2013年05月13日

価格転嫁

お客様同行でオークランド大手会計士事務所を訪問した時の事。最近のニュージーランドドル高で輸出産業は大変ではないですかとのお客様のご質問に、聞かれたキーウィ担当者は「ん?」と言った顔で一瞬戸惑いながら

「ニュージーランドの輸出産業は酪農品など農業製品が多く特に中国向け輸出が伸びていて売上も好調です」

「けど為替がNZドル高だから利益が減っているでしょう?」

(??)「いえ、為替が上がってもNZドル建てですので利益率は変化しませんよ」

 

これ、実は価格転嫁である。中国で買い物をする中国人消費者は元建てで支払うのでNZドルが強くなった現在、中国人消費者は同じ商品を為替高値価格で買うしかないのだ。けどそんなもん当然だろう、キーウィドルが強くなれば元が弱くなった中国の輸入価格が上昇するのは世の常だ。

 

ところがぼくもすでにキーウィ化しているので日本が簡単には価格転嫁出来ない国であることをすっかり忘れてしまってた。輸入価格が上昇しても何とか自社企業努力(賃下げ、不正規社員の増加)や協力企業の更なる協力(つまり仕入れ価格の値下げ=協力企業の賃下げetc)で価格を以前のままに抑えるのが日本企業であることをすっかり忘れていた。

 

そろそろ消費税の問題が表面化してきた。政府は民間企業が消費税増税を利用した下請けイジメや消費税還元セールなどで小売価格の凍結を図ろうとする様々な販売戦略を次々と駄目だししている。政府に因る“BIG NO! NO!”(絶対ダメダメ!)だ。

 

政府の目的はまず物価を2%程度上昇させて次に賃金上昇を2%程度行い、それが次第に中小企業に広がることを期待している。円安により輸出産業が息を吹き返して設備投資につながり物価上昇により世の中に好景気が戻るのが狙いだ。

 

ただ問題は、今まで20年間常に価格下げ競争を行い自分の賃金と企業利益を削減することに一生懸命だった民間企業が値上げを行えるだけの気合があるかどうか?自社だけ値上げして売上が落ちれば社長である自分の責任になる。

 

ならば値上げは先送りして自分の代だけは何とか売上が落ちないようにして次の社長の代で検討してもらえば良いだろう、そう思う社長が増えてしまっては政府の望む方向に景気は進まない。

 

ただ冒頭にも書いたようにキーウィ化している僕の発想からすれば、税金が上がったのだ、販売価格が上昇しても良いではないかと思ってしまう。

 

では何故日本ではそうならないんか?「消費税が増税されるのに価格転嫁出来ずに〜」なんて記事を見かけると、何故?という素朴な疑問が出てくるのがキーウィだ。

 

原価が上がったのだ、当然販売価格も原価上昇に合わせて値上げするのが普通では?それとも自社の利益を削ってまで商売しろ?少なくともニュージーランドでは有り得ない発想である。

 

この国ではビジネスとは利益が出ることが当然であり起業は利益のために働いている。だから利益がでなければ当然誰もそのような仕事はしない。これはNZに限った事ではなく英国系の発想ではどこの国もインボイスベースでしか仕事をしない。

 

つまり日頃長い取引をしていても一回当たりの利益が出なければ「済みません、今回はこの価格では取引出来ません」となる。だから中国が粉ミルクなどの乳製品をNZから買いたければNZの価格を支払ってもらうし、それで高いと思うなら他所から買えば良い。

 

その結果として自社の商品が売れなければ商売代えをするのみである。利益の出ないビジネスをいつまでもつづける意味はない。日本でそんな事言うと「企業責任がー!」と表向き大声で正論を語り、裏では本音で「親のやってきたことをオレの代で潰すわけにはいかんしなー」とつぶやく。

 

しかし常に国際化にさらされているNZは、そんな事言っても同様の品質のものが他国にあれば当然中国は他国で買ってしまいNZはお手上げになる。そこでNZの主製品であり豊かな土地と南半球という端境期を利用出来る季節の利益を有効活用し、更に自然で純粋なニュージーランドという付加価値を付けて農産品を北半球に売るビジネスを成立させた。

