2012年12月25日

The Band of Brothers

湾仔と言えば映画「スージーウォンの世界」で有名になった舞台である。1960年にウイリアム・ホールデン主演で発表された映画はたちまちブームとなり主題歌と合わせて魅惑的な湾仔の夜や香港のエキゾチックさを世界に知らしめた。

 

1960年代当時の猥雑さは米国による一方的な宣戦布告なきベトナム戦争によって更にその過激さを増し、ベトナム戦争で狂気に放り込まれた兵隊たちが香港に休暇でやってきては暴れまくったものだ。

 

その猥雑さと過激さは今でも猥雑な部分だけは残っており、陽が落ちると次第にその猥雑さが更に過激になる。最近はミニスカ(死語)のフィリピン娘が道を歩く白人の酔っぱらいに声をかけて道端でゴーゴーダンス(これも死語)を踊り、あけっぴろげの店内では激しいビートに酔った白人とフィリピン娘が絡みながら腰を振ってダンスを踊っている。

 

更に輪をかけるのが店の入口に座っているおばさん連中だ。彼ら亀の甲羅を被ったような百戦錬磨の客引きババーは、けだるそうに指の間に挟んだタバコをオーケストラの指揮者のように振り回しながら「ヘイ!、イックシュキューズミイ!」と道を歩く男たちに声をかけてる。

 

たまに酔っ払った白人の親父が椅子に座った客引きババーの膝にに乗っかって椅子でゴーゴー(それにしても死語だ・・)やったりしてて風営法はどこにあるのかと悩ませるが、ここも九龍城砦と同じような、ある意味香港の特別区なのかもしれない。

 

「この街に足を踏み入れるなら覚悟しなよ」って事なのかもしれない。昔はこのあたりを日本人も歩いていたがあまりに危険であり最近の日本人もっと大人しく遊べるコーズウェイベイ側のフィリピンカラオケに移動している。ここはスージーの世界から50年かけてまたも白人の街に戻ったようである。

 

さてそんな街のど真ん中にあるのがスージーの時代から営業を続けているような北京料理レストランがある。その名もずばり「メリケンクラブ(美利堅・京菜)」!これも死語ですな、最初りょうまくんにメリケンはアメリカンの訛りだよと説明したら不思議そうな顔をしていた。

 

タイルの床に低い天井、エアコンは木枠で吹き出し口が付いており、時折息を吹き返したかのように冷たい空気を送り込んではまた暫くゲホゲホとお休みに入る。

 

料理はまさに1960年代に西洋人にとっての常識「こうあるべきな中国世界」であった濃い味付けの大皿ドッカーン料理であり北京鴨が名物料理であるが鴨の突き合わせの野菜はきゅうりだったりして笑える。レタスを使った生菜包は本来は鴨の皮を剥いだ残りの肉を使って作るはずが、なぜか北京かもが出る前に生菜包が先に出てきて「この鴨肉は何処から来たの?」と笑わせる。知らぬが花とは良く言ったものだ(笑)。

 

ここで集まったメンバーは奥さん方の小学生時代からの友達2人とその家族。3人のうち一人は未だ妙齢の美人(見かけはどう見ても30代前半、10歳以上得してます)なのだが結婚もせずに20代で自分が秘書として働いていた銀行でローンを組んでアパートを購入し払い終わり今でも仕事をしながら悠々自適な独身生活を楽しんでいる。

 

一般的に香港人女性で可愛いとか綺麗ってのは少ないが、その部類に入る人々の特徴としては殆どすっぴん生活をしており年を取っても若い頃の肌ツヤとか可愛らしさがそのまま残っているケースが多い。

 

今回集まった3人もまさにその範疇に入る(奥さん、褒めてますよ!)ので「デスペラートワイフを地で行くような3人だね」とからかったら「あんなアメリカのダサいのと一緒にしないでよ、脳の作りが違うんだから!」と笑って返された。あいも変わらずこの3人は大したものだなと再度認識した瞬間。

 

この店に置いてあるビールは青島が中心だ。香港ではサン・ミゲルがよく売れるのだがこの店では香港に住み着いてしまった白人酔っぱらい客や今でも第二のスージー・ウオンが生きていると思ってる夢見る白人に果てない夢を見せるための小道具なのかもしれない。

