2013年03月17日

絶対に実弾を撃ちこんではいけない!

土曜日の午後、映画「光州518」を観た。三回目かな。政治のことなど何も知らない民衆が求めるものは自由と平等であり難しい話ではない。実際にニュージーランドではそれが実現出来ている。

 

暴動とは殆どの場合政府の不合理からくる。おかしな話を押し付けられた民衆が「なんっでそうなるの?」と思うのが暴動だ。それを政府が暴力で押さえつければ更に問題を大きくさせるだけである。

 

政府とは世間をよくするだけの組織でありソレ以上になってはいけない、そんな当たり前の事が出来ないのは、政府はアタマがよくって立派で、バカな国民を支配しなければバカな国民同士が殺し合いをするのだくらいの猿の脳みそで組織されているからだ。

 

韓国で起こった光州事件、ぼくは当時の記事でリアルタイムでずっと見ていた。その後ぼくは1980年代に日本の子どもを連れて韓国に行きサッカーとか交流をしてたが、当時釜山のチョースンビーチで屋台を経営しながらギターを弾いてた若い人と話をした記憶がある。

 

屋台と言っても本当にちっちゃなもので干物と焼酎しかなくて、けど何故かギターを弾くちっちゃな場所があって、そこで長い髪をくくった若者が悲しげに歌っていた。

 

彼らは光州からやってきた、もう家には帰れないという話をしていた。少なくともこのチョースンビーチの屋台だけは取り締まらないという闇符があったのかもしれない。これ以上騒がなければ許す、そんなのがあったのかもしれない。やっと生き残れた、そんな幸運な連中までも殺すことは政府はやらない、そんな合意があったのかもしれない。

 

けれど、絶対に実弾を撃ちこんではならない。仲間に対しては、絶対に実弾を撃ちこんではならない。

 

国を作る時に大事なのは、国民の総意を得ることだ。戦後の日本が何よりも幸運だったのは自民党政府率いる連中が本当に日本を大事にしていたからだ。その代表が後藤田氏だろう。そして佐々淳行とかが後藤田の指示を受けて治安維持に務めた。

 

安保など国を割る戦争になってもおかしくない話だった。それをぎりぎりに納めて日本人同士が殺しあわなくて良い状況を作ったのは、後藤田氏のおかげだと思っている。これが正解かどうか分からないが、現時点でぼくは彼に感謝している。

 

自分の意見が通らなければ相手を殺すってのは思いっきり合理的であるが決して簡単に選んではいけない道である。必要に応じて出来る限り最小の被害で物事を治める。それが政治だ。

どれだけ政治的意見が違っても、絶対に殺しあってはいけない。それは国金の民度を貶めるだけだ。これは本当にぼくが毎日生きている中で感じることだ。絶対に殺しあうな。それこそが唯一日本人を日本人として誇れる理由だ。
 

 

ソウルに住む韓国人の友達にメールを送った。「何もない、意味のないメールですが、この映画を観ながらまた韓国に行きたいなと思った今日でした、では!」



tom_eastwind at 14:34│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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