2013年01月25日

駆け込み退職、というかそれを通じて見える教育行政について

駆け込み退職が問題になっている。特に学校の先生が生徒を見捨てて学期途中で退職するという問題が取り上げられている。

 

NHKでも取り上げられニュースの趣旨は「制度が悪い」との事。それはぼくも理解出来る。下っ端官僚に仕事を任せたのかな?とも邪推したりする。

 

高級官僚であれば自己保身術も熟知しているしどのボタンを押せばどんな答が出るか、下級役人とは一生首にならない仕事を選ぶ「金のために自分の人生の時間を売る」人種だと熟知しているからこのような制度設計をすれば生徒を捨てて金に走るなど分かりきった事だからこんな制度を作るわけがない。

 

この文章ではガッコのせんせーに限って書く。警察とか違うネタをごっちゃにすると話がそれてしまうから中でもクラスを持ってるせんせー限定の話とする。

 

ぼくは以前も何度か書いたが一番キライなのはずるい連中である。生徒の前では「おれはセンセーだ!」と年を取ってることだけを頼り(先生とは先に生まれただけって意味だ)に自分を自慢して威張って生徒に暴力をふるって無理を強制しておきながら、何かあれば「おれは労働者だー、金よこせー休みをよこせ、労働運動でズル休みさせろ、ストに参加する時は生徒たちは自習しておけ」と態度を変える、まるでコウモリのようなずるい連中が嫌いだ。

 

あなた方は聖職なのか労働者なのか?聖職と扱って欲しければカネカネと言うな。労働者であればもっとプロフェッショナルに仕事をしろ。

 

生徒をぶん殴って自殺させるしか教育方法を知らないヴォケがせんせーだと!モンスターペアレンツが駆け込んで来たからと鬱になったり、お前はガキか!ふざけるのもいい加減にしろと言いたい。まるで金になるからと戦争に行って目の前に敵が出た瞬間にびびり上がってたこつぼに頭を突っ込む根性なしの弱虫である、自分のやってる仕事くらい最初から理解しておけ。

 

ニュージーランドでは先生が手を上げることは絶対にない。何故ならこの国では教師は労働者であると国民全体で共通した認識があるから先生も教育労働の熟練労働者として子どもたちを褒めて成長させる教育方法を学んでいるから子どもを叩く必要がない。

 

例えば精密機械を扱う職人が機械の調子が悪いからと蹴っ飛ばすだろうか?(中にはほんとにそうした方が良い機械もあるようだが一般論では、蹴れば壊れる(笑)。

 

ニュージーランドでは教師は殴って教えるのではなく褒めて教えることを知っている。その方が子どもの夢を育てる上で有効だと学んでいる。精神論ではない、教育理論なのだ。(この国ではモンテッソリやシュタイナーが盛んである)

 

そして同時に教師という仕事は教育のプロフェッショナルとして子どもを預ける親からしても一目置く一種の特別労働者という認識もある。つまり労働者としての権利を要求することは当然であるが、素人親には出来ない、子どもに教育を与える特別な職務という認識がある(何度も書くが僕が日本で嫌なことのトップに来るのが、子どもは親の所有物という考え方だ)。

 

だから親は先生に対して礼儀を持って接するが教師がストライキを打つ時は一定の理解を示すしそれは政治にも反映されて教師の給料は決して悪くない。

 

モンスターペアレンツ(NZで言えば中国人か、あはは)がいないとは言わないが日本のような大きな問題になることはない。何故なら教師はそのようなバカに対して対応出来るように十分に訓練を受けているからだ。日本の素人教師のようにおたつく事もないし神経やられましたと給料をもらいながら「なんちゃら鬱」で長期休暇を取る弱虫などいないのだ。

 

ぼくらの子供時代、教師は聖職だと言われていた。けれど昭和30年代後半から50年代あたりで日本の教師は日教組のご立派な指導のもとに完全に金稼ぎの労働者となった。外向けには「私だって労働者です、権利が必要なのです!」と言いながら親が見ることが出来ない教室の中で「オレは性職者だー!」と独裁者として振る舞い好き勝手にやってきた。

 

そういう連中がいざ退職となれば生徒を取るよりも金を取るのは当然の事である。だから彼らの行動は当然予測出来たはずだ。その意味で最初に書いたように制度設計の失敗であると言っている。

 

そこでぼくはこの場を借りて訴えたい。日本の親ごさん、まず先生を先に生まれたからと言うだけで尊敬するな。先生を徹底的に攻撃しろ。それで先生が辞めるなら辞めてもらえ。金のために働いているのだから教育の理想なんて考えてないような連中はすぐに辞めるだろう。辞めた分だけ補充するわけで、その時に「教師にでもなろうか、教師しかないな」というデモシカ先生が来ればまた親の集団攻撃で追い出せば良い。

 

けれど日教組に入らず教育に情熱を持っている先生なら必ず親の声を聞いて自分の信念を説明してお互いに良い結果が出るはずだ。今の制度はモンスターペアレンツが熱心に教育に取り組む教師を潰して日教組あたりでとぐろを巻いてる連中が生き残る仕組みだ。

 

だから返す刀でモンスターペアレンツを切る。親が教師を選ぶその過程でクラスの親が全員同時は無理としても少なくとも交代でペアレンツ会議をもち、モンスターペアレンツがいれば教師に任せるのではなく親同士の議論の中で無理を言う連中を潰すのだ。