 

この店の特徴は料理が古いだけではない。働いている従業員も京劇「ちゃらちゃらちゃらちゃらちゃっちゃんちゃん」のノリに出てくるような典型的な古い香港人も雰囲気に輪をかけている。

 

背景に流れる雰囲気は1960年代、それもローラースケートで料理を持ってくるわけでもなく腰が曲がったおじいちゃん達が襟の汚れたろくにアイロンもかかってない白シャツに冷房よけの為にしわくちゃの紺色のVネックセーターを不器用に着て首を前に突き出して料理を運んでくる姿が米国人にとって「あるべき中国人の姿」なのだ。

 

スティーブ・マックイーン演じる「砲艦サンパブロ」という映画を観たことがある人がいると分かりやすいが、まさに「東洋の世界」であり「あるべきところにあるべきものがある」お店なのだ。

 

これは言葉を返せばメリケンが騙されているわけであり本当の香港はそんなところにはない。けれど商売になるのなら相手の希望するどんなものにでも化けてやれるのが香港人である。

 

清朝の時代には広州の端っこにある漁村でしかなかった香港が英国の侵略により植民地化されて東洋の真珠とまでなれたのは、まさに生き馬の目を射抜く香港人の商才にあった。

 

幸運とは中国では目の前を一瞬で走り抜ける後ろ髪のない子供だとされていた。通り過ぎる頃に掴もうとしても禿頭は滑り抜ける。唯一目の前に来た瞬間に幸運かどうかを判断して正面から掴むことしか出来ない。

 

その為に必要な技術を日頃から磨いておく。どのような機会が来るか分からないから、とりあえずどんな事でも学ぶ。そして一定の学びが6割方終了したらすぐに次の科目を勉強する。この繰り返しで香港人は基礎学力を高めていくのだ。

 

そうやってアヘン戦争で侵略してきた英国人からすぐに様々な知識を吸収し彼らが望むものを用意して彼らを喜ばせることで香港という土地を金儲けのカジノに変身させて誰もが集まる情報センターに作り変えて、何もないところから無限の付加価値を持つ土地にした。

 

これは、日本人が生育する環境とは全く正反対である。日本人の場合は一箇所にじっと留まってどのようなことがあってもその場所を死守し絶対に家業を変えずに次の世代に引き継ぐ。環境が変わろうと世界が変わろうと百年同じ事を繰り返すのが日本人である。

 

ところがそれは元々付加価値のある家業だし土地だから有効なのであって、生まれ落ちて何もない香港の人々からすれば自分の土地に付加価値を付けるために手を変え品を変え家業さえ変えてとにかくどんな事があっても生き残ることに専念していくしかなかった。

 

ある意味日本人ってのは幸せである。先祖の土地に乗っかって何も考えずに毎日働いて入れば飯が食える土地に生まれたのだから。

 

同じ時にアフリカの田舎の乾ききった土地で生まれて独裁者の支配の下で極限まで追い詰められて最後には集団虐殺されるしかなかった子どもたちと比較すればどれだけ幸せであろうか?

 

香港人の場合はアフリカ人ほど酷くはなかったが日本人ほど幸せではなかった。その真中辺あたりで何とか生き残る努力の余地があった。そして本今時はその余地を目一杯に梃子を使って押し上げた。

 

その結果として今の香港がある。常に体制に寄り添うようにしながらいつの間にか体制から金を吸い取り自分が膨らんでいく、そういう戦い方で生き残ってきた。

 

寄生虫?呼びたかったら何とでも呼べ、所詮は飯が食えてなんぼである。政治が食えるか?政治が寝れるか?政治が抱けるか?とにかく今日を生き残ることに一生懸命な人間からすれば日本人のような甘ちゃんと寝言を話しているヒマはない、今日の飯を食うために出来る事をする、家族を守るために能力を最大限に高めて戦う、それしかないのが香港だ。

 

英国人が支配した19世紀、米国ビジネスが広がった20世紀、共産党中国が乗り込んできた21世紀、香港は3世代に渡ってワガママな独裁者の下でしたたかに生き残ってきた。乗り込んでくる支配者から血を吸いながら自分を膨らませていった。

 

