2013年01月03日

差別の連鎖

沖縄ツーリストという旅行業界において珍しい旅行会社がある。従業員600名程度の企業であるが東京や沖縄に大きな支店を持っている。この支店の主な目的は沖縄から集団就職でやってきた沖縄人の為のアウトバウンド業務を取り扱っている事だ。

 

当時の沖縄では村毎の団結心が本土に比べて圧倒的に強く就職先でも彼らは互助会を作り助け合いながら生きてきた。だから沖縄人のための旅行会社が出来たのも自然な流れであった。

 

特に本土で生きるというのは日本人が海外で生活をするのと同義語であり少しアクセントのずれた標準語を話す沖縄人は本土人にとって二級市民でしかなかった。まともに言葉も話せず現地事情も知らない若者は差別の対象でしかなかった。

 

結局日本が行なってきたのは東京を中心とした日本の成長であり地方はその為の労働力提供の場所でしかなかった。これは九州や東北からも集団就職で東京大阪に働きに出た若者と同様である。

 

普天間基地にはオスプレイが配備されている。タクシーの運転手さんは「私の祖先は300年くらい前に福建省からやって来てるんですね、以前故郷を見たくて中国に渡ったのですが、どこがご先祖様か分からなかったですね」と語ってくれた。

 

沖縄にとっては日本も中国も隣国である。今はたまたま歴史的偶然で日本の統治下にあり米軍が駐留しているだけだ。

 

その後、沖縄の古城である勝連城址を見てから沖縄の古代の歴史を少し資料館で見学する。沖縄も1200年代から1600年代までは貿易の盛んな独立国家であり、その中でも勝連城は力のある王様の住居だった事が分かる。

 

ここで公正を期すために付け加えておくと、沖縄でさえその内部では差別があった。本土の沖縄人が一番上で先島と呼ばれる離島の人々は沖縄本土の収奪のエサでしかなかった。宮古島や久米島の人々は程度の差はあれ沖縄本土への貢物を要求されていた。

 

つまり何時の時代も大きな者は小さな者を虐げて搾取の対象としてきた。それは現代も変わりはない。人はそうやって搾取の連鎖を作っていく。連鎖が歴史的に失われないものであるならば出来るだけ搾取の差を縮めて皆が平等に近い状態になるようにするのが民主主義であり共産主義である。そして搾取を広げるのが資本主義であり自由主義である。

 

ぼくはどちらかと言うと共産主義の考えに近いが決して共産主義の理想が人間によって成功するとは思っていない。搾取はどうしても能力の違いによって発生する。能力の無い物が能力のある者と同等の権利を主張することには社会の発展という意味から無理がある。

 

わかりきった事だが能力があってもなくても同等の権利があるのなら能力のある者はその能力を使わずに楽をして能力のない者と同等の権利を主張するだろう。それが人間の本質なのだ。

 

だから社会成長のためには能力のあるものに少し多めの食い物(権利)や自由を与えなくては起業も成長も農業の発展もない。しかし最終的に受け取るもの(食い物や権利)にあまり差が広がり固定化すればこれは社会の安定という意味から良くない。どれだけ一生懸命に働いても貧乏人の子どもが貧乏と固定化されればそれは安定した社会の中で暴動を生む可能性が出てくるからだ。

 

能力のある者は社会のほんのひとにぎりである。数的に少ないから多数者を法律や警察の力で抑えこもうとする。それが社会福祉であり恐怖政治なのだ。

 

社会に常にある程度の差別が存在するのであるならば早いうちに自分の能力の発揮出来る場所に移動してその中で成長すべきだ。成長した上で権力を握ってから社会を出来るだけ平等に、つまり自分の受け取る権利を少なくして全体を成長させる政策を取るしかない。

 

つまり自分の望む社会を構築するためにはまず自分が強くなければいけないのだ。口ばかり達者でも社会は変わらない。宮古島の離島の子どもが強くなるためには差別があっても那覇に渡りそこで成功して発言権を得るしかない。そうすれば自分の代は苦労しても子供の代で差別の連鎖の一番下から少しは上にいける。そうやって社会での発言権を得るのだ。

 

時代はずっと後になるが福岡からハワイに渡り二世として欧州戦線で活躍して片腕を失くして帰還後弁護士となりその後上院議員として素晴らしい成果を残したダニエル・イノウエはまさに何もないところから自分の望む平等な社会や日米の平和に貢献した。

 

いつの時代も同じだ。時代を選んで生まれることは出来ないが生きる場所を変えることは可能だ。東郷という名門が東京にある。彼らの祖先は朝鮮から薩摩に連れて来られた陶工である。しかし運良く明治時代の勝ち馬である薩摩に取り入れられその能力で出世して朝鮮名を捨てて東郷という姓を得て東京で日本人の名門となった。鈴木宗男事件で名前が出た外務省の東郷氏はその血統である。

 

歴史が繋がっており差別の連鎖があるならば自分の家族のために何が出来るかを差別が固定化する前に考えて行動することだ。自分の代では出来なくても自分の子供の代では出来るだけ社会の上に登っていけるようにすべきだ。

 

普天間と沖縄の歴史を見ながら、そんな事を少しづつ砕いてりょうまくんに話してみる。まだまだ早いと思うし理解は難しいと思う。けれど歴史の現実を見せながら彼の興味のある戦争をテーマにして家族がどうあればもっと幸せになれるかを話す機会があるだけでぼくは幸運だと思った二日目の沖縄でした。



tom_eastwind at 16:23│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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