2013年04月23日
もう花はいらない
羽田を夕方に出て香港経由でオークランドまで約16時間。北半球から南半球までの長い旅を終えたら、街は雨季に突入していた。
雨季とは言っても日本と違い、南太平洋のスコールのような真っ黒な雲がもくもくと湧き上がり天が抜けたような土砂降りが数十分振ると黒の向こうに天まで届くような真っ青な空が広がる景色の繰り返し。
地元の言葉ではこれをパッチワークのような空景色なのでパッチーレインと呼ぶ。抜けるような青空の上に大きな真っ黒なパッチを貼ったような景色は成層圏から見ればどのような景色なのだろう。まるでニュージーランドでよく育てられている牛のホルスタインみたいなものか。
そういえばこんなジョークがある。牧場をガイドする案内が都会からやって来たアメリカ人観光客にこう語る。
「えー、あそこにいる白地に黒の牛がホルスタインですねー、お、でもって隣にいる黒地に白の牛がジャージーですねー」
見てる観光客はどっちがどっちが分からずに思わず
「どう見分けるの?」
と聞くとガイドは楽しそうに
「ホルスタインは白地に黒の牛、ジャージーは黒地に白の牛、この牛達の本名はホルスタイン、あだ名がジャージーです!」
何故か都会から来たアメリカ人観光客、それでどっと笑う。
空港に着いて荷物を台車に積んで屋根付きの長期駐車場へ移動しながら「屋根付きの高級駐車場という触れ込みだが、ターミナルの目の前の道路を一本渡ったところにあるひさしのある時間貸しの駐車場に屋根付きの駐車場を作らずにどうして空港ターミナルから一番離れてて移動に5分以上かかり途中に屋根のない水浸しの小道を移動せんといかんのか?」と、ニュージーランドではあまり意味のないことを考える。
4月終わりの空気がぼくの青っぽい白のジャケットの袖の隙間にひんやりした風を吹き込みはじめると、そろそろ二週間程度のあってないような短い秋で5月に入って本格的に冬が始まるんだなと毎年思い出す季節が始まる。
秋になると想い出すのがオフコースの「秋の気配」だ。“あれがあなたの好きな場所、港が見下ろせる〜”ですねー。冬だとユーミン!“ブリザード!”スキーが盛んだった時代にブリザードを歌ってましたね。夏はチューブとサザン、かなー。じゃあ春は?佐野元春のSomeDayとか、かな。
何だかそんな話をしていると、自分の体が球体の中にはいり、四方八方の景色が、自分のそれぞれの時代を切り取ってぐるぐると回っているような気がする。てか、回ってるのは僕の球体で周りの時代はその時代に貼り付けられたまま、まるで万華鏡のようにぐるぐるとしているのかもしれない。
日本は1991年を頂点として、その前は津波のように日経が4万円に向かって一気に駆け上がり結局後一歩のところでそこから後は津波が勢い良く引くように一気に下がってしまい2万円になり、津波が完全に引いてしまいすべてが破壊された1997年には日経が一万円を切るようになり、そこから復興の目処も立たないままに8千円を切るような時代が続き、やっと安倍政権になって1万2千円を超すようになった。
オフコースの歌に「もう、花は咲かない」がある。バブル崩壊後の日本では一時、官僚支配が弱くなり雇用が乱れその間隙を突くようにフリーターが格好良いなんて言葉が出回った。それで一生生きていけるように考えていた。
自由に働き自由に遊び、サラリーマンのように会社に縛られることなく、好きな時間に仕事をして年に数週間も休んでスノーボードを担いで海外に行く自分が格好良いと思い込んでた。
彼らは道端に座り込みそれが格好良いと思い込んでた。1980年代なら警察に取り締まられてたような乱暴行為も警察が威信を失い何も言えなくなり、それがますます子どもたちのワガママを増長させた。
苦虫を噛むような顔でボーダーを眺めていたスキーヤーも、コースのど真ん中で横一列にうんこ座りしている糞どもをスキー板で切るだけの根性もなく結局ボーダー禁止の山が増えた。ところがそれから数年してスキーヤーがボーダーの顔を見るのに嫌気がさし、仕事も忙しくなりいつの間にか次々とスキーから引退し始めると山はボーダーでも良いからとボーダーに入れるようにした。
そうなると最後まで残っていたスキーをコアとしてした人々までもが山を離れてしまった。2000年代に入り官僚が力を取り戻し世間の秩序が整ってくると道端のウンコ座りが取り締まられるようになりフリーターが単なる雇用調整の手段となり最低賃金しかもらえなくなった。
白痴どもは、ついに一生結婚できない安月給で不安定な地位に追い落とされて40代になりニコヨン(一日2540円で働く人々の総称)日雇い人夫状態になり、その頃にはスノーボードを楽しむ金も時間もなくなり、スキー場は時代の波に振り回されて次々と廃業していき地域の雇用は失われた、バカな山の経営者と力を取り戻した官僚たちの為に。
もう僕には花は咲かない
もう戻れない道を振り返っても
人ごみに落としてきた
いくつかの愛は見えない
緑の髪に胸をおどらせ
歩いた学生時代は
そのときに落としてきた
かげりのない心も見えない
花なんて大人に
似合いはしない
15年落ちのポンコツ車を引っ張りだして空港を出て、明るい太陽に車内温度が上がり思わず23度に設定したクーラーを入れてそのまま手の弾みでCDのボタンを押した。
“もう僕には花はいらない”
さあ、これから一ヶ月、またオークランドで戦闘開始だ。