん、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、金とはこうやって作るものですぜ」当時香港はチューリッヒの小鬼と呼ばれたスイス金融界の向こうを張って東南アジアで金融の中心地となり次いで発展する中国の西洋への窓口として貿易窓口となり、1980年代の香港は急激に栄えて次々と競うように高層ビルが建築され、日本のバブルのお金がこの街に流れ込んできた。

 

東南アジアの中心地として日銀香港支店が西はパキスタンから東はインドネシアまでを範囲として配下に日系銀行を揃えて協調融資(シンジケートローン)を行い発電所やダムを作り、足元の香港では日本語学校が次々と開校して日本語ブームが大流行した。

 

ぼくが香港に落下傘降下したのは、まさにそんなバブル景気ど真ん中の1991年後半だった。

 

あの頃香港に行くと云えば「ケツの毛を抜かれてスカスカにされて道端に放り出される」事を意味していた。「あんな街に英語もろくに出来ない、ましてや広東語も全然出来ない人間が放り出されて一年間生き残れたら大したもんだぜ」

 

そう言われながら飛び込んだ街が九竜半島の東端にある官糖のサウマウピンという集合団地だった。住人の半分は体中に紋々を入れて上半身裸で歩きまわる現役のやっちゃん、残り半分はこれから紋々をいれるか現役を引退したやっちゃんという、おそらく20世紀最後に残されたわんだふぉーな場所だった。

 

21世紀の今、あの頃の香港を振り返ってみると「あんな博打、一生に二回はうてないな」とは思うが、普通に日本で生きていれば絶対に出来ない経験だったとも思う。

 

もっとすごかったのはカイタック空港の近くにある無法地帯「九龍城砦」だ。清王朝時代の名残で香港警察が入ることの出来ない、恐ろしいほどに古くてぼろっちい違法建築ビルの壁に穴を開けて隣のビルと合体して、まるで迷路のような城砦である。

 

都会伝説もあり新婚旅行で買い物に来たご夫婦、奥さんが試着室に入ったきり出てこない。さっき対応してれくれた店員に聞くと「そんな人、知らない」という。世界中で同様の話があるけど香港の場合は「も、もしかしてほんと?」と思わせる雰囲気があった。

 

1997年返還で香港が中国の特別行政区になるとそれまでの景気は一気に冷え込み人々は香港から脱出し始めた。だが21世紀に入ると少しづつ中国からの観光客が増えて来てお金を落すようになり香港人はこれはビジネスチャンスだと割りきって標準語を勉強して免税店で手ぐすね引いて大陸中国人を見つけてはカモるようになった(苦笑)。

 

何時の時代も香港人は香港人だ。現実を最優先して理屈は言わず目先の金の為に全精力を使い、夜は家族で楽しく食事をして麻雀して夜更かしして、中秋の名月になれば月を愛でてお正月ともなれば花火と爆竹で騒ぎまくり遊びまくる。ほんとに疲れを知らず明日のことは明日のことと割りきって今を一生懸命に楽しむ。

 

モウマンタイ、問題ないって意味の広東語は今では日本人の間でも結構知られている。一時期の香港映画ブーム時に有名になった言葉だ。

 

香港に降り立ったのは夜の9時過ぎ。それからホテルに向かい親戚に連れられてシウイエ(夜食)を食べに近くの火鍋屋に行く。真夜中過ぎでも賑やかなお店ではワインの品数が増えている。90年代の香港でワインを飲む人間など全然いなかったのに、誰が仕掛けたのだろうかこのブーム。

 

味もわからないのにわかったような顔をして仲間でワイワイ言って「おれたちゃ昔からワインをさー」なんて話している香港人を見ると「お前ら、厚かましさだけはほんとに変わんないなー」と笑えてくる。

 

香港到着初日、気温20度。天気晴朗、半月が香港の街を照らしてました。



tom_eastwind at 19:27│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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