2012年12月27日

箱根の山は天下の険

冗談のような本当の話であるが、昭和後半、日本航空で働く職員に福岡勤務を命じたら「箱根を越えて西へ行く事は当家の規則で認められておりませんので退職致します」という事があった。もちろんその辞令を出した上司はその後日の当たらない道に追いやられたことは想像に難くない。

 

当時の日本航空と言えばお役人航空であり政府管理下にある組織で就職のために最も必要なのは個人の能力ではなく学歴でもなく血統、血筋であった。今の電通の公務員版と思えば分かりやす。

 

彼ら若者は親の血筋で日本航空に就職し東京銀座資生堂パーラーでお昼ごはんを食べて彼らの親は日本橋三越の外商から必要な物を取り寄せる身分であった。「え?三越に行ったこと?この前行ったのはいつかしらねー、あれは確かお父様の時に〜」くらいの感覚である。

 

それほどに東京の人々からすれば九州は山猿の住む辺境の地であり、花のお江戸の日本航空に就職したのに「九州?あり得んし!」の世界だ。

 

箱根湯本に泊まり水着で利用出来るユネッサンスを楽しんだ。ここはぼくら家族のような山猿庶民が利用出来るように手頃な値段で様々な遊びが用意されており、水着で遊べるお風呂、ファミリーカラオケ、豪華バイキング、等などが東京に住む人々のお休みを癒してくれる。

 

翌日は実に長旅だった。そして箱根が元々は東京のセレブのために作られた街であるというのを実感した。ホテルからルートS、観光地巡りのバスに乗り御殿場のアウトレットモールまで約1時間30分のバスの旅なのだが、途中で見かけるポーラ美術館、星の王子さま、ガラスのなんちゃら、その合間に並ぶ一流企業の保養所やお金持ちなんだろうな別荘が連なっている。

 

バスの離合が大変で転車場があるくらい細い路地をくねくねと器用に曲がりながらぼくら家族を載せたバスは箱根の観光名所をぐるぐると回っていく。湯元、強羅、仙石、なんちゃら、最後はアタマの中がぐちゃぐちゃになってしまったが、このあたりってまさに文化の集積地だなって感じ。

 

10年近く前に生まれて初めて訪れた大磯小磯のあたりでは明治時代あたりのきりっと和服を着こなしたお嬢様がバアやの捧げ持つ傘の下をそそと歩く感じだったが、ここ箱根は文豪とか芸術家とか資産家が私財を投じて美術のまちにしたって言うか、温泉町というよりも芸術の森って感じだ。

 

何だかなー、こんな箱根で生活をするってのはある意味超贅沢だ。思わず自分の生まれた環境と比較してみると、箱根のオシャレな強羅温泉に対してこっちゃあ浴衣で飲みに出かける別府温泉、箱根から遠くに眺める富士山に対してこっちゃあ猿の集まる高崎山、どう見ても文化の違いでっせ(苦笑)。

 

こりゃほんと、東京の人は文化税を払ってもらわなくちゃね(笑)。これじゃ確かに箱根を越えた転勤は有り得ないって日本航空職員の気持ちもよく分かるぜベイベーである。

 

この日、箱根湯本の旅館で「今から富士急ハイランドに行くんですけどタクシーだとどれくらの時間がかかりますか?」と聞いたらびっくりしたような顔で「タクシー!ですかあ!2時間以上かかりますよ」と、まるで今から銀河鉄道で月に行くんですけどと言われたような顔をされた。

 

実際に距離と時間を計算してみると、どうやら箱根から河口湖まで行くのは気違い沙汰である。それは東京出身のうちのスタッフにも「あり得ないですね」と一言で断ち切られてしまってたのでやっぱりソーカって感じ。

 

それにしてもこれだけ年輪を重ねた文化を目の前に見せつけられるとやっぱり東京って凄いよなって思う。こりゃやっぱり文化税を払ってもらわなきゃと思う。山猿の住む九州では有り得ないような文化である。

 

けど、ここでふと思った。文化の古さと言えば京都はもっと長いわけであり大阪だって東京より圧倒的に長い。京都で「この前の戦ではー」と言われて「第二次大戦ですか?」と聞くと「ちゃいます、応仁の乱の頃ですわ」と普通に返された。

 

第二次大戦前後に多くの韓国人が日本にやって来たり戦災を逃れて来た人々が大阪を選ぶのも当時の文化の成熟度や仕事の多さから考えれば当然であると言える。

 

その意味で江戸が日本の中心となったのは太田道灌のすぐ後であり京都と比べてもたった400年ちょいくらいしかない。東京になってからも大阪と比較すれば戦前は完全に経済的に負けていたが戦後、とくに1980年代初頭あたりから東京シフトが始まり「大阪で生まれた女が今日大阪を後に」して東京に向かい、東京の決定的な勝利が決まった。

 

京都や大阪に比べて最後発で成長した江戸→東京であるが、今ではぼくのような九州の山猿からすればしっかりとした歴史を持った街である。

 

ちょうど僕らの世代ではないかな、大阪から東京に主導権が移ったのは。というのがうちの長兄は大阪(正確には兵庫だが九州から見たら同じようなものだ)に就職してて沖縄出身の集団就職先も大阪が多かった。けどぼくの時代は日本の真ん中は東京だった。思えば1980年がひとつの時代の区切りだったのかもしれない。

 

その後新幹線が高速化し飛行機があちこち飛ぶようになり東京本社がひとつあれば支社が不要な時代になった。それは21世紀になってインターネットと国際線が飛躍的に成長する中でますます一極集中を招くようになり、日本に二極が不要になった。

 

今日も旅日記。子どもたちの旅先リクエストがなければまず来ることがなかったような箱根と富士山の旅、まだまだ続きます。

 

ところで箱根から富士の河口湖近くの富士急ハイランドまでの移動、タクシーでは基地外呼ばわりされて仕方ないのでバスの乗り方を聞いたのだがバスの移動は御殿場経由で合計4時間近く移動にかかる。

 

仕方ねーか、途中のアウトレットで昼飯でも食って行くかー、まあタクシーより安んだろうなと思ってた。結局タクシーの方が圧倒的に安かったって分かるのは後の祭り、それはまた明日。



tom_eastwind at 22:08│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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