2013年01月29日

「天国の門」 マイケル・チミノ監督作品

三連休の最終日の映画。219分の長大作品でこれも普段の生活ではなかなか観ることが出来ないのでオークランドアニバーサリーの午後早くからたっぷりと楽しむ。

 

観ることが出来ない一番の理由は平日だと映画が長すぎて夜9時に就寝出来ないって事。次にこの映画は途中でかなりえっちい場面が10分ほどあり、これが奥さんが絶対ダメって言う理由、最後にはこの映画を観る時は腰を据えて見ないと、とりあえず画面見ましたってだけでは意味がないからだ。

 

最初のショットは5時間以上という長長編だった事を考えれば相当にカットしたわけで、それでも219分、休日の午後早くから観るに十分な長さです。クリス・クリストファーソン、クリストファー・ウォーケン、ミッキー・ロークなど当時の優秀な役者が素晴らしい演技を見せてくれるのは、やはりマイケル・チミノの腕の良さというべきか。

 

1980年公開のこの映画は当初米国で様々な問題を引き起こした。制作費を使い過ぎて映画制作会社が倒産したとか評論家からボロクソにけなされたとか今になってもネタに不自由しない。

 

結論から言えば自由の国である筈のアメリカが実は自由の国ではなく先にアメリカを侵略して先住民(アメリカン・インディアン)を虐殺した者(英国系米国人)が後からやってきた東欧の移民を差別して遂にはワイオミングの大平原で125名のデスリストを作り50名の殺し屋を雇って後からやってきた移民相手に殺人を開始、それに対して新移民が団結して彼ら殺し屋に戦争を仕掛けたという酷い実話である。

 

芥川龍之介の蜘蛛の糸を彷彿させる作品だ。自分が何とかしがみついた蜘蛛の糸、そこを後から登ってこようとする人々を蹴落とす物語だ。結論から言えばこれは当時の米国の移民政策の無策ぶりをよく表している。とりあえず移民を受け入れておいて、ダメとなったら殺してしまえという話だ。

 

そんなら最初から移民受け入れすんなよって話だが、アメリカ・インディアンという先住民を皆殺しにした経験を持つ英国系移民からすれば「125名程度の殺し」は「大した事はない」のであろう。

 

東欧からの移民は戦火を逃れなけなしの金で土地を買ってワイオミングの大平野にやってきた。しかしそこでは法律よりも先住者たちの既得権だけが認められ彼らの既得権は更にアメリカ政府による法律で守られ、土地を買ってやってきた人々は詐欺にあったようなものだった。それでも彼ら移住民は大平原に森林から切り出した木を組んであばら小屋を作り生活を始めたがそれでも苦しい。

 

そのために彼ら移住民は時に牛を捕まえて食料としたが、これが既得権益者のかんに触った。当時の法律では自由な土地で生きているバッファローや鹿などの動物を捕まえる事は合法であった、それは牛でさえも同様であった。

 

しかし土地をすべて自分の所有と解釈している先住者は自分の牛が自由に他人の土地に出入りすることが当然の権利と考え、他人の土地に入った「おれの牛」を殺した人々を殺すことになった。そして事態は18924月にワイオミング州ジョンソン郡での移民同士の戦争に拡大した。

 

肝心の米国では己の恥を晒すことに極度の怯えを持つ米国人精神的下流社会の実態をよく表している。映画そのものよりも映画に極端な拒絶反応をした米国人がいまだ自己反省をしようとせず差別意識から抜け出していないのだろう。

 

過去をしっかりと見なおして反省して未来に教訓として残すことが今の僕らに求められる事だとすれば、アメリカでこの映画が未だ評価されていないのはアメリカ人が未だ差別の輪から抜けだせずに現実から目を背けて「砂に頭を突っ込み何もなかったふりをする」人種であることを示す事実だ。

 

東欧から戦火を逃れてやってきた移民はアメリカが自由の国だと思っていた。しかし現実は厳しい自然の中で無法地帯のような西部で新先住民が旧先住民(アメリカインディアン)を皆殺しにしたように新たにやってきた住民を牛泥棒として撃ち殺した。

 

それでも彼ら東欧移民はアメリカにしがみついて生き残ろうとした。1853年に発生したクリミア戦争、1866年のプロイセンオーストリア戦争、1870年のプロイセン=フランス戦争など、東欧では常に戦争があり農民は自分たちの農地の上で争われる戦いで畑を潰され農作物を取られ子どもを兵役に取られ、とにかく彼らには新世界であるアメリカに逃げるしかなかった。

 

もちろんこの時期、ニュージーランドも東欧の人々にビラを配って「ニュージーランドに来ませんか」と宣伝を行った。NZに渡ってきた英国人もその多くは知識階級であり東欧の農民のような「黒い森を農場に変える」だけの地道な力強さはなかった。

 

また彼ら東欧の人々が送り込まれた「地上の楽園」も実は湿地帯であったり巨大なカウリの森林であったりして故郷の友に手紙を送り「おれは騙された、ここは寝るための地面もなければ生きるための食物を作る土もない」と嘆いてた。

 

しかしそれでも東欧の人々からすれば戦争の被害のない国、アメリカやニュージーランドに渡ってきたのだ。どれだけ差別をされても英語が出来ないとバカにされてもそれでも何とか生きていければ良い、そう思った彼ら移民第一世は耐えに耐えて移住した先の土地に馴染もうとした。

 

1899年に発生したボーア戦争では多くのキーウィの若者が参戦した。第一次世界大戦では当時100万人の人口だったニュージーランドから10万人あまりの若者が戦争に出征し1万人以上が戦死した。この戦争に参加してニュージーランドに忠誠を誓い戦った東欧の息子たち移民第二世代は、これでやっと正々堂々とキーウィとなれた。

 

今でもオークランドの戦争記念博物館の三階に行けば、当時の戦争で命を落とした若者の名前を見ることが出来る。アイリッシュ独特の名前である”Mac, O’harahan”などに混じってジョノヴィッチ、ミューラー、ゴドフスキー、〜ハウスなどの名前を見つけることが出来る。

 

彼らの両親は戦火の東欧を逃れて新世界に未来を探した人々だ。そして彼らの子どもはボーア戦争や第1次世界大戦を通じてキーウィとなった。

 

アメリカではこのジョンソン郡戦争で移民同士の大きな傷跡を残した。天国の門の最後の場面である戦闘場面は凄まじいものがある。牛泥棒を殺すために送り込まれた50名の殺し屋を逆に東欧からの移民が軍隊となって相手を囲みインディアンのような襲撃や古代ローマのような戦い方を見せる。

 

最後は大統領が送り込んだ騎兵隊によって戦争は調停されて新移民は自分の新しい家に戻る。第一次世界大戦、第二次世界大戦を通じてアメリカでも二世や三世が戦い実質的な市民権を勝ち取った。今の時代、苗字がイタリア系でも東欧系でもアメリカでは殆ど誰も気にしない。オバマでさえ首相になれる国だ、その意味で本当に開かれた国だと思う。けれど同時に過去の暗さを引きずりそれを認めようとしない歴史もある。

 

以前市場調査の為にニューヨークに行ったとき、911の1年くらい後だったかな、この国は強いなって感じた。それはどんな事があっても前に進むって気持ちを、道を歩くすべての人々から感じたからだ。誰もが能動的に活動している。のんびりしたキーウィでは一ヶ月で潰されるだろう。ここで生き残れるのは本当に強い人間だけだなとも思った。

 

それにしても天国の門、アメリカの移住史に興味を持つ人ならば一度は観ておいた方が良い作品である。



tom_eastwind at 09:53│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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