ただ香港人の大きな特徴として言えるのは、誰もが自分だけの利益を考えずに常に家族全体を考えながら生きているって事だろう。それから毎日を楽しむ性格だ。お金を貯めるってのではなく、今日稼いだお金はパーっと使って周囲を潤しながら翌朝に空っぽになった財布をどうやってまた膨らませるかを考える。

 

旅行では派手に金を使い経済を回す原動力となり、更に何もない土地に出来るだけ付加価値を付けて、今誰が何を考えているのかを考えて、最大限に付加価値を高める商品を提供する。最終的にその商品は「夢」と呼ばれる。

 

それは一夜の夢であろうしもしかしたら一年くらい続く夢かもしれない。しかし最後に立っているガンマンは香港に根ざした香港人なのだ。

 

そんな事を考えながら、この義兄妹3人組を見ている。

 

まさに生まれ育ちは違うが死ぬ時は一緒の小学生からの付き合いだ。すごく濃い。実はぼくが初めて香港に住み始めた時、最初の1か月は仕事がなかったのと転がり込んだ奥さんの実家(全部で畳5枚くらい)であってもある程度家財道具を少しは揃える必要があった時、奥さんは真面目な顔で義兄妹に電話をして「ごめん、ちょっと金貸して」と平気で言った。彼らの間での貸し借りは日常茶飯事、夕方の料理時に味噌醤油が不足した時にちょっと借りに行く、そんな感じだ。

 

決して誰もが貧しい訳ではない(てか彼らみなしっかり仕事している)けど時々急な物入りの時の助けあいだ。彼女は心良く「いくら?」と聞いてきた。いつ返すかなんて決して聞きはしない。

 

それから10年後くらいだったかな、今度は義兄妹からメールが来た。英国の大学に入学することが決まった子供がビザを取るために学費を振込のは自費で当然だが、突然のルール変更で生活費まで資金証明が必要となった時、彼女が「ごめん、今すぐに現金がないけど2年以内に利息を付けてこうこうやっ返済するからお金貸して」である。

 

うちの奥さんは一切余計な事を聞かずに「いつ、いくら、どこに振り込めばいいの?それだけ教えて」そして後日、義兄妹は正確なまでに予定通りに返済してくれた、もちろんうちの奥さんは利息は絶対に受け取らなかった。「あんたバカ?あたしは金貸しじゃないよ」。

 

100年単位での貸し借り、ゴッドマザー、うちの子供の名付け親たち、家庭と家族の繋がりの大切さ。

 

ちょっと話は逸れるが家族を破壊して国家に従順させようとしているのが共産主義である。彼らは家族の繋がりを破壊して核家族化を進めて更に教育で子どもたちを家族ではなく国家に従順化させようとしている。「1984」のビッグブラザーだ

 

そして今この政策で世界で一番成功しているのが共産国家日本である。

 

あなたは友達の借金申込みに平気で「ああ、いいよ、いくら?」と言えるか?友達に死んでくれと言われて死ねるか?友達のためなら金も命も死ねるのも香港人の付き合いだ。フェイスブックで「義理良いね!」の空想世界ではないのだ。

 

家族(ファミリー)とは違った意味で親密な付き合いをしている義侠妹3人組との食事。おまけに場所が湾仔。食事が終わってMTR(地下鉄)に向かう途上、彼らより一足先に歩いていた僕は独り者と思われたのだろう、歯の抜けたババーに「イクシュキューズミー!」と声を掛けられた。

 

娘に「お父さん、他の男の人には声かかってないのにさ、脇甘くない?」ってからかわれた。一瞬むかっと来た。これでもお父さん、日本では強いんだぞ、そう思った瞬間に「けどまあ香港じゃまだ子供かな」と思い返した。

 

湾仔の夜、メリケンクラブでは「あるべき中国人」が「あるべき姿」を演技してメリケンに料理を食わせ、通りではゴーゴーダンスとスージーウォンの世界が繰り広げられメリケンからボッタクリ、ぼくは喧騒の合間で道端のババーに声をかけられ、日本と香港とニュージーランドのハイブリッドであるうちの娘は相手に合わせて四ヶ国語を使い分けて対応しながら、たった三ヶ国語、そのうち2か国語はネイティブでさえない親父をからかってクリスマスの夜は過ぎる、サイレントではない湾仔の夜でした。



tom_eastwind at 19:17│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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