2012年12月24日

ゴッドファーザー 香港旅日記その2

昨日はパーティのダブルヘッダー、昼食は九龍湾の中華料理店に親戚で集まり飲茶だった。親戚の子供はどれも20歳過ぎでうちの龍馬くんが最年少。皆生まれた時から知っている顔ばかりだから誰も何も気にせずにワイワイやる。つまり子供同士は掴み合いで暴れまくり大人たちは他人さまの前では言えない内輪の話に花が咲く。

 

そのうちぼくの奥さんのお父さんの弟の息子(現在25歳くらい?)が富士フィルムのインスタントカメラを持ちだして皆の写真を撮り始める。そう言えば記事で最近はまたインスタントカメラが流行しているって聞いてたが、本当なんだね。

 

三々五々顔を揃えてピースマークで写真に収まる姿は日本人と全く同じ。ただ家族という範囲の広さの違いはひしひしと感じる。香港では家族と言えば親戚一同からその遠戚関係まですべて含むので一度も会ったことのない親戚がゴロゴロしているが、家族というだけでその繋がりは日本では考えられないほど強い。分かりやすく言えば大家族の財布はひとつの感覚。

 

うちも今は親戚の子供を一人預っている。17歳の男の子で彼が生まれた時から知っているが、家族の一員という事で食費、学費、生活費、すべて無料である。親戚から金を貰って預かるなんて発想は全くない。

 

これは何もうちの奥さんが単なるお人好しだから(本当に単なるお人好しなのだが)という意味ではなく家庭同士の長期互恵戦略、頼母子講のようなものなのだ。世の中他人は信用出来ない、その分血の繋がった家族がお互いに信用度チェックが不要の状態で助け合う。ぼくの世代で親戚の子供を預かって大学出るまで面倒をみる。

 

するとその子の子供が大きくなった時にうちの孫が大学に行きたい、けどうちに金がないとなったら無償で援助することになる。まさに長計100年単位の助けあいなのだ。家族は何も言わずに助ける、助け合わない家族は勘当されて子々孫々まで家族に戻れない。

 

勘当されて子々孫々まで誰も助けてくれないリスクを考えれば自分が今出来るうちに出来る事をやっておく。自分は世界中の誰に助けて貰う必要もなくても子供は将来どうなるか分からない、その為の保険なのだ。

 

さてっと飲茶パーティに戻ると、りょうまくんは香港をベースにする家族からすれば「バナナ」である。外は黄色いだけど中身は白い。だもんでりょうまくんは久しぶりに会うファミリーの関連性がよく分からず敬語で相手の地位だけを呼ぶべきところを(例えばお姉さん、2番めの叔父さんとか)キーウィ風にいきなり相手の名前で「せんち!」とか「ラムラム!」とか呼ぶものだから呼ばれた方はびっくりである(笑)。例えば日本で言うとりょうまくんがお父さんに向かって「ハイ、トム!」って言うようなものだ。

 

14歳の子供に自分の名前を呼び捨てにされるから普通なら怒鳴り返されてもおかしくないのだが、皆はりょうまくんがニュージーランド生まれってわかってるからかえって笑いの種になる。

 

「おいりょうま、このお兄ちゃんは何て呼ぶの?」

「3番目の兄ちゃん、名前?知らない!」

龍馬くんはお母さんのお父さんの弟の息子を何て読んだらいいか分からずに真面目に答えるものだから皆大受けだ。

 

実際に香港で家族関係を説明するのは非常に難しい。ぼくも今でも殆ど理解出来ていない。所謂直系家族の傘が無茶苦茶に広いのだ。そして家族間の繋がりが非常に強い。さらに家族を取り巻く村や地域の繋がりも日本では考えられない程に強い。

 

龍馬くんはこの状況で「ぼく分かるよ。お父さんお母さんとお姉ちゃんと僕が一個の家庭(がーてん)で、ここに来てる皆は家族(がーちょ)でしょ、ファミリー・ツリーだ!」と言ってキャッキャと喜んでる。

 

これに更に乗っかるのが義兄弟だ。これは「生まれ育ちは違っても死ぬ時死ぬ場所は一緒だぜ」というくらい熱い付き合いとなる。こうなると深い親友同士がお互いの子供の名付け親になり、家族とは一味違った一生の付き合いが始まる。

 

日本のような何となくフェイスブックで気軽に友達登録とか義理良いね♪などは有り得ない深い付き合いであり、時にはこれが金だけでなく命の貸し借りまで発展することがある。今の日本では考えられない深い契りとなるのだ。

 

お昼の飲茶では約2時間、延々と食べながらお茶を飲みお喋りを徹底的に楽しむ。男性も普通に参加してよく喋るのだが、香港ではあまりお酒を飲む週間はないのでずーっとお茶だ。もちろん僕もお茶。

 

その際に結構ファミリーの中で暗黙のうちに目利きをするようになる。子どもたちの生育状況に応じて次の世代のファミリーのリーダーはどいつだ?てな事である。きちんとした受け答え、礼儀、さらに取りまとめ能力などをそれぞれの親がお喋りしながら見ているのだ。

 

うちの娘もりょうまくんもどっちも直系なのでいつの間にやら本人たちが知らないままにゲームに参加しているわけだが、このファミリーの中でぼくの位置づけはあくまで外部のお客さんである。礼儀も敬語も葬式の時の遺影への拝み方も少々知らなくても良いがファミリーのリーダーになることは有り得ない。

 

映画ゴッドファーザーでもイタリア人でないとファミリーには入れずユダヤ人で優秀な連中は「コンシェルジェ」と呼ばれてファミリー直系の中の競争には入れない。けれど能力に応じて外交を担当するコンシェルジェという技術職に付いていると考えた方が分かりやすいだろう。

 

このファミリーは祭(草冠に祭り)一族であり、元々はうちの奥さんのお父さんが仕切っていた。その後お父さんが病気で亡くなりお父さんの弟がしばらく仕切っていたがこれも病死。なので今は弟の奥さんが何となくとりまとめ役になっているが、奥さんは元々が他のファミリーから来ている為、そろそろ次の直系世代に頑張ってもらいたいなというのが今の一族全体の希望のようである。

 

だからこのような集まりでは20歳過ぎた子供が自然と主役となる。ファミリーから嫁に出ていってもファミリーの一員であるのでそれなりの発言権はある。本来はファミリー仕切り役の長男が仕切るのが自然であるが、厳しい香港の生活環境では単なる順番で長男に仕切らせて長男に能力がなければファミリー自体の力が弱まる。そこでファミリー全体の中の直系の男子でどいつが一番優秀なのか、次代を任せるに匹敵しているかが問われる。

 

次世代の人々はぼくから見て「たぶんこいつかな」ってのが2人くらいいる。どちらも誠実で子供の頃から苦労しているが決して問題から逃げようとせず安易に手助けを求めない。今はまだ若くあまり将来性のある仕事に付いているとは言えないが、仕事ではなく人格で将来性が発揮できそうだ。

 

彼らと笑って別れた後は一旦ホテルに戻り次のパーティに備えてシャワーを浴びて今年一番の冷え込みの夕方の湾仔に向かう。



tom_eastwind at 17:52│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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