2013年01月04日

首里城にて 1

長くなったので昨日は少し観光地の事を省いたが嘉手納基地の事も書いておきたい。嘉手納にある道の駅で4階建ての建物の屋上に上がると備え付けの100円望遠鏡があり米軍の航空機を眺めることが出来る。この時はお正月だったので戦闘機の練習はやっておらず輸送機が少し飛んでたくらいだ。

 

ぼくの時代は道の駅はなく道路の反対側、つまり嘉手納基地の柵のすぐ外側にある小高い丘から眺めていたものだ。足元では猫の額のような土地で野菜が作られていた。野菜作りは今も同じだが道の駅で嘉手納を見る機会が来るとは思いもしなかった。

 

沖縄は今、本土で語られているような基地と普天間とオスプレイがどうのこうのと言った悲劇の被害者ではなく、見事に本土民を騙し通して恫喝と交渉で多額の支援を日本政府から勝ち取り自助自立に向けて急激に成長していることが分かる。

 

去年だか、米国政府の高官が「沖縄はたかりの名人」と言ったがあれは嘘でも誇張でもなく、見事に交渉上手な貿易民族として日本政府から次々と予算を取り付けてきた実績を示しているだけだ。

 

このあたりは本土の理屈と新聞を読むだけでは絶対に分からない世界である。そしてそれは恥ずかしいことでも何でもなく、自分たちの土地と日米の歴史を逆用して沖縄に最大の利益が落ちるように仕向けた沖縄政府の勝利である。

 

日本中の地方都市が疲弊してシャッター街と行くあてのない年寄りを抱えた現況と比較してみると、元気の良い老人と統計の上では最も失業率が高くて生活が大変なはずの沖縄の若者が地元で実に生き生きと賑やかに生活を楽しみ家族を守っている様子がよく分かる。

 

間違いない、日本政府は沖縄政府に「たかられて」いるのだ(笑)。正直、笑いを堪えられない。誰でも映画とか観てて、最初は社会の一番下にいた人が努力して周囲の人間を追い抜いていつの間にか自分が最も強い立場に成長していくのは、実に胸がすっきりするものだ。

 

これは愛国とかのごまかした日本語ではない感情だ。愛国とは愛政府であり郷土を愛するのとは全く別次元の感情である。この違いを出来るだけ見せないようにしているのが日本政府でありそれに見事に騙されているのが日本の一般的な国民である。

 

昨日も書いたが人間の歴史が差別の連鎖であるなら自分が置かれた場所をどう利用して一番賢く生きていくかは、貧乏人に残された唯一の差別解消策である。そしてぼくは沖縄が今実に狡猾に本土から離れていくのを感じている、独立に向けて。

 

さて沖縄の歴史。

「何だ、尖閣ってここにあるんだ。でもって沖縄がここで台湾がここで〜」首里城の歴史資料館で1200年代頃からの沖縄の貿易国家としての流れを日中夫婦とハイブリッドチルドレンが見ていく。

 

1989年、ある日本人男性が自分の事を決して中国人として見られたくないと心底から考えている香港人女性とニュージーランドで知り合って結婚した。ニュージーランドで生まれた子どもは学校ではキーウィ式の教育を英語で受けて家庭では香港式の価値観を広東語で学び、日本のアニメやテレビで日本文化を学び(美少女戦士セーラームーンは最初は広東語、次に日本語、そして英語版でも見ていた)3カ国の文化と歴史を学ぶハイブリッドな子どもたちになった。

 

ある意味今の沖縄に近いものがある。沖縄は日本と中国の歴史を取り入れながら独自の文化を持ち最近の60年は米国の西洋文化も学んでいったハイブリッド民族である。

 

それに対して日本政府及び本土の日本人は日本の事しか知らず日本の文化を通してしかものを観ようとせず日本の文化のみが正しいと信じて挙句の果てに沖縄は日本であり外国に対して愛国心を持ちだして沖縄を自国領土として主張するが、その本土がどれだけ歴史的に沖縄文化を否定して破壊して日本化しようとしたか、そしてつい最近までは二流民族としてバカにしながら外国に対してエサとして使われたそのような歴史をどう思うのだろうか?