 

先生が立場上モンスターを潰せなくても同じ立場にある親なら潰せる、何故ならその親とは直接利害関係がない関係でありながら同じ環境にいるからだ。

 

親がもっと子どもの教育に熱心になるべきだ。ただしここで言う教育とは有名な大学に入る教育ではなく、社会にでて給料を稼ぎながら社会の一員として秩序と法律を守りながら自分のやりたい事をやれる能力を身に付けさせる教育という意味である。

 

日本の教師はすでに聖職ではない、単なる労働者である。ところが労働者としての能力が低い。何故なら彼ら教師と呼ばれる連中は多くの場合「一度採用されれば食いっぱぐれのないガキ相手の楽な仕事」と捉えているから効率とか要領とか全く理解出来てない。

 

自分が厳しい現実という人生から逃げているような連中が子どもに何を教えられるか?常に手抜きを考えて生産性を問われない職場で労働運動やってるような連中が子どもに夢を与えられるか?考えてみれば分かることだ。

 

文科省はこの状況を変化させることをあまり考えていない。何故なら本当に優秀な教師が教鞭を取れば優秀で自立した子どもが作り出される。そうすると彼ら自立した子どもたちは大人になって日本政府にとって一番困る「既存権力や既存権益者」に対して反抗するからだ。

 

だから子どもたちにはほどほどに馬鹿になってもらいたい、単純労働者として使える存在にしておきたい文科省からすれば日教組を手のひらで踊らせて彼らに責任を被せて子どもを奴隷制度の歯車として日本社会に放出してもらうのが良い政策なのだ。

 

ぼくらが考えるべきはまさにここである。日教組の馬鹿連中が馬鹿な事をやるのは当然叱責すべきだしそいつらをとっとと教育界から親同士が手を組んで追放すべきである。えー?そんな事が出来るんですか、そんな事やったらうちの子どもがイジメられるんじゃないですか?そう不安に思う親もいるだろう。

 

けれどそこは自分を信じて自分の子供を信じて同じクラスの親で信じられる人間を数名だけ見つけて残りの連中を巻き込めば、フランス革命のように何百年も続いた独裁政治を崩壊させることが出来る。

 

フランス革命だって1788年には誰も想像もしなかった。ところがその翌年、飢饉によってパンが食えなくなって人々は自然と集まり旗を掲げたのだ。子どもが一生バカのままで良いのか?そう考える親が一クラスで数名いれば、後は自然に付いて来る。世の中の8割はその時の波に乗るのだ。

 

しかし真の敵は日教組ではなく馬鹿を作り出したい文科省であるという事を忘れてはならない。日本の政策は江戸時代から続く「民は依らしむべし知らしむべからず」なのだ。自分の子どもをバカのまま一生過ごさせて良いなら今のまま黙って子どもを学校に送ればよい、見事なバカが出来上がる。

 

何故自分が大学に行くのか、なぜ自分が就職するのか、この仕事が好きなのか、何故生きているのかさえ分からずに世界の常識からすれば訳の分からん人生を送る、つまり奴隷として政府の生産装置という歯車として働く人間の一丁出来上がりだ。

 

僕自身が子どもだった頃はそれなりに僕一人でせんせーと戦った記憶がある。決して勝てなかった、何故なら同じクラスの子どもを巻き込むという政治活動が苦手だったからだ。理屈さえ合っていれば負けるはずがない、そう思ってた。だからセンセーをかなり言い負かした。

 

ところが現実は違う。いくら言い負かしても結局は多数派が勝つのだ、理屈ではないのだ、そういう現実をやっと理解したのは高校の最後の頃だった。が、それでも常に一匹狼の個人としてせんせー相手に主張はした。おかげで危険な生徒と烙印を押された。

 

ニュージーランドに移住してこの国で可愛い二人の子どもを作ってからは教育は奥さんにまかせている。

 

何故ならぼくがどれだけ逆立ちしても奥さんの教育能力の足元にも及ばないという現実を、子どもが出来て幼稚園に入る頃から理解したからだ。それ以降ぼくはもっぱら教育費及び子育て費用を稼ぐ担当になった(苦笑)。

 

餅は餅屋である。うちは奥さんとぼくとお互いにいつも色んな話をしながらお互いが得意とする分野を担当することにしている。二人で一つだ、どちらかがすべての分野においてエライなんて発想はない。

 

そこに子どもたちが親の意向を理解して行動してくれるから、その意味では三本の矢と感じたりする。日本を遥か遠く離れたニュージーランドでお母さんは子育てをしてお父さんは仕事をして互いにBacktoBackで戦う。

 

けどそれもニュージーランドという国と社会構造があるから今のような自由でのびのびとした子育てが出来る。個人がどれだけ戦っても組織には敵わない。自分が望む環境つくりの方法は二つしかない。自分の望むように今住んでる社会をひっくり返すか、自分の望んでることが実現されている社会に移住するかだ。

 

今回の駆け込み退職騒動は、今の日本の公立教育界がどういう現実なのかを知る良い機会である。もしあなたが適齢期の子どもを持つ親であれば、いつまでも世間に流されるのではなっく、そろそろ自分で本気で自分の子どもの教育改革を考える時代に入ってきたと思う。

 



tom_eastwind at 07:21│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