 

NZの農業産品や粉ミルクはそれ自体に付加価値があるので他所で買うという事が出来ない。だから為替高で実質値上がりをしても消費者は文句なく買う。

 

つまりNZ製品は常に付加価値を付けて高く売ることを目指しており汎用品を値引きしてバラまくって大量生産安売り発想はないのだ。これは現在も同様であり常に品種改良を行いつつ世界に付加価値の高いNZ製品を販売していく。

 

赤字になるようなビジネスをだらだらと続けるような事はせずすぐに会社や工場を閉鎖して撤退する。

 

そんなことを書くと「企業は大事な雇用確保をすべきだ」とか「企業は社会の公器でありー!」とか言われそうだが、それは単なる日本政府の都合による社会習慣に過ぎない。

 

日本では企業が社会の公器であり雇用を守るって言うのが習慣だが、それは政府が政府責任で雇用を守らずに雇用を企業に押し付け、更に赤字ゾンビー企業を国民の血税を使って補助金漬けにして官僚のいうことを聞かせるという異常な社会体系を作っているからだ。

 

その点ニュージーランドでは企業は私企業であり自分の企業の利益を確保して納税する。雇用を守るのは政府の役目であり企業から集めた税金で失業者の生活を守るのだ。

 

つまり会社と政府の役目をきっちりと区別しており会社の役目は利益を出して納税すること、社員は働いた分だけ納税すること、政府はそうやって集めたお金で安心で安全な社会構築をするために予算の適性配分を行う。

 

だからNZでは私企業に対して政府が小切手を切るって発想は全くない(金融機関などインフラ系は別、これは産業の血液なので守る)。その代わり私企業が倒産した場合は失業者に対して政府が厚い保護をする。NZの失業手当は18歳から始まり65歳まで受給資格がある。失業保険を一度も払わなくても資格がある。

 

65歳になれば老齢年金が支払われる。これも日本のように25年以上払えなんて決まりはなく、キーウィとして生活していれば誰でも受給資格がある。健康保険も同様で公的医療は無料である。つまり政府は労働者及び企業から集めたお金で政府の責任で国民の雇用と財産と生命を守っているのだ。

 

話はそれたが結局ニュージーランドが価格転嫁の出来る社会でありそれが社会合意を得られているのがこの国の強みである。いろんなビジネスをやるけど、ダメならすぐに撤退する。そして自分が得意とする分野に資源を集中させる事で付加価値を作って売ることを実行している。

 

NZでは下手な精神論や理論の裏付けのない「やればどうにかなる」なんてビジネスモデルは有り得ない。しかし日本では未だ精神論がまかり通りまともな理屈が引っ込んでしまう環境だ。

 

何で他社と競合出来る特徴を持った商品を作らないのだ?何で寺社をブランド化出来ないのか?何で他社と同じようなものばかり作って価格競争するのだ?何で自社に有利な条件で戦える市場を選ばないのか?何故衰退市場でいつまでも無理な戦いをして体力を失って挙げ句の果てには大リストラやってんだ?

 

まるで大東亜戦争当時の大本営と同じで、先輩のやった事は否定出来ないとか、一度始めた戦いを途中で撤退すれば作戦ミスを晒すようなもので撤退できないとか他社がやってれば自社もやらねば上司に叱られるからとか、全く経済合理性のない話ばかりである。

 

しかしいつまでもこんなおかしなことをして倒産しかかったゾンビー企業を政府の金で延命させたり雇用を企業に押し付けて企業が体力を失ってしまえば企業はもっと安い雇用を求めて外国企業に外注するようになり結果的に日本国内雇用は減少するだけだ。

 

間違った習慣、時代にそぐわない倫理を持ちだして精神論でいくら話をしても国際化の前では無意味である。それよりも他社で買えない付加価値を創造しよう。他社では買えないブランドを構築しよう。消費税が乗っかれば堂々とお客に転嫁しよう。だって他で買えない商品なのだ。消費税を負担するのは最終消費者であり中間にいる企業ではないのだから。

 

 



tom_eastwind at 14:37│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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