 

このような本土的発想はまるで共産中国がチベットに対して行なっている弾圧と何一つ変わりはしないという事実とどう向かい合っていくのだろうか?それとも本土と沖縄の間には何の差別もなく沖縄の人々は日本人であり法律のもとに平等に扱われているとでも、まるで共産中国がチベットについて外国に説明するのと同じような理屈を並べるのだろうか?

★抜粋開始:朝日新聞元編集委員早野氏の寄稿に対するブロゴスの意見

ましてや、おそらく早野がタカ派と見るのであろう、尖閣諸島や竹島をめぐる強硬論は、自国領を守りたいという素朴な国民感情の表れであり、別に中国や韓国に攻め入ろうといった主張が展開されているわけではない。

★抜粋終了

 

このように「尖閣諸島を自国領として守る」という発想は中国が沖縄を自国領と主張するようになったら更に激しさを増すであろうことは語るに待たない。

 

ぼくは尖閣諸島が日本の領土であり沖縄が日本国に従属する領土である事には全く否定はしないし今の中国の主張を一切認めるものではない。しかしそれは愛国でも愛政府でもない、単純に近代の国際法の解釈によるものである。

 

法律には常に幾つかの原則がある。その原則を基に法律が成立して効果を発揮する。それは条約においては国内法よりも上位に位置するし国際条約は現代国家間で何かの外交や交渉をする際のルールとなる。

 

そのルールによれば国際条約上の領土は直近の両国の戦争によって作られた関係を最大に尊重する事にある。つまり中国が1969年までは尖閣諸島も沖縄も日本固有の領土であると認めていた事にある。逆に言えば竹島は韓国に強制的に乗っ取られたが当時の日本が反撃する手段がなく、また反撃するほどの価値もなかったから放置してきた結果でもある。

 

例えば新宿駅の駅舎の一部の土地をある日突然地主と称する人間が出てきてその場所を「江戸幕府により与えられた私有地であり証文もある、だからこの土地は私のものでありJRは直ちに出て行け」と主張したら法的にどう判断するだろうか?

 

この場合はまずは占有の原則が考えられるはずだ。つまり権利があっても一定の期間その権利を主張しなければ権利は失効するという原則である。これは土地の社会的有効利用をするのに大過去の権利をいちいち認めていては社会の発展が阻害されるという考え方だ。

 

共産党中国政権は1949年に設立された。彼らはこの地域に海底油田が存在する可能性が発見される1969年まで20年間も領有権を一切主張せずに彼らの公式文書でも尖閣諸島が日本領であることに触れている。

 

それが海底油田があると分かった瞬間に過去の証文を持ちだして権利を主張するのは筋が通らない。

 

これはパレスチナ問題でも随分議論された。第一次世界対戦の際に国家を持たないユダヤ人と英国の間で締結されたバルフォア条約(宣言?それに関連してサイクスピコ協定がある)によりそれまでその土地に2千年近く住んでいた外来民族?であるパレスチナ人は追い出された。それは2千年以上前にユダヤ人がこの土地に住んでおりこの地域はユダヤ人の所有地であると旧約聖書で書かれたというのが主因だ。

 

これなどまさに新宿駅の所有権を徳川幕府に証文もらったってのと同じ理屈で、そんな事言い出したら誰もが世界中の土地を自分勝手に要求出来ることになる。だから国際条約で様々な原則を作っているのだ。

 

しかし言葉を変えて言えばそれは現代の日本が歴史的経緯を持ちだして「だからここは日本だ」という権利を認めない事になる。あくまでも国際法に基づいて主張することを国際法は要求する。

 

だからぼくは日本が尖閣諸島を自国領土とする主張を直近の国際間のやり取りにおいて認めるものであるが、もし日本が歴史的なんて言葉を持ちだしたらそれは日本にとって致命的な逆説になることを理解すべきである。

長くなるので明日に続く。

 



tom_eastwind at 19:24│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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