2013年05月07日

人生は心ひとつの置きどころ。

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お前の頭の中に、何が描かれているか当ててみようか?

それはお前が失敗して、しょんぼりしている哀れな姿だろう。

そんな絵は消してしまいな!

おまえが、堂々と相手を説得して「大成功」

というシーンを描くのだよ、そうすれば仕事もきっとうまくいく

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その一語一語、その言葉のすべてが、人生に直接的に影響する暗示となる。

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自分の心の中に何か悩みがあるならば、先ずそれは「取越し苦労」か或いは、「消極的思考」かの何れかである。故に入念に省察すべし

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やれ運命がつまらないの、人生がつまらないのって人は、その考え方がつまらない。

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健康や運命というものは、それを消極的に考えない人々にのみ恵与されるよう、宇宙心理ができている。

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上記は中村天風が語った言葉のうち名言集として取り上げられているものだ。しかし彼の場合は何を語ったかよりも何を実行したかの方が余程重要である。少し長くなるがウィキペディアから引用する。

 

「玄洋社の豹」 [編集]

1876年(明治9年)、大蔵省初代抄紙局長の中村祐興の息子として豊島郡王子村(現東京都北区王子)で出生[1]。父祐興は旧柳川藩士で、中村家は柳川藩藩主である立花家と遠縁にあたる。

 

王子村や本郷で幼少を過ごした後、福岡市の親戚の家に預けられ、修猷館中学(現・修猷館高校)に入学。また立花家伝の六歳の時より家伝の隋変流の修業を始める。隋変流は立花宗茂を流祖とし[2]戦国時代に成立した流派で、剣術と抜刀術をもつ。天風は後に随変流を極めることとなる。ちなみに、「天風」という号は天風が最も得意とした随変流抜刀術の「天風」(あまつかぜ)という型からとられたものである[1]

 

幼少期より官舎の近くに住んでいた英国人に語学を習い、修猷館ではオール英語の授業を行っていたため語学に堪能となり、また柔道部のエースとして文武両道の活躍をするが、練習試合に惨敗した熊本済々黌生に闇討ちされ、その復讐を行う過程で出刃包丁を抜いて飛びかかってきた生徒を刺殺してしまう[3]。この件で正当防衛は認められたものの、修猷館を退学となった。その後、1892年(明治25年)に玄洋社の頭山満のもとに預けられる[4]

 

天風は玄洋社で頭角を現し、気性の荒さから「玄洋社の豹」と恐れられた[5]16歳の時に頭山満の紹介で帝国陸軍の軍事探偵(諜報員)となり満州へ赴き、大連から遼東半島に潜入し錦州城、九連城の偵察を行う[4]。日露戦争が迫った1902年(明治35年)には再度満州に潜入し、松花江の鉄橋を爆破したり、仕込杖で青竜刀を持った馬賊と斬り合いを演じるなどの活躍を見せ「人斬り天風」と呼ばれたという。

 

1904年(明治37年)321日にはコサック兵に囚われ、銃殺刑に処せられるところであったが、すんでのところで部下に救出された[6] 。その後天風は様々な危険を乗り越え、無事目的地の大連に到着した。日露戦争に備えて参謀本部が放った軍事探偵は合わせて113名いたが、そのうち生きて大連に到着したのはわずか9名であった[6]

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どうだろうか?自分がこんな生き方が出来るだろうか?天風ならこう言うだろう。「お前が出来ないと思ったら絶対にできないよ。人は思うことがそのまま現実になる。出来ないと思っているのだから保証してやる。お前には絶対に出来ないよ」

 

今の時代の人々は言葉を軽く考えている。けれど言葉はもともと言霊として扱われ、口から出た瞬間に一つの生き物として独り立ちをして歩き出す。弱気を吐く人、つまらないという人、健康や病気を異常に気にしていつもネガティブを周囲に振りまいている人、それはすべて現実になる。

 

中村天風は何の奇跡も起こさなかった。歩けない老人に手を当てて歩き出させることもしなかったし誰かの頭に手を当てて病気を治すこともしなかった。現世利益を説いて他の宗教を一切否定して折伏させることもなかった。

