2013年03月15日

中庸、そして敦盛という生き方

「放射能に限っては鈍感は危険で敏感になると健康によくありません。鈍感と敏感の間に心を置いて折り合いをつけるのは人間にとってかなり難しい事ではありますが。」

日経ビジネスでチェルノブイリに取材に行った編集部記者の一言。

 

中庸、だろうな。右にも傾かず左にも傾かず、常に自分を真ん中に置いて。そのために必要な事は常に学び続けること、何かがあった時に自分の中でいくつもの試金石を持ってそれで測ってみることの出来る、安定した何かを持ち続けること。

 

以前も書いたと思うがぼくの発想はどうしても一般常識からかけ離れている。普通なら「こんな発言すれば引かれる」よなって分かるような事でもぼくは分からないのでそのまま言葉にして引かれてしまう。

 

以前社内でペットのニュージーランドの引越しの件で輸送費が高いねーという雑談話になった。その時僕は「だったら足一本だけ送れば?」と言われて、動物好きのスタッフにおもいっきり引かれた。それ以来ぼくは麻生副首相じゃないけど発言に「気をつける」ようにしている。

 

同時に時代が変わっても場所が変わっても変わらないものを試金石として持つことで人として言って良い事といけない事の区別をするように自己訓練している(苦笑、ガキかお前は!)。

 

原発も同様であり僕は科学的に考えろと思うが自分の試金石を「政府のみことば」に置き、政府が安全と言えば安全「神話」を科学と思い込んでいた人は福島以前は本気で政府の言うことを信じて「あんたバカ?」と思い込んでいた。

 

ところが実際に原発が爆発してみると自分が後生大事に抱えていた試金石が実はたんなる石ころどころか石でさえない嘘を書いた紙切れであることに気づいた。そしてパニックになった。そこから先は転げ落ちる石のように何も信じられず毎日不安な生活をおくることになった。

 

今回の日経ビジネスの原発記事はそのあたりをきちんと科学的かつチェルノブイリ取材で実証的に特集しており甲状腺癌が子どもに発症している事実を捉えながら、しかし全体的に見ればそれはどこまでの被害でありどれほどの被害なのかをきっちりと書き込んでいる。こういうのが良い記事なんだよなと想いつつ読了した。

 

日本では原発だけでなく多くの「安全神話」が独り歩きしている。何故か?それはお上が「安全である」と言い続けているからだ。国民はすべて安全であると信じているが世の中なんて実は程度の違いはあれ危険だらけである。

 

では何故政府は安全神話をばら撒くのか?

 

そうすれば国民は「世の中は、なべてこともなし、安全」と思い込んで自分で安全を維持することを考えようとせず、結果的に政府に従順な犬が出来上がるからだ。政府を信用するから政府の言うことを何の試金石も持たずに政府を試金石にして政府が言うから安全と思い込む。

 

つまり国民から自分で考える力を奪うのが安全神話なのだ。自分で考えないから目の前で人が殺されても政府が「気にするな、これは正しいのだ、お上がやっているから間違いないのだ」と言われれば真に受けてそーだそーだとそーだむらの村長さんになるのだ。

 

四国の白バイ事件など良い例だ。同胞が無実の罪で逮捕拘留の挙句実刑を食らっても自分のことと思えずぼやーっと眺めているだけなのだ。まるで映画「カッコーの巣の上で」でロボトミー手術を受けたような囚人のようなものだ、日本人の場合は手術ではなく学校で洗脳されているのだが。

 

しかしまともな民主主義国家では世の中は危険だときちんと本当の事を教えた上で、ではその危険に対処するにはどうするかと教える。税金は本来どう遣われるべきかをきちんと国民に教えて政府が間違った場合は国民が分かるようにしている。

 

中国のような独裁国家では政府の言うことを信用するのはバカだけだと家庭内で教えて政府の前では「御無理御尤も」という顔をして「飛べ!」と言われればどれほどに下らなくても「何故?」とは聞かずに「どれだけ高く?」と聞くのが「政治的正解」と教え、飛ぶのは馬鹿げているけど殺されるのはもっと馬鹿げているから飛ぶのだという世間の真理を教える。

 

そういうのが普通の国家であり普通の国民だ、それは民主主義国家でも独裁主義国家でも変わらない。唯一世界の中で非常に特別で常識と異なる、略して非常識な国家である日本だけは国民が政府の言うことをそのまま真に受けて信じて、あまつさえ時には自発的に政府の走狗となり大政翼賛会の下っ端として一般国民を取り締まったりするから始末におえない。

 

試金石を持つこと。それが本でも友達でもよい、とにかく「この石は必ず正しい答をくれる」そういうものを持つことが大事だ。そして試金石が「それ、おかしくない?」と言えば、そこには必ず何か問題がある、その時は妥協せずに徹底的に考えぬいて何が問題なのかを見つけ出す訓練が必要だ。

 

政府に脳みそを明け渡すのではなく、絶対安全神話なんて存在しないという前提で自分の頭に試金石を持って考えぬく。最初はきついけど一年もすればそういう思考方法に慣れてくる、つまり洗脳から解けていく。そこから後は自分の頭で考えることが出来るようになる、そうすれば学校で洗脳された脳も普通の脳になっているので何が試金石かわかってくる。

 

それから初めて世の中がバランスで成立しているのが分かり、極右も極左も脳みそを遣わなくて良いという意味では実は円の輪の一番反対側にいることが分かる。

 

円の輪の一番天辺に両手をあててみよう。それから右手は輪に沿って右に下ろす。左手も同じように輪にそって左におろす。最終的に極右も極左も輪の一番下、無知と暴力にたどり着く。

 

輪の天辺が実は中庸である。無知の知を知り天辺からどっちの端っこにも落ちないように常に心にコンパスやジャイロという試金石を持って測りバランスを取りながら、まるで綱渡りをするサーカスピエロのように生きていく。

 

そうやってこそ初めて落ち着いた心、動じない心、右にも左にも振り回されない自分を実現することが出来る。平時には常に危機を意識し危機時には決して動じすにたくさんの選択肢を持ち最高の選択肢を選ぶ。

 

試金石として良い物は、例えば日本なら中村天風、中国なら古代の老子、荘子、欧州であればルソー、イエーリング、ハイデッカーあたりか。人によって違うので世界の古典と呼ばれる本をひと通りぱらぱらっとでも良いから食いつきのよいものから入っていくことだろう。

 

日本でも良い物は沢山あるが、現実の世界を生きていく中で心を励ましてくれるのは相田みつをのような直感ものも良いがやはりきちんと最初から最後まで一つの筋書きのあるのが理論武装しやすく試金石にしやすい。

 

そしてこれは蛇足かもしれないが、人生の最後にはやっぱり日本人なら敦盛だろう。「人間五十年、化天(下天)の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を受け滅せぬ者の有るべきか」をしっかり心に刻みつけて、ましてや体にパイプを付けてまで生きるべきかを考えることだろう。



tom_eastwind at 18:37│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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