2012年12月30日
山中湖にて
バスが山中湖に近づくと「なんだこりゃー?こんな出来上がった観光地ってなんだー?」っとびっくりする。まさにここは昭和である。
東京で仕事をするサラリーマンと女性社員が互いの結婚相手を探すために大型バスで慰安旅行に参加してバスの中でのお喋りの上手さや大宴会場での8トラカラオケ(1970年代はまだ現在のようなビデオ付きカラオケがあまり普及してなかった)を使い、日頃は助けあって働いている同期の仲間の足を引っ張るべく競争する姿はオスの生き残り競争を実感させる。
そして翌日は運良く狙った星を獲得したオスたちが可愛らしさをまとうメスと二人、小型の足こぎボートで山中湖をすいすいとボート遊びを楽しみ、ゲームに負けた連中は朝ごはんからビールを飲んで風呂に入り男同士で麻雀に耽るといういつものパターンが出てくる。
山中湖に浮かぶ大きな白鳥船を見た龍馬くんはびっくりしたように「お父さん、見てみて、おっきい鴨が浮かんでるよ!」だって。湖の近くには昭和のレトロ雰囲気たっぷりの「スナックらん」とか「スナックあすなろ」とか、二階建ての外壁の薄汚れた雰囲気がまさに昭和のイメージのお店が並んでいる。
道路沿いには昭和からやっているような食堂や旅館が並んでおり、右手に広がる山中湖の桟橋は鴨ボートや手漕ぎボートが寂しそうに漂っている。今の時代、もうカップルが遊びに来る場所ではなくなっているのをひしひしと感じさせる。
湖を右手に見ながら途中まで進むといきなりファナック通りってのが出てきた。なんだこりゃ?と思ってると左手に黄色い大きな工場が見えてきた。少し進むと左右にファナックの工場が連なるようになる。そしてもう少し進むと左手にはファナックの受付門がある。
そっか、ここは町が企業誘致をしたんだろうな、だから道路にもファナックの名前を付けているのかな。けどこんな環境で仕事をする労働者からすればうれしい話だろう。昭和の観光地としてはもう生きていけない、それなら空気の綺麗さを利用して精密機械企業を呼び込むって事もありだなと思ってたら、後で調べてみるとファナックは1980年代初頭に富士通から独立して以来富士山麓に工場を持っていたようだ。
山中湖畔とファナック、なんかバランス的には違和感があるけど、昭和をずるずると引きずって潰れたしまったような伊豆の大旅館に比べればずっと健全ではある。
時代が変われば生き方も変わる。どんな大旅館でも百年営業している恐竜のような大型旅館でも変化に対応しなければ潰れてしまう。時代に応じて変化出来た者だけが生き残ることができる。
それは伊豆だけではない。全国の大きな旅館はバブル時代に大宴会場を作り大型バス数台を連ねてやって来る慰安旅行団体を獲得してきた。しかしバブル崩壊後に会社組織は一気にその姿を変えてしまい、慰安旅行に行くよりは都会のホテルの宴会場でパーティだけやって後は自由行動となった。
そして更にパーティどころか勤務時間以降に社員を拘束するパーティって、残業手当付くんですかって質問が出るようになると、大型旅館の巨大宴会場はまさに単なる箱になってしまった。
その時点で変化に気づいた経営者は旅行客の個室化に対応して宴会場を潰して個人客向けに客室内に露天風呂を入れてみたり個室食事の豪華化を図ってみたりしてカップルや家族客向けにシフトした。
そうやって生き残った経営者はほんの一部で危機感を持っていた人々だが、伊豆でもその他歴史的に有名な観光地の旅館でも二代目経営者に危機感はなく「バブルよもう一度」と願うだけで何の努力もせずに、銀行から金を借りて設備の作り変えをする最後の機会を失って旅館をたたむことになった、借金まみれのまま。
結局二代目の彼らに足りなかったのは生き残る努力であり目を開いて次の時代を読み取る力であり変化をする勇気がなかった事だろう。
山中湖は東京の人々の休息の地として成長してきた。別荘地としても有名である。素晴らしい景色と豊かな自然が人々を呼び込み、年間で400万人の観光客が訪れる。
しかし現実としてこの町に生きる人々は「川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず」である。人々は変化していく。変化出来ない人々はどれだけ巨大であっても流されてしまい、いつの間にか歴史のかけらとなっていく。変化する者だけが生き残れる。
このブログを読んでいる方にはいつも感謝しています。けど、読むだけで実行しなければあなたはあなたの家族を守ることができますか?10年先の事を考えて決断出来ますか?
バブル以前とバブルど真ん中、そしてバブル崩壊と失われた20年を、その前半は日本で、後半は外国から見てきた元日本人として21世紀に入って山中湖を回る。なんとも感慨のある旅。一年の締めくくりにはちょうど良いかもと思う旅は、まだまだ続きます。