 

要するに天風は決して神頼みをしない人であったし自分の事は自分でやれ、その代わり心身統一をすれば世の中のことは大体何でも出来るようになる、人々にそう教えた。

 

移住も同様だ。「ぼくは移住なんて出来るかな?」なんて悩んで行動に移さなかったら最初から出来るわけがない。かと言って移住の目的をただ単に現実から逃避するだけとか逃げるだけとかの消極的な心がけでやったって、これまたうまくいくわけがない。

 

自分の人生は心をどこに置くかである。積極的に自分の人生に立ち向かう。その際に「僕は今積極的に生きているか?単なる逃げではないか?」とか「これは世のためか人のためか?」と自分個人の利害と切り離して考える。そうやって出てきた答えが正しければ実行するのみ。

 

日本人は小学校に上る前から徹底的に周囲の親や親戚、学校に入れば先生から「とにかく失敗するな」と教えこまれ、100%安全でないと何もしないのが正しいと思ってる。

 

しかし移住は誰でも絶対100%の確立で出来るなんてものではないが、前に一歩踏み出さなければ絶対に出来ないわけで、前に一歩踏み出す勇気があれば次の一歩を踏み出すことが出来る。

 

最初は胸がドキドキして喉がカラカラになるだろうが、移住先のベッドルームで毎朝起きて今日は何をすべきか悩むが、それを繰り返していくうちに次第に強くなっていく自分の姿勢や考え方を感じるようになる。

 

そう、そうやって自分を強くしていく、すると本当にある日突然、強くなった自分を感じていくと、今まで思いもよらなかった人生の選択肢が見えてくる。これは本当にやってみないと分からないが、まるで大雨の後の晴れ間から虹が輝いて現れるような感じになり、自分が今抱えている様々な問題がうそのように消えていき、解決方法が見えてきて、それ以降は悩みがどんどん薄れていって最後にはどのような人生も怖くなくなる。

 

中村天風が人々に教えているのは神頼みになり自分を弱くするなという事だ。神でなく自分を強くする、そうやることで例え神が不在でも自分で苦難を乗り越えていくことが出来ると教えているのだ。

 

まず心を強くする。その後体を鍛えていく。心身統一する過程で自分の心も体も健康になっていく。酒を呑むなタバコを吸うな、そういうレベルの話ではない。口から発する言葉からまず積極的になるのだ。

 

「どうせ駄目だし」とか「所詮無駄だし」とか「いつも忙しくて」とか消極的でネガティブな言霊を発している限り良い人生など来るわけがない。だって自分で自分を不幸に陥れてるのだから。

 

まずは積極的に生きるために言霊から変えていこう。

 

「雨がふるね、嫌だね」ではなく「ああ慈雨だ、これで草花も生き返るし大地に栄養が付く、良いことだ!」と言ってみる。

 

「あーあ、仕事がうまくいかないな、オレには所詮無理なんだよね、なのにこんなこと押し付けやがって」と他人に責任転嫁するのではなく「あー、オレが与えられて仕事ってこれだけオレが成長出来る仕事なんだ、ありがたないな、どうやったら成功するか、成功するまで考えて考えて考え抜こう、そう、成功するまで続ければ失敗なんて有り得ない、こんな機会を与えられて幸運だ!」と考える。

 

他にも自分を自分だけの力で幸せにする方法はある。中村天風の教えはネットで検索すればたくさん出てくる。彼は何も難しい事は言ってない。積極的に生きろと言ってるだけだ。

 

移住をお考えの皆さん、周りに移住する人なんていないし他人に相談も出来ないし家族には反対されそうだしと悩んでいる皆さん、悩んでいるだけでは解決しません、良ければ天風を読んでみて下さい。

 

今日は偶然にも天風に関するコメントを頂いたが、このコメントというのは書き込んだ人に直接返信が出来ないのでこの場を借りて今日は天風をテーマにしました。コメント、ありがとう御座います。



tom_eastwind at 16:55│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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